訪問日 : 2025-01-04
『識りたがり重豪』の取材の一環で、兵庫県たつの市の龍野城に行った帰りに、たつの市武家屋敷資料館の前を通りがかって
「へえ、そんなものが……」
と、なりました。
下調べしてない訪問だと、そういう予定にないけど見たいものがチョイチョイありあす。
私は古民家も武家屋敷も好物です。
この日のタスクは終わっていて、時間の余裕もあったので見ることにしました。
引いた絵はストビューでも見てください。
https://maps.app.goo.gl/rVb3aZCKxELYu8yWA
市のサイトでは脚立を使ったのか、ちょっと高い位置から撮ってますね。
いずれにせよ塀があって、広い庭などはないので全体像はうまく撮れません。
ドローンを使って真上から撮ることはできるでしょうが。
たつの市武家屋敷資料館/たつの市ホームページ https://www.city.tatsuno.lg.jp/soshiki/1028/gyomu/7/2475.html
それほど大きな屋敷じゃないから、家老職を務めるような上級武士じゃないとわかります。
とはいえ、塀があるくらいですから、足軽身分ということもないのでしょう。御目見え以上ではありそうです。
……というくらいのことはわかるのだけど、中級なのか下級なのか、そのへんが私の知識量じゃわかりません。
上級・中級・下級・士分以下(足軽)のいちばん上といちばん下じゃないのがわかるという程度。
パンフレットによれば、この建物は「芝辻平左衛門」という武士の屋敷だったとのこと。寛政10年(1798)に完成。はいダジャレ出ました~。拍手~。やんや、やんや。
たつの市による推測ではありますが、およそ二人扶持で、御流格もしくは御盃格の武家だっただろう、とのこと。
御流格もしくは御盃格というのは、殿様の前でお酒をいただける格ということでしょう。まあまあ中級っぽい。
しかし二人扶持となると、時代劇によく出てくるフレーズ「30俵二人扶持」が思い出されます。
サンピンよりいくぶん上ですが、あんまり裕福という感じじゃないクラス。
現代的に言えば、ヒラ社員よりちょっと上な係長くらいなんじゃないでしょうか。
このときは気付いてなかったんですけど、この家紋の部分は すりガラスです。
つまり、近年まで居住されていた建物であり、市は譲り受けたあとある程度は江戸時代当時に合わせて復元したものの、徹底的な復元はしなかったということです。
それでいいと思います。明治~昭和の痕跡も、それはそれで価値があるものです。
史料の乏しい「江戸時代」に無理に合わせるより、現存の「近代日本建築」の方が価値があります。
鬼瓦。昭和には青緑色の瓦が好まれましたからね。復元の際に黒に交換して鬼瓦だけ残して展示したとかでしょうか。
>
市のサイトには”この武家屋敷資料館は、建物自体を資料とした考え方で整備を行っているため、特別な展示はありません”と書いてあるのですが、すこしは展示物があったのでした。
ふすまは復元の際に新調したんでしょうね。上級武士じゃないから無地のふすまって感じなのかな。
>
と、ここで、管理員の女性から
「歴史的なもんちゃいますけど、この時間しか見れへんので、よかったら……」
と案内されました。
大正か昭和かわからんけど、センスあるわ~。うっとりしました。最高。
これを見に行きたい!という人のために参考までに書いておきますと、撮影日時は 1月4日 13:12 です。
もちろん、すりガラスなので、これが江戸時代のものじゃないことはわかります。そもそもあらかじめ
「歴史的なもんちゃいますけど」
と聞かされてるわけですし。
「市にこの建物を寄贈したひとの家紋ですか?」
と、たずねたら
「それが、たぶんちゃいますねん」
というご返事。
実はこの屋敷、持ち主がちょくちょく変わっていたらしく、このすりガラスは前々住人か前々々住人が入れたものじゃないかと思われるが、よくわからないのだそうです。
ということは戦後じゃなくて大正~戦前あたりのものなのかな。大正のセンスっぽい感じはしますね、なんとなく。
上級武士じゃないとはいっても二人扶持。八畳間×1に六畳間×3、そして離れもあります。
>
離れ。江戸時代から二階があったのか、近代に増築したのかはよくわからない。
>
トイレ。近年まで住人がいて木製便器を使い続けていたとは思えないので、復元でしょう。使用できません。
>
「離れ」にも床の間あり。主人の書斎的な場所だったのかも。
>
井戸とか水道とかは土地によってはものすごい贅沢であるのが江戸時代。
二人扶持クラスで家に井戸が持てるというのは、それだけ地下水が豊富であることの裏返し。
なるほど、揖保川の地下水(伏流水)が豊かで、だからこそ醤油の町であり、そうめんの町なんですね。
そうめんの味の決め手は水と塩なんだそうで、たつの市は赤穂に近いのです。
まあ、なにはともあれ。
すごく貴重な建築というわけじゃないけれども、光の芸術を生で体験するためだけに足を運ぶ価値があると思えるスポットでした。