2018年の夏に18きっぷで会津戦争に関連する城をめぐったんの総まとめ
長きにわたった2018 夏の旅行記、これが総まとめになります。
2018/08/17~18
出発したのは 2018-08-17 日の 22:30 頃。
今回の目的地は福島県で(そりゃそーだ)、日本海側から回る予定でした。 すこしでも18きっぷを有効に活用するため、前日のうちに大宮まで移動して 0:00 を待ちます。
ジョルダンで検索すると、目的地が村上駅(新潟県)の場合、上野始発で出発すると到着は 15:03 。ところが高崎始発で検索すると、到着は 15:03 。なんと 0 分も時短になるのです!……あれ?
いやいやいやいや、なんかおかしい。現に私は 12:59 には村上に着いているのだから。
ああ、そうだ。ジョルダンまかせにすると最短経路をとるため新津で 110 分も待ち合わせさせられるのだ。新潟まで行くと、11:41 発の村上行に乗れて、12:57 村上着となるのです。二時間近く節約できます。
そして、私の現住所から行きやすい範囲で高崎行きの終電へ 0:00 を過ぎてから乗れる駅であるのは、浦和、さいたま新都心、大宮の3つ。焦らずにすむように、大宮駅で午前0時待ちをしたのでした。
旅行中はどうしても糖質過多になるので、自作の乾燥野菜など。これは茄子をペーストにして乾燥させたもの。まずそうでしょう?実際、おいしくありません(食べられなくはない)。
旅行から帰る途中にみすず学苑を見ると、
「ああ、東京に帰って来た」
という奇妙な嬉しさをかんじますが、これから旅に出るぞ!というときに見かけるとげんなりします。
大宮駅ホームのエコベンチ。サッカー場の古くなった芝生を切り取ってアクリス樹脂で固めたもので、どのへんがエコなのかわかりませんけど。
この旅行記、あまりに時間がかかったので、過去のツイートやブログと重複あります。もういちいち確認してられないので、大目にみてくださいませ。
大宮駅が、浮浪者対策なのかコンコースに待ち合わせ用のベンチなど無くてしんどいんですよね。 まあ、私は浮浪者一歩手前みたいな人間なんで、遠慮なく地べたにあぐらしましたけど。
そのあとはずんどこ電車に乗って(夜なので撮るものもない)高崎駅へ。けっこうかかりますよね、大宮から高崎まで。約1時間 15 分。
高崎駅では、とりあえず改札前のベンチで腰を下ろして、さて、駅寝させてもらえるのかどうかと悩んでいたところ、JR職員の方に
「始発待ちですか?どちら方面へ?」
と尋ねられたので、どうやらここで寝てていいらしいと判断。駅寝させてもらいました。
ちなみに 2019 の高崎駅ではいかにも「駅寝する不審者はいねがー?」みたいな顔つきで巡回している警備員がいたので、たずねもせずに駅ビルの近く、ホームレスが何人か寝てる場所の近くで私も寝ました。なので、高崎駅が駅寝できると勝手判断しない方がよいと思います。
後ろは一晩を明かしたベンチ。
手前は「その左端の赤い三角のとこから開けるんちゃうんかい!」と憤慨したホールズ。
自然景観の見どころの多い上越線ですが、ここは特に良かったです。
以前に名胡桃城を訪問した際、後閑までは行ったことがあったのですが、その先の断崖や渓谷の妙にはなかなかしびれました。
諏訪峡。うわー、その橋脚の足元の小さな階段、行ってみてぇー!
上越線は、どうしても水上 – 長岡間のつながりがね……。ここで乗り換え待ち 60 分。
まあ、乗り換え待ちのあいだのブラブラも、18 きっぷ旅行の醍醐味ですわ。
煮麺《にゅうめん》を冷やしてるわけだから、冷にゅうめんで何も間違いないわけです。ただ「ひやにゅうめん」なのか「れいにゅうめん」なのかちょっとだけ気になりました。
「おきりこみ」、ではなく「おっきりこみ」。ぶっつける、けっとばす、ぼっけもんみたいな意味での意味を強める小さな「っ」。いわば「御ッ切込」。
小麦粉の塊をわざわざ!切り込んで!やったんだぞ!ありがたがれぇ~い!みたいな感じで(どんどん誇張していくパターン)
これは嘘なんですけど、女性の胸をオッパイと呼ぶのは、そのむかし「御杯《おはい》」と呼んだ所からきているんですね。 杯というのは液体の入ったふっくらした形の容器を意味しますから、子育て中の大きく張ったお乳を杯(さかづき)に見立て、 それはもう子供を育てる大事な部分ですから「御」を加え、平安時代に「御杯《おはい》」と呼ぶようになったんです。 それが変化して「おっぱい」になったのですね。
ええ、最初に申した通り、ぜんぶ思い付きのデタラメですが。
廃墟ホテルは鬼怒川が有名ですが、みなかみ町もなかなかのもんです。
あと 50 年維持したとして、軍艦島みたいな価値を生むかと言うと、そんあことァないんでしょうが。
やー、でも懸け造りも多いし、ぶらぶらしてて楽しい駅周辺です>水上。
唐突に草鞋《わらじ》の展示。もうすこし説明してくだしい……。ここから峠越えなので草鞋をはきかえたとか予備の草鞋を購入したとかなのかな?
