関東攻略の重要拠点・武蔵松山城を見てきた
「夏のママチャリお城めぐり」の一環で、武蔵松山城を見てきました。 江戸時代に入ってすぐ廃城になったので、おなじ松山城でも愛媛のとちがって、 石垣や建築物はありません。
そのかわりというかなんというか、開発の手も入らず放置されたので、400 年前の縄張りが良好な状態で残っています。
なによりここは、歴戦の猛者が奪い合ったことで有名な城。
一説に新田義貞が駐屯したのが城の歴史の始まりと言われ、 1546 には北条氏綱と太田資正が戦い、 1561 には上杉謙信が攻め落とすものの、すぐに北条氏康+武田信玄に奪い返され、 小田原の役では前田利家、上杉景勝・真田昌幸・直江兼継らに攻め落とされるといった具合。
世の城というものは「一度も戦火に遭ったことがない」のが少なくないのに、武蔵松山城の、この経歴はすさまじい。
建物とかがないので、城の経歴や空掘や堀切や縄張りなどに感激できないと、なかなか良さが楽しめない城かもしれませんが……
城に登るから登城
到着。途中のドラッグストアで買った虫除けスプレーを肌が露出した部分にかけて登城開始。 あらかじめ「携帯用ベープ」を用意してたのだけど、あんまり効果がないみたいだったので、結局スプレーを買った。
階段があったのは最初の5mくらいで、すぐにこんな道というより溝みたいな登山道になった。 かなりハード。
土の城ということであらかじめ長ズボン、トレッキングブーツにトレッキングステッキも持ってきてたんだけど、それで正解だった。到着するすこし前に小雨が降り、地面が濡れて滑りやすくなってたので、登山するつもりの格好じゃなかったらかなり大変だったはず。
トレッキングステッキもね、あんなん邪魔だろーと以前は思ってたんですけど、 去年、八王子城で竹の杖を使ったら大変便利で。
それから色々しらべたら、人によるけど、ダブルステッキだったらもっとラクだって、多くの登山系ブログに書いてあったんで、思い切って買ってみたんですよ(安いやつですが)
いや、ラクだった。両手がふさがるので写真を撮るときには邪魔になるけど、
すくなくとも登り降りは格段にラクになった。
「腕って前脚だったんだー」
と実感した、そんな感じ。八王子城ではじめて杖を使って感激したのと同じくらい、ダブルステッキに感激しましたよ。
でも、そのあとすぐ片方の石突きのゴムキャップを紛失したんですけどね!
片方の羽が一部欠けてたムラサキシジミチョウ。
はーらへったー!(食べてません)
んで。
道は決して登りやすくはなかったけど、言っても高さ 60m くらいの丘。ほどなく本丸へ到着しました。
本丸、ニノ曲輪、空掘……
本丸。廃城のあと、お寺か神社があったような跡があるけど、手水舎が残るのみで、他は基礎と階段しか残ってない。二ノ曲輪に小さな神社があるとネット情報に。見落としたのだろうか?(それとも撤去された?)
だれもいないので石碑の前でシェー。
川越城の富士見櫓跡と同じく、樹木が生い茂り、眺望は悪い。 廃城になったおかげで戦国当時のそのままの姿を留める……なんて言うが、 当時はこんなに木が繁ってはなかったはずだ。
プールが見えた。そしてこちらは向うから見えにくい。ある意味、眺望がとても良い(こらこら)
しかし、武蔵松山城のすごさは、その堀の深さにありました。
草が生い茂ってて写真じゃわかりにくいけど、 とにかく空堀がでかい。深い。 とくに本丸とニノ曲輪の間の空掘は深さが 10m もあるらしい。 人力か牛馬の力しかない時代にねぇ。 ほんともう、戦争ってのはマンパワー喰いまくりっすわ。 それでも、それが必要だった時代……。
ところで、この辺でまた雨が降ってきたんですね。
この先の春日曲輪に行くにはここを降りてまた登らねばならない。三ノ曲輪は春日曲輪のさらに先。
この武蔵松山城ってのは北・西・南が市野川に囲まれた断崖になってて、東北東に曲輪を連ねた連郭式の縄張りなんですね。犬山城と同じ構造。
雨が降る中、滑って怪我しても困るし、建物が残っているわけでもなさそうなので、春日曲輪から先へは行くのをあきらめたのでした。お城好き失格、なんだろうか。このへんがニワカのニワカたるところなんだろうか(自己嫌悪)
説明も無かったのでよくわからない。ここにお寺か神社があったころの、井戸跡かなにかだろうか。
写真は撮らなかったが、トイレ代わりだったと思われる 1m くらいの深さの穴もあった。 簡単にロープで囲まれていたけど、草も生い茂ってたしうっかりすると落ちる危険もありそうだった。
そうこうしているうちに雨が本降りになってきた。下山。
岩室観音
搦手…になるのかどうかわからないけど、城の北西にある岩室観音。 弘法大師が開いたというから武蔵松山城よりも古いことになる。
こちらから本丸にも行ける(たぶん)。道の難易度は見た感じ、かわらないかな……
悪天候のせいで薄暗いためでもあるが、 もうだいぶヘバっていたのでカメラを持つ手も安定せず手ぶれしまくり。
建物は「懸造り」という京都は清水寺の観音堂と同じ、貴重な様式。
しかし景色まで同じとはいかなかったようだ。
蛙股。これはフクロウか?かわええ。
お堂の自己主張が強くて、岩室の良さが生かされてない……と感じた(えっらそーに!)
岩室系の神社によくあるアトラクション。わたしはこの手のは必ず通ることにしてるんですが……
なんと鎖場。さらに雨で滑る岩肌。へたばってる自分。トライもせずに退散したのでした。
武蔵松山城遠景。左の方に吉見百穴の一部が見えますな。ほんと、目と鼻の先。