街道、古道、歴史のある道
行行重行行(行き行きて重ねて行き行く)
……中国の古詩より(作者不詳)
この記事は、単独で記事を立てるほどでもない街道や古道・歴史のある道を紹介するための記事です。ときたま更新します。
単独記事をたてるまでもない史跡や単独記事をたてるまでもない土木と被るんですが、
「街道って1ジャンルとして独立してて需要あるよね?ね?ね?」
と思うので、単独記事をたてるまでもない街道のための記事を建てました。それが、いまあなたが読んでいるこの記事です。
いまのところ一件しか登録していません。
この記事内では新しく書かれたものほど、上になる予定です。
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白虎隊激戦の道。東北自然歩道(福島県会津若松市)
訪問日:2018-08-20
戊辰戦争の時、戸ノ口方面に出撃を命じられた白虎隊が出撃に使った道です。沓掛峠の手前、強清水から戸ノ口原古戦場までを歩きました。こういうのは、やっぱり自分の二本の足で歩くべきなんですよ。足腰がしっかりしているうちに。私ももう人生、後半戦ですからね。
会津若松駅前からバスに乗り、強清水で降りました。ここからスタートです。
戸ノ口原古戦場へ行くには猪苗代からバスで会津レクリエーション公園(新政府軍の陣があった)へ行き、少し歩くという手もありますが、私はこの出撃路をトレースしたかったので強清水に行くプランを採用しました。
ぶっちゃけ、この出撃路についての適切な名前がなくて困ります。「旧滝沢街道にいたる道」なのですが、このへんは滝沢峠から離れてますし、江戸時代の整備跡も少ない。分岐点に案内石があったりはするのですが。
広域で、東北自然歩道の一部なので、その名前を採用しましたが、範囲が広すぎてしっくりきません。
「新奥の細道」なる別名もあるようですが、芭蕉はここに来てないので、それちょっとどうよ?と思わずにいられません。 芭蕉が来なかったことを惜しんで名付けたって、それが通るならなんでもありやんか、という。
まあまあ>俺。どうどう、どうどう>俺。
近くに「戊辰の役 殉難 会津二十二士の墓」の説明板があったので、たぶんこれがそうかと思ってそれ以上近づきませんでした。 でも、ネットで調べると墓は説明板から少し山を登った位置にあったようで、この石碑じゃなかったっぽい。じゃあ、こいつはなんなんだー。
横着せず藪をこいで近づいて、
「ぐわあ、土地改良記念碑wwwwwFFFFFFUUUUUUUUUUUUUU!!!!!」
みたいな呪詛を吐くべきだったようですな。
私は墓があまり守備範囲じゃないので、目につく範囲になかったら説明板だけ撮って、墓自体は探さないことが多いです。
新四郎堀。単なる用水路に見えるでしょうが、実は江戸時代に新四郎という人が作った単なる用水路です。
単なる用水路ですが、戸ノ口原の戦いでは白虎隊がこの濠を塹壕代わりにして戦ったと、生き残りの方が絵に描いて残しています。
なにげに絵が上手い!
出撃前に野営した山なんかは新四郎堀より東にあるので、撤退するときに一時的に濠に隠れたんですかねえ。
新四郎堀の縮小無し写真をPIXTAで売ろうとしましたが審査で落ちたので、pixivFANBOX の支援者向けコンテンツにしました。 ヘボ写真ですが原寸で見たかったらぜひ支援者になってください。https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/326460
強清水から戸ノ口原古戦場への道は平坦で歩きやすいです。アスファルト舗装はされてない部分が多いものの、車で通行可能でしょう。自転車バイクは言わずもがな。
出撃前の白虎隊が野営した菰土山。山と言っても、まるで菰で土をかさ上げしたような小さなもので、ほんの数メートル高くなってるだけの部分です。
白虎隊が一時的に身を潜めた塹壕の跡がこの先にあるらしいんですと。
これかなあ。たぶんこれだよなあ。堆積物でずいぶん浅くなっていまってました。
史跡ということで審査が甘くなるかと思ってPIXTAに申請しましたが落ちました。
というわけで、こっちもpixivFANBOXの支援者向けコンテンツにスライドさせております。ヘボ写真ですが原寸で見たかったらぜひ支援者になってください。
>姥山塹壕(3648×2736ピクセル)|桝田道也|pixivFANBOX
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/318670
この白虎隊出撃路(別名 東北自然歩道/新奥の細道)からすぐ入っていける感じに、国指定天然記念物『赤井谷地沼野植物群落』があります。ホロムイイイチゴ分布の南端として貴重であり、昭和天皇陛下も来られた場所とのこと。
雰囲気はいいのですが、いかんせん、野草の知識を持っておりません、私。楽しみようがない
天然記念っぽい部分はあまりわからず、句碑を撮って撤退したのでした。野草クラスタからしたら「それをスルーとはとんでもない!」な話だろうと思いつつ。
新四郎堀や菰槌山、姥山塹壕に赤井谷地沼野のあたり、草木が生い茂っておりましたが、実はこのへん、それほど深い山道ではありません。
戸ノ口原の合戦の地となったほどですから、当時は樹木のない平原だったのです。先に示した白虎隊生存者の描いた絵が当時のリアル。
なので、30分も歩くと森(林?)を抜け、道路もアスファルトになりました。磐梯山がかっこいい!
というわけで、戸ノ口原古戦場跡の石碑がある場所に到着。いったんこの項は終了。