朽ちかけた吊り橋がありました。渡ることはできなくなっています。
水上温泉の施設の一部だったようです。
>水上温泉の廃吊り橋 – 廃墟検索地図
https://haikyo.info/s/8711.html
下の方は何を禁止しているのか、すぐには理解できず 10 秒ほど悩んでしまいました。空き缶ポイ捨て禁止かー。
道端のコンクリ法面に埋め込まれていたプレート。昭和39年の水上町の信条。
五輪東京大会を祝福し記念する。
平和自由博愛を住民の真情とする。
明るい住みよい町づくりを町是とする。
観光客を真心こめて送迎する。
オリンピックに対する、この温度差よ。
ここから新潟までは、わりと寝落ちしたり起きたり。土合駅はのぼりだから地下ホームの方でしたけど、降りるわけでもなければ何か見るってものでもなく。というか、そのときボックス席の通路側だったので撮ろうにも撮れず。
なんとなく二十歳前に千歳大橋を渡ったことがあるような気がするんだけど、行ってるはずはないんですよね。旅番組か本で読んだ知識を自分の記憶と誤認識してるんでしょう。
村上駅前。おお!良い地方都市だ!(天気が良かったので好印象)
藤基神社。こういうのにいちいち足を止めてたらすぐ時間がなくなるので説明板だけ撮って鳥居はくぐらずスルー。
>城下あっての城郭!越後国村上城 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=9893
日本海も見えて、旅情は最高潮でした。
ただ撮るだけではもうしわけなかったので、『酒びたし』なる珍味を自分用おみやげに購入しました。
名前から誤解して
「日本酒に浸して干すんですか?」
と聞いたら
「ばか言わないでよ。うちは何ンにもつけないで干してるよ」
と少しムッとした口調で言われました。なんかトンチンカンな質問してしまったようで。
あとで検索したら酒に浸して食べるとうまいから『酒びたし』というはなし。わからんし!俺氏、叫びたし。←巧い。←自分で言うな。
つまりは干し鮭を食べやすいサイズに切っただけのもので、鮭とばが好きなら安定の鉄板のマストだと思います。
酒に浸して数分待って食べたら美味しいかと言うと、特に変化はなかったな……というのが私の感想です(写真は撮り忘れました)
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見たいものは見たので駅へ。村上城が思ったより良かったので、すでに予定を1時間オーバー。
「皆んなで 鮭の子をふやしましょう」
ぼく「わかりました!で、どの筋子にぶっかければいいんですか?」(←やめなさい)
つまり、こう言えば良かったんだよな。”鮭の子をふやしましょう”じゃわかりにくいってば。
>しがつさんはTwitterを使っています: 「駅でこのポスター見かける度にこのおばあちゃんがぜんぜん詐欺にひっかかるように見えなくてむしろ元軍人・凄腕のスナイパーで引退後は表向きには雑貨店を営みながら秘密裏に武器や兵器も取り扱っておりこの電話も旧友から国をも揺るがすデカい発注があった瞬間くらいに見えるんだよな?? https://t.co/aJBe5sUnGC」 / Twitter
https://twitter.com/ap_32/status/1114845620089397249
このツイートが話題になったのは 2019 年の 4 月なので、2018 年 8 月の私はそれを知らずに撮ってるわけですが。
私は「これ、ひっつめ髪がなかったら渋いオッサンだよな」と思ってこんな写真を撮ってました。
村上市も村上城も村上駅も良かった。なんといっても「鮭と酒と情けの町」というコピーが良いです。
さて、1時間オーバーだから日没までに間に合うかどうか、おそらく中には入れまいが、せめて外観だけでも……ということで新発田城へ向かいます。
ええそうです。下調べをしておらず、新発田城の復興天守は諸般の事情でそもそも内部観覧ができないということを把握していませんでした。
村上駅にて。このカラーリングは先述の鯉のぼりを意識したものなのかしら。
新発田駅前。なぜ柱を避けずに撮るのか。そうとう焦ってます。この明るさですが時刻は 17:57。
これは非常に興味をひかれました。
つまりスタンダードな信号機では、車用が横、歩行者用は縦となっているため、区別しやすいわけですね。 この横信号を見なければ、そんなことを考えもしなかったでしょう。
ちなみに車用の信号機が横配置なのは、京都に設置したときに縦だと看板などに隠れて見えづらかったため、視認しやすい横配置が普及したのだそうです。
とくに規定があるわけでもなく、なんとなく車用は横、歩行者用は縦がスタンダードになっただけ。結果的に区別しやすくなりましたが、わざわざ区別しやすくするためにそうしたのではないようです。
そもそも車用信号機が横配置主流なのも、日本と韓国だけで、世界的には縦配置が主流とのこと。
そして、雪の深い北国では積雪面を小さくしたいために縦配置が主流になったわけですね。
