訪問日 : 2025-01-04
兵庫県赤穂市に坂越という歴史的景観の残る港町があります。
島津氏を始め、西国大名が参勤交代で海路を使ったとき、この港を利用しました。
参勤交代で利用された兵庫の港はほかに室津(たつの市)があります。
こちらの方が港としても宿場としても規模が大きく、島津氏も琉球使を江戸に連れていくときはたいがい室津の方を使ってたみたいです。
室津には「薩摩屋」なる本陣までありました。
薩摩屋を始め六軒もの本陣があったということですから、日本屈指の宿場町です。
が、かつての繁栄も参勤交代が消えると同時に雲散し、いまや室津を見に行くにはバスで 50分 くらいかかります。
一方で坂越は坂越駅から 1.5km ほどです。
宝暦十二年の島津重豪が出府の際に坂越を使ってるので、取材をかねて坂越からの日の出を見に行ったのでした。
ほぼほぼ「日の出を見て帰った」のであって、じっくり回った観光ではありません。
もったいないことをしました。行ったらとても良かったので、いずれ再訪したいと思います。
形が良いので勝手に「播磨富士」と呼びました。でも通常、播磨富士というと加古川市・高砂市の最高峰である高御位山を指すそうです(最高峰だから富士、であって形は似てません)。
尼子山もシルエットは富士山っぽいのですが、明るくなるとむきだしの巨石とかが目立つので、そのへんが「播磨富士」と呼ばれない理由でしょうかね。
通学路ということなんでしょうが、「文」を枠で囲んであるのが気になって撮っちゃったやつ。
日の出を見て、お店が開く前に退散したので、坂越で使ったお金はこのコーンポタージュ代だけ。ちょっと申し訳ない気持ち。
木戸門で不審者の侵入をふせがねばならないくらいに繁栄した港町であったんでしょうね。
今では歴史的景観の残る――つまり明治以降の開発がそんなになかった港町です。
歴史的な建物がすごく残ってるわけじゃないけど、ほどよく残ってます。
つまり「重要伝統的建造物群保存地区」には今のところ選ばれていません。
高さは当時のものと同じくらいで、土台の部分の幅と奥行きを1/2にしたレプリカだそうです。予算の都合でしょうか。
なるほど、あの島があるから静かで港に適していたんだな、というくらいのことは説明版を読まなくてもわかります。
坂越が参勤交代で使われたということ以外は何も下調べせずに来ていました。
なんか、たいして何も残ってなさそう…て思っちゃってたんですよね。でも、そんなことはなかったのでした。
島の名前は生島《いきしま》。
>生島 – Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%B3%B6
古来より神地として立ち入りが禁止されており、現在も関係者以外は立ち入り禁止です。おかげで自然の森が残っていて学術的に貴重な島となっています。国の天然記念物。
また、島には秦河勝の墓もあります。秦河勝は渡来人(帰化人)の子孫で、聖徳太子に強い影響を与えた人物です。現地説明版には蘇我入鹿の乱を避けて坂越に来たといわれている、とありました。入鹿の乱とは、入鹿が山背大兄王(聖徳太子の子)を襲撃した事件のことでしょう。
秦氏は島津氏の遠い遠いご先祖だとされます。また、秦河勝が作った「六十六番の物まね」が猿楽の始まりと言われ、秦河勝は能楽の祖として尊敬され、芸能の神として信仰されています。
まさかそれで重豪が室津ではなく坂越を多用したんじゃないでしょうけどね。
これは説明版にあった空撮写真。なるほど納得の静かそうな湾ですわ
これだけ杖があるってことは、坂越に観光に来る人はたいがい宝珠山あるいは茶臼山まで行くのでしょう。
私は下調べも無く、重い荷物をカートでひきずってたので登山はあきらめました。
つぎに来るときは、きちんと計画を立てて荷物はコインロッカーに預けて登山しましょう。
曲輪っぽいなと思ったら、「坂越浦城/坂越城/坂越砦」などと呼ばれた城があったとのこと。
図らずも城址訪問実績をひとつ解除ですが、現時点では攻城団に登録されていません。砦に近い小さな城だっただろう、とのこと。江戸時代は赤穂藩の御番所がありました。
いかにも虎口っぽいけど、江戸時代からあとの人が軍事じゃない目的で階段を作ったとしても、やっぱり折れを作って上りやすい勾配にしただろうと思うんですよ。
日の出を撮ったらそそくさと退散してしまったのですが、せめて現代の坂越港とか生島にいちばん近い場所のあたりまで行くべきだったと悔やんでます。いつになるかわかりませんが再訪問への宿題ですね。
電柱みたいな縦長の物体があると、コンピューター様はパノラマ合成をトチりがち。
1/4 だったから私の他に誰もいませんでしたが、元旦には初日の出スポットなんでしょうね。
見るもの見たので帰ります。お店が開いてる時間だったら楽しかったのかも。
大避神社の参道に、こういうカフェだか雑貨屋だかアートギャラリーだか、みたいな店が数軒あって、雰囲気よさげ。
旧坂越浦会所。内部も見学可能ですが早朝だったので開館しておらず外観だけ。
「重要伝統的建造物群保存地区」ではないので目を見張るほどじゃないけど、なかなか良いです。
明るくなって気づく、かっちょいい法面保護。グニャリ感が良い。
恥ずかしながら尼子山城のことを知らなくて「幟が作られるほどの城!?」と驚きました。
関東以外の城はなかなか行けないから、勉強もおろそかなんですよね……
調べてみたら、城址遺構としての見どころ以上に、巨石とか眺望がすばらしいようです。私も行きたくなりました。
なるほど、登山スポットとして人気で、それで幟が作られてたわけですね。
> 尼子山城 – 姫路コンベンションサポートhttps://hcs.or.jp/amakoyamajo/
チェリオさん、そんなデザインのトラックだったんだ(動揺して?ピンボケたwww)。
コミュニティバスの名前が「ゆらのすけ」。たぶん 47 人は乗れない。
でも形がいいから、こっちのほうが「播磨富士」に合ってると思うなー。
千草川の渡し舟跡。説明版その他が見えたけど、疲れていたので降りず。
ピンボケてよく読めませんが「つづれや」。21エモンLOVEの念が沸き上がってほっこり。
旅館ではなく緞通《だんつう》(敷物の一種。手織りの厚手絨毯)のしみぬき・お手入れ専門店でした。
>つづれやについて | 日本三大緞通のしみ抜き・お手入れ|つづれや http://dantsu-shiminuki.com/tsudureya.html
私が子供の頃にくらべたら禿げ山ってかなり減ったと思いますが、山陽山陰ではまだチラホラ見かけますね。
赤穂線ってもっと本数があるような気がして、電車の時刻を確認せず駅に戻ったんですが、40分くらい待つことになりました。もうちょっと坂越の町を探索できましたね…
いずれ再訪してじっくり楽しみたいと思ってます。が、尼子山にも登りたいし宝珠山展望台もしくは茶臼山展望台にも行きたいし、それを1日でこなすような時間と体力があるかな……と思わないでもありません。