すいてる国宝と評判の(?)黄檗宗萬福寺
2024 年末から 2025 年始にかけて18きっぷを二枚使って連続 10 日間の旅行をするというアホな計画を立ててしまいました。
その記事はいずれ書くとして、これは最初の訪問先である黄檗宗萬福寺を訪問したというエントリです。
萬福寺へは島津重豪が帰国の際に何度も通っています。つまり『識りたがり重豪』の取材です。
じゃあ、重豪は黄檗宗に深く帰依していたのでしょうか?
……というと、信仰が厚かったのは間違いないと思われますが、わりと他の宗派の寺へも寄進してますし、神道への傾倒も見られます。
つまり、重豪の宗教姿勢は「御利益がありそうなのは何でも」だったと思われます。 禁止されていなければキリスト教も真宗(薩摩では禁止)も日蓮宗不受不施派でも信奉したんじゃないかと思います。
そんななかで、なぜ黄檗宗萬福寺に足しげく通ったのか。
黄檗宗というのは禅宗の一派である臨済宗の一派で、江戸時代初期に隠元隆琦《いんげん りゅうき》が伝えました。
明がイケイケだったころに生まれた宗派なので、ほかの禅宗よりややリッチで華美な感じです。
隠元さんはインゲンマメやスイカを日本に伝えました。隠元和尚が伝えたからインゲンマメなのです。
あと、明朝体なんかも隠元さんによって伝えられました。フォントとしては宋代に生まれているのですが、隠元さんが明末に日本に持ってきたので明朝体なのです。
頭巾の巻き方で「隠元巻き」なんていう巻き方が江戸時代に流行ったことがありました。
つまり、黄檗宗萬福寺は「いま N.Y ではこれが流行ってます」みたいなノリで、江戸時代前期の流行発信地だったのでした。
重豪が生きた江戸時代中期にはさすがにトレンドリーダーではなくなっていたんじゃないかと思いますが、それでも中国出身の住職がまだいて、鎖国日本において長崎以外で中国の文化を摂取するにはココ!な場所だったのです>萬福寺。
重豪は中国が大好きで中国語を熱心に勉強していましたから、本場の中国語会話をして中国文化を見聞するために、萬福寺へ通ったのでしょう。
そんな萬福寺、江戸時代の中国風と和風を折衷した建築や、明代の文化のあれやこれやが素晴らしいってんで、2024 年に国宝に指定されました。くわしいことは萬福寺のサイトで読んでください。
国宝に指定されましたが、まだあんまり知られていないのかそもそもお寺が観光地としてそんなに人気じゃないのか、すいているようです。
SNS でも萬福寺のアカウントが「すいてる国宝」と自嘲してます。
でも、行ったら本当に素晴らしかったのでした。いずれ、素晴らしいのが知れ渡って混雑するんじゃないかと思うので、すいているうちに行くべきだと思います。
では、なにかと忙しいので私の駄文は少なめに、写真中心でご覧ください。
建築よし 仏像よし 混雑なし ……つまり観光よし
よくわからない顔ハメがあったので、よろこんで顔をハメる私。一人旅で顔ハメは、たまにむなしくなりますw
開梆《かいぱん》という木魚の原型。打ち鳴らして時刻などを知らせました。口の球みたいなのは吐き出した煩悩だとか。
カットして研磨はされてるけど、台座などには載ってない宝石のルース(裸石)のガチャ。
すいてるだけあって、経営は苦しそうです。
和風建築でも天然の曲がり材を駆使するっていうのはあるんですが、木材をアーチ状に成型して使うって言うのは唐破風くらいしかちょっと思い浮かびません。
残念ながら、萬福寺の建築が和風建築に大きく影響を与えたということはなさそうです。
インゲンマメや明朝体も大事だけど、建築技法も影響を受けてほしかった。
中国ではお寺の棟の両端の装飾が鴟尾《しび》から鯱《しゃち》へ変化していったけれども、日本のお寺は奈良時代に伝わった鴟尾《しび》が固定化されちゃって、寺は鴟尾《しび》、城は鯱《しゃち》という住み分けが生じてしまった感じ。
黄檗宗はそんな日本の住み分けなんざ知ったこっちゃないから、明代の寺は鯱《しゃち》なんじゃーい!を貫いたってやつですかね。
鎖国が始まって百年が過ぎても、天明くらいまでは中国南部出身の住職が存在していた模様。
このあと、江戸後期には日本人の住職ばかりになります。
この×字の勾欄は中国ではありふれていたけれど、日本では珍しかったとのこと。
勾欄だから、構造としての注目は浴びなかったのかもしれない。
日本建築は何回か、筋交いが現れてはそれを使わない方向にシフトしているようです。
なぜだかよくわかりません。
構造的に強くなるのは一目瞭然なのに、否定したくなる背景にはなにがあったのでしょう?
重豪が萬福寺を訪問したのは薩摩が茶の生産に力を入れ始めたころと重なるので、殖産を考えていた重豪が技術指導を賜りにいったのかもしれませんね。
次の目的地の木幡池に向かっていたら、萬福寺の末寺の宝蔵院があって……
テンション上がったのですが「ここにあるよ」というだけで常設拝観できるわけではなかったみたいです。残念。
なにかと忙しくて駄文を略しましたが、むしろ写真中心の方が魅力が伝わったんじゃないかと思います。
独特な建築に独特な仏像。
わたしは時間と予算の都合で食べませんでしたが、重豪がドはまりした普茶《ふちゃ》料理も楽しめる、とても良いお寺なのです。いつかお金持ちになってリベンジしたい……
古建築とか古美術が好きなら鉄板で楽しめると思います。さすがに国宝。
寺域は広いのですが、受付のそばにコインロッカーがありました。
まあ、私はおそらくそこで、下着類を入れたメッシュバックを忘れてしまったと思うのですが……
バリアフリーはされてなくて、これからの課題だろうと思います。
あんまり予算も無さそうで大変でしょうが、国宝ですから頑張って!。
駅からも近いし、すいてる今こそ京都観光の穴場だと思います。みなさまぜひ。