ここで、新発田市の交通行政に関わった人は考えたのでしょう。歩行者用信号をアーケードの下に配置すれば、積雪は気にしなくていい。 だから、車用信号が縦配置なら、歩行者用を横にすれば、区別しやすくなるぞ……と。
原理原則の意味で、このアイデアは理解できますし、おそらくアイデア段階で感想を聞かれたら、私は賛同してしまいそうです。
しかし現実の実装を見た私は、
「これ、他県民の運転手に事故を起こさせるトラップなんじゃねえかな」
と思いました。どっちも同じ向きなら
「注意せねば!」
となるけれども、完全に入れ替わってると、それはもう誤解誘因装置。
ともかく、珍しいものが見られて感心しました。
新発田城はやはり間に合わず、堀の外から外観を眺めただけでした。日没前に到着できたのが救い。
>へんなお城。越後国新発田城 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=9902
ちなみに新発田駅では一脚兼トレッキングポールをトイレに忘れてしまいました。すぐ気づいて電話すると、発見はされてました。が、受け取るための手続きが面倒。今日中に新潟駅に届けてくれたら受け取れるんですけどー……というわけにはいきませんでした。後日、郵送してもらうハメに。
乗り換えの新津駅から見えた光景。常駐の屋台なのか、お祭りだけの山車なのかわからず。
さて、新津から磐西真の目的地である会津に到着。あいかわらずのアバンギャルドな赤べこがかわいい。
越後から会津への道は新発田からなんですねえ。 村上藩と会津藩の関係は深いものがあり、村上藩の佐幕派は逃走して会津入りしているので、村上と喜多方を結ぶような街道があるのかと思っていました。 無いんですねえ。
というか、喜多方と村上の間は 1500m~2000m 級の山々が連なってて、とてもじゃないけど街道どころでは……という感じです。
>越後街道 (会津街道) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E8%A1%97%E9%81%93_(%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%A1%97%E9%81%93)
ボタンを押した記憶はありますが、首をふるだけだったか、音声的なものが流れたか、まったく覚えておりません。
はじめての会津、二回目の会津と同様に出迎えてくれる白虎隊の銅像。
2018/8/19
18 きっぷの旅でしたが、この日と翌日はずっと会津若松城下をめぐる日だったので 18 きっぷは未使用。なので四泊五日の旅行ながら 18 きっぷは 3 回分しか使わない旅行でした。
朝。会津若松城に向かいます。途中にあった菅原神社のケヤキ。なかなかの巨樹。
「100 100 100」
語彙力が無くなってしまった自販機。
というわけで会津若松城。しかしこの日は城下の史跡巡りが目的だったので、天守には入らず。
>2018 年の 陸奥国会津若松城 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=10017
天守内部は 2010 年に一度、見ているので。もちろん何度見てもいいんですが、この日は他に見たいものが山ほどあったので、観光案内所が開いたらすぐレンタサイクルを借りて若松城を後にしました。
>2010 年の陸奥国会津若松城 | ブログ桝席
http://www.masuseki.com/wp/?p=9906
会津若松市周辺にはいたるところに慰霊碑があります。こういう下調べで行く予定に入れてなかった史跡にいちいち止まってたら時間が足りなくなるわけですが、しかし、予定にないサプライズこそ旅の醍醐味でもありまして。
>会津をたずねて八十里。殉節越後長岡藩士の墓と碑(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#nagaokatomb
会津盆地における水運の大動脈、阿賀川(阿賀野川)。高田橋から。
当然に会津若松の南の外郭ラインと思うのだけど、不勉強にしてこの川を挟んでどのような戦闘があったのか知らない。
会津若松市を離れて会津美里町へ。名前の通り美しい里の町ですわい。
なんとなくまっすぐ南に進んで会津美里町に入った記憶があったんですが、これはちょっと記憶違い。実際には東と西の位置関係なんですね、若松市と美里町。コンビニおにぎりでよく見かける会津高田梅はこの会津美里町の名産品(平成の大合併で会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して会津美里町に)。
さわやかな夏空、おいしい空気、目に麗しい田園風景の中をママチャリで進む幸せ時間。
会津戦争で撤退する会津藩士によって放火された集落、関山に沈痛な思いを馳せるなど。
>燃やされた宿。関山(福島県会津美里町)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#sekizan
