二条城を見た。最高の文化財に感激し、自由度の低い見せ方に落胆した。
前から見なくてはならないと思いながら、ついつい後回しにしてた二条城をやっと見ました。
天守がなくてもお城です!ってのは城めぐりを始めたらすぐに学ぶところではあるけれども、
ありとあらゆるお城本で
「戦闘を考えた防衛力の高い城ではなかった」
なんて書かれてるもんで、やっぱりなんとはなしに、じゃあ後回しで……となってしまっていた。
が、なかなかどうして、当たり前だけど、ちゃんと近世城郭だったのだ。二の丸御殿ばかりがアピールされすぎてるが、ちゃんと濠があって門があって石垣があって隅櫓があるのだ。城だ。
地下鉄を降りたらそこに城。うん、ふつーに城だ。
東南隅櫓。あ、城ですなあ。
東大手門。文句のつけようがないほど防御力の高い櫓門。ああもう城だ城。
入場料は一般 600円。城の入場料の中では高い方。平成の修理前の姫路城と同額だ(姫路城は修理後、1,000 円に値上げするらしいが)。
値段は高いが、それに見合う価値がある。なんといっても世界遺産『古都京都の文化財』の一部であり、 国宝(建造物)の二の丸御殿があり、国宝(美術工芸品)の障壁画があり、国の特別名勝の庭園がある。 文化財の4冠王だ。600 円は安すぎるくらいだ。……と、思っていた。見終わるまでは。
二条城 世界遺産・元離宮二条城
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/index.html
家康が将軍就任の祝賀の儀を行った城(※ただし征夷大将軍任命を受けたのは伏見城)であり、幕末には大政奉還が行われた城。ある意味、江戸時代の幕開けと終焉の舞台になった城だ。
二条城 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E5%9F%8E#.E5.9B.BD.E5.AE.9D
二の丸御殿に入るまでは気分最高だった
天気は薄曇り。外濠。あまり幅がなく、たしかに防御力は低そう。
東大手門に明治・大正っぽい意匠のランプが。このへんは皇居と似てる。
仲間はずれの子が一枚います。
番所。二条城が歴史の表舞台から降り、将軍不在となったあいだは二条在番と呼ばれる武士たちが宿直していたそうな。はいこれ説明板のうけうり。
ジオラマがだいぶくたびれてる。兵庫県知事から「汚い。時代考証学ぶために見るわけじゃない」とクレームがつきかねない。
うちにはこれだけ文化財があるんどすえー的な自慢たらしい看板。
こんな看板にまで棟瓦をつけて桧皮葺きにするから維持費が足りなくなるのだ。苔むしちゃってるし。
最近、復元修理が終わった唐門。重要文化財。実にこう、成り上がりの徳川らしいギンギンギラギラ極彩色。日光東照宮と同じ。野暮もここまで突き抜けてると風格が出る。京都らしい洗練さはないが、これはこれで美しい。
出た。二条城と言えばコレ的な構図。こればっかり見せられたせいで、なーんか城っぽくない城のイメージを持ってしまったんだよな。
とりあえず、シェー。あああ外国人の視線が。イエース、ディス イズ モースト ポピュラー ギャグ イン ジャパーン!
二の丸御殿、車寄(玄関)。こちらはかつて極彩色だった彫刻がいい感じに古びてて落ち着いた味わいが出てる。
遠侍の間の鬼瓦。あんまり鬼瓦っぽくない。鬼瓦じゃなくて飾り瓦って言うんだったっけ?よくわからん。
遠侍の間の懸魚。私が今まで見た懸魚の中で、いちばん手が込んでいる。金かかってるでこれは。木連格子も美しい。
二の丸御殿の中は撮影禁止なので、外からじっくり撮っておかないと!