その関山の戦闘で死んだ戦死四十人の墓。これを見たかった。ストビューでも見られるこの慰霊碑を生で見るために自転車をこいだ。夏の暑さと木陰、せせらぎと音と共に体験は記憶に刻まれた。
>うん!ストビューで見たのとおなじ!戦死四十人墓(福島県会津美里町)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#killed40tombs
戊辰戦争にはあまり関係がない城ですけど、東北屈指の山城のひとつで、ここまできてスルーできる城ではないので、せめて本丸だけでも見るような見学を、と。
>じっくり見るべき城を駆け足で。 陸奥国向羽黒山城 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=9964
向羽黒山城のふもとというだけで、歴史的景観が城下町風情へと勝手に脳内レベルアップ。会津本郷町。
通り過ぎながら、
「ふーん、会津本郷焼、か。鬼瓦とかも作ってんだな。有名なんかしらん」
と無知丸出しの感想を抱きつつ、それっきり。
いま、この記事を書くために検索して、会津若松城の屋根瓦を作るために瓦職人を呼び、ここで瓦を作らせたのが始まり。のちに保科正之が瀬戸から職人を呼び寄せ、本格的に焼き物生産が始まった……と知りーの。
>会津本郷焼 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E6%9C%AC%E9%83%B7%E7%84%BC
それを行ったときに知ってれば……ちゃんと下調べしておけば……と悔やむ気持ちもあるし、向羽黒山城をスルーしないで良かった!さすが俺!とにかく「行った」という事実はできた!と自分で自分をほめる気持ちもありーの。
ふたたび阿賀川(阿賀野川)。本郷大橋から。往路と橋がちがうのは向羽黒城に寄ったため。
ある程度は予想してたけど、向羽黒城で時間を食いすぎてしまい、この日の残りタスクはやや急ぎ足で。
山本覚馬・八重生誕地!説明板しかない!知ってた!知ってて見に行ったので満足、満足。会津戦争関連史跡でここを外すことはできない。
>誤差 30m 山本覚馬・八重生誕地(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#kakumayae
藩校・日進館跡!天文台しか残ってない!知ってた!でもその天文台が良かった!
>登れば楽し 日新館跡地と日新館天文台跡地(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#Nisshinkan
ここが河井継之助埋骨地(仮埋葬された地)への参道ですよ……という碑。これを見ていながら、河井継之助埋骨地はスルーしました。
もちろん、予定表には入れてたタスクだったんですが、下調べが不十分でだいたいの位置しかブックマークしておらず、お寺の名前を把握してなかったんですね。そんで時間もないことだし、いろいろ考えてあきらめました。
いま、検索したら埋骨地のある建福寺は天然記念物のシダレ桜があるそうなので、もしまた会津を訪れて取りこぼしを補完するなら、春に行きたいと思いますね。
河井継之助埋骨地はスルーできても、こちらをスルーするわけにはいきません。西郷頼母墓。
>八握髯翁 西郷頼母墓と自害二十一人墓(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#TanomoTomb
葦名家花見ヶ森廟。会津戦争とは関係がないのでスルーも検討したけど、その次の目的地への経路上にあり3分で見て終われると思ったので訪問することに。
>葦名四百年の御恩顧 旧会津領主 葦名家花見ヶ森廟(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#AshinasTomb
ちょっとした聖域の雰囲気が出てて、なかなか良かったです。
お次は小山田西軍砲台設置場所。やや登山になり、ここでどのくらい時間がかかるかわからないため、河井継之助埋骨地をはしょったのは、そのため。
>届いちゃうんだもんね 小田山新政府軍砲陣跡(福島県会津若松市)
http://www.masuseki.com/wp/?p=9292#Oyamada
まー、やはり、いつかマンガに描く機会があれば……という思いを腹に秘めた自腹取材でもあるので、こういう場所を取材しておかないわけにはいかんのですよ。舞台はね。どうしても。
さて、下山したら 15:15。レンタルサイクルの利用時間は 16:00 までなので、返却しに若松城へ戻らなくてはなりません。うーん、せめて 17:00 時であってほしかった……(というユーザーのわがままがブラック社会を生む)
佐川官兵衛顕彰碑。このきわめて有能な主戦強硬派がいなかったら、もうちょっと降伏が早まって戦災者が少なくてすんだかもしれないのに……と言ったら怒られるのかしら。
若松城に戻りました。虎口が屈曲してるのは自転車による突進を防ぐためです?
んで、ここから日没までは徒歩で。棚倉城のエントリを書いたとき、神指城は4日目に見る予定だったのをがんばって3日目に見て時間ができたので4日目は棚倉城へ……と書きましたが、あらためて当初のタイムスケジュールを見ると、神指城は二日目に行く予定でした。
それどころか、二日目の小山田西軍砲台設置場所のあとは、松平家墓所を訪問する計画になってました。行かなくてよかった。あんな山深いところと知らなかったので、行ってたら自転車返せなくなるところでした。
松平家墓所と神指城を見て、どっかで鯉料理に舌鼓をうつという予定を書いてやがりましたよ、過去の自分。むちゃくちゃでござりまするがな。そんな時間あるかい。
というわけで、4日目に予定してた白河小峰城をすっぱりあきらめ、残りのタスクをシフトさせていたのですね。
そんな残りタスクのひとつ、蒲生氏郷公墓。街中にあるせいか、まるで聖域っぽさがありません。
>オーラが無い 蒲生氏郷墳墓の地(福島県会津若松市)
http://blog.masuseki.com/?p=10010#UjisatosTomb
街中に残る天寧寺町土塁や甲賀町口門跡も見逃しません。でも、三の丸堀跡を見逃してたことに、旅行から帰って気が付きました。三の丸跡(現在は駐車場)までは足を運んでいたのに……
>三の丸堀跡、見逃したァアア!会津若松城追加史跡(福島県会津若松市)
http://blog.masuseki.com/?p=10010#WakamatsuOutRuin
大町四つ角では、個人的な調べものに対する大きな収穫がありました。
>近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (34):4.3. 汚名返上!蒲生氏郷は町割下手ではなかった⑤会津若松の食い違い路は利水のため|桝田道也|pixivFANBOX
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/437195
実際、水路が多い。大藩なら当然だと思うけど、岡山ほどではないにしろ、ここもそれなりに人食い水路だったりしそうな感じが。
野口英世の業績とまったく接点ないけど、ラーメンw。しかも特製 英世ラーメンは 750 円らしい。そこはさ、いろいろトッピングして千円札ジャストにしてほしかった。野口英世なんだから。
結局、鯉料理を食べるのはあきらめて、地元スーパーで会津名物、鯉の甘露煮の真空パックを買いました。 旅から帰ったあとに食べたのですが、これがびっくりするほど不味かった!
もともと甘露煮が苦手というのもありますけど、小骨やヒレなど食べられない部分も一緒に煮込まれてて、でも食べられるほどまで煮込まれておらず、生臭く、甘さがくどいというね。
会津戦争のおりに、米沢藩士だったかな?……をもてなすために、お濠の大きな鯉を捕まえたという記録があるのですよ。 このとき、鯉をどう料理したのか気になるのです。
これから籠城ってときに貴重な砂糖で甘露煮にはしねえだろ、と思いますけど、でも名物だしなあ……
まあ、そんなこんなで二日目終了。長いな!このエントリ!
2018/08/20
旅行3日目。この日こそがこの旅行のメインと予定していました。そして、結果も、その通りもっとも印象に残る日となったのです。
白虎隊の出撃路を歩くため、バスで強清水へ。朝イチで市内から郊外の峠に用事がある人なんて、まずいないのであって、早々に貸し切り状態に。
郊外に復元された藩校・日進館。悩んだのですが、今回の旅行ではスルーと決めました。復元よりも本物の遺構が重要。
強清水から戸ノ口原古戦場まで歩いて、また歩いて強清水まで戻るのは無駄が多いと思ったんですが、猪苗代→会津レクリエーション公園(戸ノ口原古戦場そば)行きのバスは始発が 10:45 と遅かったので、時間を無駄にしないためには仕方がありませんでした。あと、白虎隊の出撃路を逆から辿るのではなく、同順で辿ることにも意義があると思いました。
トレッキングポール紛失問題は、昨日のレンタサイクルで回ってる最中に百均へ寄り、老人用のステッキを購入しました。
なんかね、いろいろ思うことはありましたよ。白虎隊の出撃路。
>白虎隊激戦の道。東北自然歩道(福島県会津若松市)
http://blog.masuseki.com/?p=10076#tohokushizenhodo
戸ノ口原古戦場跡は碑があるだけで、特に何か感じるものはなかったのですが、夜泣き石伝説はなかなか面白かったです。
>夜泣き治療に効果あり 戸ノ口原古戦場跡(福島県会津若松市)
http://blog.masuseki.com/?p=10010#Tonokuchihara
そしてひそかに期待してた十六橋水門。期待にたがわず、良かった!ナイス土木!