そう、中は撮影禁止なのだ。……たとえば、他の国宝の建物である四つの天守、姫路、松本、彦根、犬山は、天守内部が撮影禁止ってことはなかった。ぐっと格は下がるが同じ御殿である川越城の本丸御殿も撮影禁止なのは大広間だけで、撮影してもいい場所がちゃんとあった。
「国宝(美術工芸品)の障壁画があるからな。フラッシュは古い美術品を傷める。フラッシュ禁止にしてもルールを守らない人や操作を間違えてフラッシュを焚いてしまう人が出てしまうだろうから、全面撮影禁止もやむをえないだろう」
と、そう、納得して中に入った。納得していたのだけど。
まず、遠侍の間。狩野派による竹虎図、すばらしゅうございました。 内部の照明がごくわずかで距離もあったので細かい部分がよく見えないことに最初は腹が立ったものの、 ほぼ自然光のみで障壁画を見ることで江戸時代と同じ空気感が醸し出されてるのだと気づき、その配慮に感服いたしました。
スケッチ禁止の貼り紙に、
「え?文化財が傷むわけでもないのに?」
と思いましたが、大勢の観光客が訪れる場所でのスケッチは他の観覧者に迷惑でしょうから、
これも納得できました。スケッチはダメだけどメモはよいとのことでしたので、
そのとき書いたメモをたよりにこの記事を書いております。
式台の間。ここに限らず、けっこう十四畳間とか中途半端なサイズの広間が多く、畳の並べ方が美しくない部屋がちょこちょこあるのが気になりました。
その、式台の間から大広間にかけて狩野探幽作の松の巨木を題材とした障壁画が続く。式台の間には「狩野探幽の最高傑作」と解説がある。これが「式台の間から大広間まで全部あわせて狩野探幽の人生における最高傑作」なのか「狩野探幽が描いた二の丸御殿障壁画のうち、式台の間にあるやつが最高傑作」なのかわからなかった。 学芸員に聞けばよかったのだけど、聞きそびれた。
で、これが重要なのだけど、この展示してある狩野探幽作の松の巨木の障壁画は、複製なのだ。 本物は傷まないように展示・収蔵館へ移されているのだ。見るには別料金が必要なのだ。
複製だったら撮影させろやゴルァアアアアアッ!
てめえらが図録売りたいがための撮影禁止かよクソがあああっ!
照明がほとんどないのもやっぱ図録を買わせるためか!?そうなのか!?
入場料がタダならともかく 600 円も徴収しといて複製品見せて撮影禁止とぬかすかてめええ!
本物が見たかったら課金してね♡か?ああ?
まー、実際のところスケッチ禁止と同じ理由(渋滞の発生を防ぐため)の撮影禁止なのだろうけど。 複製画すら撮影禁止で本物は別料金となると、やっぱり、ちょっとなあ。
いや、素晴らしい文化財を維持していくのにはお金がかかる。それはわかってる。 でも他のお城や博物館にくらべても二条城の見せ方はちょっとセコすぎる。 京都という立地のよさにあぐらをかいた値段設定になってると思ったのだった。
先に述べたように国宝四天守で内部撮影禁止なんてなかったし、 江戸東京博物館は撮影できる場所を何箇所か用意していた。 そういう姿勢が微塵も見られなかったのでね>二条城 二の丸御殿。
しかしまー、実際にはそこまで怒ったわけじゃなく、
「残念なユーザ体験だったなあ」
くらいに思っただけ。
さて、ずんずん歩いて蘇鉄の間を過ぎ、黒書院そして白書院。
二条城 – Wikipedia に、黒書院・白書院は幕末からの呼称で、それ以前はそれぞれ小書院・御座之間と呼ばれていた……とある。
ここで、以前から抱いていた疑問がふつふつとわいてきたので、近くにいた学芸員さんにたずねてみた。すなわち
「黒書院・白書院とは何か?建築様式のちがいなのか、それとも用途や使用者に合わせて白・黒が決まっているのか?」
という疑問だ。
さすがに学芸員(たぶん)、スラスラと答えていただいた。
・二条城の黒書院・白書院は江戸城の書院が黒書院・白書院と呼ばれているのに倣ったもので、それ以前は別の名前で呼ばれていた。だから、二条城の黒・白にはそれ以上の由来はない。
・江戸城の黒書院・白書院の名前の由来は(一説によると)木材の色から名付けられたらしい。すなわち建材に黒っぽい木材が多かったので黒書院、白っぽい木材が多かったので白書院。
豆知識がひとつ増えた。なんでも聞いてみるもんだ。
庭園・本丸・天守台などなど……
外へ出た。これは二の丸御殿大広間を外から。
国の特別名勝の庭園は、見ても美しいなあと思うだけで、よくわからないのであんまり写真も撮らなかった。 のちに全国の庭園めぐりが趣味になって後悔する日がこなきゃいいのだけど。
左から大広間、式台の間、遠侍の間。撮ってもいいって、とっても良い。
これはなんでしょう?
大広間の縁側の下にあった金具。江戸時代の人も、ロープかなんか張るために丸環の金具をぐりぐりやったのだと思われ。のちに世界遺産になるとも知らずに。
本丸御殿。平行移動して撮った二枚を手作業で合成。
本丸御殿の屋根のジャベリンみたいなの。なんだかわからない。避雷針?
奥の屋根が、本丸御殿の台所(国の重文)の屋根。なんでこんな変な構図で撮ってるかというと……
工事中のゲートがあって、これ以上、近づけないからだ(写真はゲートの下のすきまから)。修復作業中かもしれないと、ここはあきらめがついたが。
二の丸御殿の御清所の前。フラグが立ってないので通過できないタイプの障害物が行く手を阻む。
「ソノ ホウコウニハ ススメマセン」
あれに見ゆるが二の丸御殿の台所(国の重文)。もっと近くで見たいのにー!ていうか、別に修理してるわけじゃなさそうなのに……なんでとおせんぼ?