>十六橋にちなんで 16 もの水門を作るとは、この律義者め! 近代化産業遺産・十六橋水門 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=10744
そんで強清水目指して戻るわけですが、来た道と同じ道を帰ってはつまらないので、会津街道(国道49号)を歩きました。で、とりあえず会津レクリエーションパークで休憩。
ところがその、会津街道(国道49号)。基本、歩いて通ることを想定してないっぽいのですね。路側帯は狭く、トラックがビュンビュン駆け抜けていきます。
私も生きた心地がしませんでしたが、ドライバーもヒヤヒヤしたことでしょう。迷惑かけてすみません。
靴底ガパァは私のような歩いて歩いて歩きまくる旅行をしていると、ままあることだと学習していましたので、これあるを期して用意していた靴底ボンドと結束バンドで応急処置しましたが、国道の危険さはどうしようもありません。
「あらヤダすてき!」はここ2年くらい、旅行中にリアルに言ってます。周囲に人がいなければちゃんと声に出して独白ってます。 完全にきんどーさんです。すばらしい観光地は人間をオバさんにさせます。「あら~」とか「まぁ~」とか言ってます。
あらあらあらあらまーまーまーまー、いい水路と橋じゃな~い。やだわもう~。農道に飛び込んでよかったわ~。人生万事塞翁が馬よね~。
ちょうどお昼時でもあり、強清水で名物のスルメ天ぷらや会津蕎麦をいただきました。
>昭和は遠くなりにけり。強清水 もろはくや するめの天ぷら(福島県会津若松市)
http://blog.masuseki.com/?p=10777#morohakuya
食べたらすぐ出発。敗走する白虎隊が通ったという沓掛峠を歩きましたが、勘違いして舗装された新道の方を歩いてしまいました。
次に会津へ来る機会があれば、旧道をリベンジしたいですね。
かろうじて新道と旧道の合流点そばの山神社は見ましたけど、写真の出来もいまいちだし近くの戦死十一人墓も見逃すし、でドツボってましたね、このとき。
でも、金堀集落がすごく良くって、これは予定になかった眼福だったので「いいってことよ!」なのです。
>青い屋根の心地よさ 金堀集落(福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11124
そして、この日のメインと思っていた滝沢街道。江戸時代に整備された街道で、白虎隊の敗走路でもあります。
>古い石畳を踏みしめて旅を記憶する。 旧滝沢街道(福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11138
歩きながら考えることはすごく多くて、記憶に刻まれた観光地ではあるのですけど、はて、見どころとしては……というと、それほど感銘を受けるものは多くありませんでした。うん、むかし道ですね!という感じ。
やはり、行くなら紅葉の時期がよろしいんだろうな……と思ってしまうのは、私が古街道歩きにまだ未熟だからなんでしょうか。。
しかし、滝沢街道の端(会津若松側)ちかくにあった、戸ノ口堰洞窟(弁天洞窟)流入口は見どころとして最高でした。十六橋水門と同じくらいひそかに期待し、同時に不安もあったのですが、行って大正解のナイス土木。
>見ていいなら見るでしょ。見たでしょ。控えめに言って最高過ぎでしょ。推すでしょ。マストでしょ。 戸ノ口堰洞窟(弁天洞窟)流入口 (福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11156
もうね、記事見出しの長さから、私のあふれる思いが止められていないのがわかるw
もし次、会津に行く機会があっても、立ち寄ってしまいそうな気がします。リピートしそうな気がします。時間を無駄にしたくないので、いちど行った場所の再訪はあんまりしない私ですけど。
興奮さめやらぬまま向かった滝沢本陣跡も、なかなか。このへん、単独記事を立てるに値する名所が目白押しでした。
>歴代藩主のひと休みスポット。旧滝沢本陣(福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11172
そして、会津さざえ堂がまた、噂にたがわぬ奇建築でねえ。いやはや、もう、おなかいっぱい。
>危険逐と奇建築と棄権地区――弁天洞窟・会津さざえ堂・白虎隊自刃の地(福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11184
こうなるとわりを食ったのが白虎隊自刃の地。
「少年たちはここからどんな気持ちで若松城を見たのか……」
という気持ちも沸かないではなかったのだけど、どこか冷めた感じで
「言うても、しょせん墓地だな」
みたいな気持ちを打ち消すことができませんでした。
で、朝から歩き詰めの私もここらでようやくひとやすみ。バスを待ち、バスに乗り、松平墓所へ。 しかし、人生は私にラクをさせてくれません。
お寺の境内のサクッと見られるお墓を想定していたら、けっこう山奥まで歩かされる緑の深い墓所だった、松平家墓所。いや……今日はもう、十分に歩いたので……
>広い!聞いてない!松平家墓所(福島県会津若松市) | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11191
松平家墓所のあとは、すぐ近くの会津武家屋敷へ。ここだって広い邸内を歩いて回るわけですけど、まあ、山道ではない分、まだマシ。なにより、例のあのシーンが再現されてたのでニンマリして疲れも一瞬、忘れることができました。
>例のアレを再現!!!会津武家屋敷 | ブログ桝席
http://blog.masuseki.com/?p=11411
それにしても、松平家墓所のそばに西郷頼母邸が復元されるとは……腐れ縁ですかね、この二人は。
この西郷頼母邸で、この日に最低限、見たいと思っていたタスクは完了。しかし時刻はまだ 16:20。日没までまだ一仕事できるのでは?夏だし。
というわけで、二日目にあきらめた神指城へ向かいました。
なかなか検索ノイズなことに、居酒屋の白木屋も会津若松に存在します。モンテローザもすこしは配慮して別ブランドにすりゃアいいのに。
七日町駅前から神指城までのバスとタイミングが合わず、結局、歩くことに。これだ。これでこそ私の夏旅行。歩け。歩け。人生は歩け歩けゲーム。たすけてはるみちゃん!
歩いたおかげで予定に入れてなかった涙橋が見れたんだから、文句を言わない! はーい。
戊辰のヒロインなりそこね 涙橋と中野竹子殉折地(福島県会津若松市)
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で、神指城の東北隅土塁に残る国指定天然記念物・高瀬の大木が、この日がんばった私への最高のごほうびになったのでした。
>エレファントなケヤキ 高瀬の大木(福島県会津若松市) | ブログ桝席
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「がんばった子にはごほうびがあるのです」(座右の銘)
高瀬の大木の光景に感激したあと、軽く神指城遺構周辺を歩いてますけど、こっちの感激度は、まあ、げふんげふん。遺構の残りが悪いですしね。
>上杉の夢 新撰組の意地 幻の巨大近世城郭・神指城(福島県会津若松市) | ブログ桝席
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やりきった。やりきりました。これで 2018 年の夏旅行の重要なところはほぼ見たんですよ、あとは消化試合なんですよ。
心地よい疲労。
苦労をすればするほど達成感があり、記憶に強く刻まれるんですよね。
山登りを趣味とする人が、時にあぶない登山に挑戦してしまうのも、その達成経験のうれしさが忘れられないからじゃないのかな、と。 私を含め、記憶のために生きる人は少なくないから。
まあ同時に、苦労して辛かった気持ちも体に刻まれるので、旅行行くのがだんだん面倒になるんですけど。 行ってしまえば苦労が楽しいのはわかってても、行くまでがね。
苦労上等!の覚悟ができるまで、年々、時間がかかるようになってきてます。
この日は体を酷使したので、さすがに温泉で回復。まあ、都市型温泉ですが。
さすがにネカフェのシャワーじゃ回復できないと思って。
えーと、なんで会津若松駅前の写真?ああ、そうか。翌日の始発で棚倉城へ行くために、郡山に移動したんだな。
日没後は写真をあんまり撮らなくなるので、自分の行動が思い出しにくくなります。 片道 1,170 円。もったいないので 18 きっぷは使わず。
2018/08/21
旅行4日目。もう疲労でクタクタ。でもここからは消化試合。
で、棚倉城。あまりにも時間をかけなさすぎで、良い訪問ではなかった。反省しきり。いずれしっかり見に行きたい。棚倉城よりも、交通の要衝としての棚倉を学ぶつもりで。
>超高速!城址見物……になった陸奥国 棚倉城 | ブログ桝席
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郡山駅に戻りました。疲労のあまり寝落ちが多く、車窓写真も少ない感じ。
よっしゃ!がんばろ!つぎは猪苗代城じゃ!
猪苗代城が、また、見ごたえの土の城でしてね。なぜか「遺構の少ない城」と誤解してたので、嬉しい悲鳴の反面、またもや時間不足に。
>見ごたえの陸奥国 猪苗代城・鶴峰城・猪苗代湖 | ブログ桝席
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そんで、猪苗代まで来て猪苗代湖を見ないわけにはいかない!とかなんとかハッスルして、またまたまたまた歩いてしまうし。
靴底ガパァして、応急処置したトレッキングブーツは、そのあとまたガパァしたのかな。 このあたりではずっと百均のクロックスでした。
足首を大事にしよう!(いまさら)
くりかえしますが、もう疲労困憊してて電車移動中は寝てばっかりで、あんまり書くことないんですよ。
これはあらかじめわかってたことですが、二本松がまた、疲労した体に鞭を打つようなつらーい地形の町でして。
>山を越え谷を越え……陸奥国 二本松城 | ブログ桝席
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でも、だからこそ、城は素晴らしかったです。ここもいつか再訪して時間をかけて見て回りたいなあ。
このへん、マジに記憶が飛んでて、よくまあ乗り換え間違わずに米沢へ到着できたもんだと感心しますね。
2018/08/22
そして、まさかの野宿してーの、米沢城観光。
>短夜は寝覚めて早し最上川……出羽国 米沢城 | ブログ桝席
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いままで何度か野宿はしてますし、この旅行の出発時に高崎駅で駅寝してるのもまぁ、野宿と言えば野宿なんですが、この米沢のは過去にないパターンでしたね。
いままでのは、終着駅がコンビニもないような田舎でしかたなく始発待ちとか、この旅行の出発時のような一日を有効活用するには野宿しかない!だったりしたのですが、米沢のはちがいます。田舎ではないし、野宿を予定してたわけでもなく。
完全に
「眠くてこれ以上は歩けない!もう、どっかそのへんで寝る!」
ですからね。夏で良かった。雪山だったら死んでたところだった。
みなさんも旅行先での体力の使い過ぎに気をつけましょう(おまえだけや、そんなやつ……というセルフツッコミ幻聴あり)。
米沢城を見たら、いよいよ帰りの旅程。まだ朝の 7 時台ですが。
しかしそのまま東北本線を帰らず、磐越東線で三春へ向かいます。
会津戦争関連の城をめぐる旅行です。白河小峰城は後日に回しましたが、三春城はこの機会に見ておきたかったので。
……と思ったものの、よく見ると「貨茨城屋」ですね。さ~て、虫食いパズル、やってみよ!