おお!国の重文にして埋門!それは見たい!
「ソノ ホウコウニハ ススメマセン」
そこを曲がったところが見たいのにー!別に修理してるわけじゃ(略)
おお!北大手門(国の重文)
「ソノ ホウコウニハ ススメマセン」
別に修理して(略)
池泉回遊式山水園(和風庭園)からなる和洋折衷庭園の清流園。冬なので何も咲いてない
「ソノ ホウコウニハ ススメマセン」
いや、いいけどさ。ここを通行禁止にする理由ってなんなのよ?
オフシーズンなんだから歩くな、よけいなことすんな…てこと?なにそんなギスギスしてんの?
そして、説明はなくとも名前の書いてある看板が出てた西門はいいほうで、他の小さな門や倉庫は重文の建物であっても看板すらなかったりしてた。
説明看板ってのは、あれば野暮なもので、ない方が洗練されてるっても言えるのだけど、二の丸御殿での説明っぷりや先に出した重文指定一覧の看板を見るに、ダサいから看板を用意しなかったわけじゃなさそう。
名称看板がないから、重文の撮影漏れがないか確認するのに非常に手間取った。
「残念なユーザ・インタフェースだなあ」
と思わざるをえなかった。
これは悪意のある勘ぐりが過ぎるのかもしれないけれど、ここまで通して感じたことをまとめると、どうしても
二の丸御殿と季節の庭園と本丸御殿と天守台を見ろ。あとは見なくていい。そして展示・収蔵館で本物を見て図録を買え……そう言ってるようにしか思えない。のだった。
ちなみに私は展示・収蔵館へ行きませんでした。なぜなら展示・収蔵館という建物の存在自体に気づいてなかったから。重文の建物を漏らさず撮影するだけで頭がいっぱいやったんよ。
本丸の楼門。教科書どおりの近世城郭の虎口。まごうことなく、城。
水飲み場。今でも使用できるのか、昭和の遺物かはよくわからない。
天守台。江戸城の天守台よりかなり高い。江戸城のように丘陵の上の城じゃないから、天守台を高くしないと物見の役目が果たせなかったのだろう。
天守台から見た御殿群。すばらしい。
見せ方にはがっかりしたけど、この城にあったものは間違いなく超一級品。すばらしい文化財ばかりだった。
もうちょっと、自由に見たり、撮ったりできたらねえ……
なんか、過去の傑作RPGがスマホ版になって使いにくい UI とあさましい課金システムでがっかり移植されたような、そんな感じだった。
世界遺産・二条城一口城主募金
http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/bokin/info.html#021日城主
1日城主には日ごろはお入りいただけない非公開文化財の内部や御殿室内、修理現場などを御案内。 実施は半年に1回。100万円以上の寄付者の方はもれなく、1万円以上100万円未満の方は抽選でペア10組。抽選権は寄付額1万円ごとに1口。
課金ゲーか(しつこい)
文化財の維持にはお金が必要だ。それはわかってる。でもやっぱりそこにギブ アンド テイクは必要で、入場料に見合ったものを見せてくれない城に、それ以上お金を落とす気にはなれない。
一口城主になれるほど財布に余裕がない私だけど、訪れて、値段以上に楽しませてくれたお城ではおみやげなど買うようにつとめてる。残念ながら二条城ではそんな気持ちになれなかった。せめて重文の建物の外観くらい、通せんぼせずに近くで見られるようにしてくれなきゃ。
二条城の外から、東南隅櫓。
こちらは西南隅櫓。入場料を払わずに撮れる部分の方に、ちゃんと城郭してる二条城がよく現れてるというね。
城の外から見た、南門。この美しさ。しつこいほどくり返すけど、モノは最高だった。
余談
二条城ってやつは、ご覧の通り、東西南北に対して5度ほど傾いてます。 これがなぜなのか諸説入り乱れて議論紛糾してるらしいのですが、決定打的な理由は見つかってなかったはず。
せっかくなので私見をのべておきましょう。
とくに深い理由はない。
……なんじゃないかと。たしかに正確な東西南北が計れる時代ではありましたが。 なんか掘りはじめたら固い地層に当たったから計画変更したとか、 東西南北を計ったやつがケアレスミスしてずれたんだけど、まあ、いいかー的におおらかに処理したとか、 そんなんじゃないですかね。
宗教とか風水とか防衛上の理由とか慣習とか、現代の我々は何か意味を見出そうとしてしまうけれども、 真相が書き残されてないときには、書くほどの真相がなかった可能性も考慮しないと。