パッと見、読める部分を拾うと「鶏?■貨茨城屋長■川■店」。後半は長谷川商店でしょう。
となると2文字目をなんとか読みたい。最初、鶏肉と読みましたが、どうもつながりません。よくよく見て「鶏卵」だと気づきました。 よし、あとは3文字目!「貨」で終わる二文字熟語から適切な語を拾えばいい。
謎はすべて解けた!「鶏卵雑貨茨城屋長谷川商店」だよ!ワトスンくん!
……解けたから、なんだというのだろう……(ふと現実に戻る)
と、そんな風に車窓を楽しむ余裕も出る程度に回復して三春駅に到着。
なんか車両のデザインがかっこいいですね>磐越東線。
三春。ここが意外にも城址も良かったし城下町のグルメも良かったのでした。
>のんびりした活気 三春城と城下町 | ブログ桝席
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人生で一回こっきりしか行かないだろうと思ってましたけど、もし機会があれば何度もリピートしたいですね。良い町でした。
では、今度こそ帰ります。たぶん、郡山まで戻って東北本線で帰った方が早いのだろうと思いましたが、やはり見たことのない車窓が魅力だったので磐越東線→常磐線 経由で帰ることにしました。
路線保安員が使うものなんでしょうか?あまりにもNTTの電話ボックスっぽくて「なぜここに?」と驚きました。
時間的に 3km 先の小野城跡はあきらめるとして、1km 先のリカちゃんキャッスルの外観を見るとか小野小町生誕の地碑を見るくらいなら、75分でできたかも。
体力のある1日目なら確実に行ってましたが、もうゴムの切れたパンツみたいな状態だったので、駅舎周辺をぶらぶらしてすごしました。
右支夏井川。うしかい《牛飼い》川の当て字だなと思うでしょ!思いません?私は思いました!でも正解は「うしなついがわ」。
「うしなついがわ」。なんじゃそりゃああ。でも、下流で夏井川と合流してるんですよ。
だから、おそらく、夏井川の右岸で合流する支川だから、右支夏井川。理にかなってる。
早とちりは怖いですね、という話でした(怖いか?)
こういうの、「単管バリアー」と呼ぶのだとやっとわかった。これでフォルダが作れる。
太平洋が見えた。四泊五日の 18 きっぷ旅行で日本海と太平洋を見るとはゆかいじゃのう。
なんか変な宗教施設があるwwwと思ったけど、実は下水処理施設の一部らしい。
水戸に着く前に日没。帰宅まであと数時間ありましたが、この先の写真は撮ってません。
というわけで、非常に満足度の高い旅行になったのですが、ラストは特に盛り上がりもなくダラダラとフェイドアウトでした。 美しい夕焼けとかもなく。
このままじゃ、しまりがわるいので、旅行中に飲食したご当地食で最後を飾りましょう。
ばくだんおにぎり。新潟米使用を新潟県で買うならご当地食という拡大解釈。
会津高田梅。日本全国のセブンで売ってたおにぎりですが、会津で食べればご当地食という拡大解釈。
ほんと、コンビニ飯が日本全国どこでも同じ味になってしまって悲しい。
だからといって地元名物コーナーを作るのはちがうからな!そういうことじゃねえからな!
会津はアスパラガスの生産がさかんだと聞いたので。でも、そういうことでもない。
『チョコだ』。これ!こういうの!わかるかなァー、わかんねェだろうなァー
地元のメーカーが作った、そのとき、その土地でしか買えない、でも普通の商品。そういうのがいい。そこに地方色が加われば最高だけど、それは絶対必要な条件じゃない。そんな感じ。
納豆もちは宮城の食文化らしく、検索すると焼いたモチに納豆をからめた美味しそうな料理の画像がヒットします。 でも、私が食べたこの商品はモチが原型をとどめておらず、モチが単なる増粘ゲル化剤でしかなく、単なる食べにくい納豆でしかなかったのです。
結局、コンビニ食品が全国で均質化してしまったので、地元モノの日常食って牛乳くらいしかなくなってるんですよね。牛乳はさすがに、鮮度が重要だから地元企業が生き延びる余地があるようで。
この旅行で得た知見は、
「アスパラは生で、何もつけなくてもそこそこ食べられる」
です。もちろん、味つけした方が美味しいし、下の方3センチくらいは固くて生ではつらいのですが。
イラストも味わい深いし『べこの乳』という言葉が強い。最高。
ところで使わなかった 18 きっぷ二回分は、後日、白河小峰城と日光杉並木街道を見に行くのに、それぞれ使いました。それらの記事は、また、そのうちに。