思ってた以上に見ごたえがあった猪苗代城
訪問日は 2018-08-21。
2018 年、夏。戊辰戦争に関連する城と史跡をめぐるというテーマで旅行をし、8月20日に頑張ったのでちょっと時間ができた私。ならばと本来の予定になかった棚倉城を見に行って、ふたたび会津へ戻ったのでした。
なんだかんだ言って、猪苗代へ戻ってきたのは 10:30 頃。
グッとくる良い写真をポスターにチョイスした展覧会が開催中。見たかったけど時間的余裕はないのでスルー。
ここで大手に当たる城の東側から見て回ればよかった。ん、です、が。 正直に言うと、猪苗代城のことを、なぜか遺構の少ない公園化された城だろうと思い違いをしていたので、ほんともー、説明板を撮って終わりのつもりだったんですね。 だから、下調べゼロで来てるわけです。
古民家も。まあ、好物ですのでねえ。城址公園に移築された農家は、なんか違うだろ…と思わないでもないのですが、移築されずに破壊されるよりは、はるかに良いのでありまして。
かつての堀跡だと思います。一応、残ってるとも言えるし、わりと様変わりしちゃってるとも言えます。
いやいや、なかなかどうして……そういや、さっき、堀跡も一応、残ってたし……
うおおおっ!ここ、けっこう見どころ残ってる城址じゃんかよう!
だれだ、遺構の残りが悪いだなんて言ったのは!(←誰もそんなこと言ってない。てめえが勝手に勘違い思い込みしてただけ)
>猪苗代城(福島県耶麻郡)の見どころ・アクセスなど、お城旅行と歴史観光ガイド | 攻城団
https://kojodan.jp/castle/476/
ようするに戊辰戦争で撤退する会津軍が焦土作戦的に自焼して撤退したので建物は何も残ってませんが、土塁や石垣なんかはまだまだ良好に残ってたということです。
そんなわけで、猪苗代城が見どころが多い城と言うのは嬉しい誤算ではあったけど、困ったこともあった。というのも、予定スケジュールはこの城に、そんなに時間を割いてなかったから。
要所に石垣も見える。このへん豊臣政権に征服された地方の城のアリガチな特徴
本丸から。景色は別段、どってことない。樹木も多いし、比高がそれほどあるわけでもないから、眺望がとりたて良いわけではない。
本丸はわりとガッツリ、「現代的な公園化」されてしまっています。ま、しゃーない。
本丸以外はあちこちに良い感じの残骸がある。残りが良いとは言えないが、やらんでいいことをやらず、そのままという意味で素晴らしい。井戸門跡。
東側(大手門があった)には、笑い積みも見られ、小城なりの見栄を張っている。すばらしい。
そのまま大手門跡まで降りるべきであって、そしたら縄張図や説明板やらいろいろあったらしかったのだけれども、疲れてて登り降りがしんどかったので、少し降りて上から眺めただけで満足してしまったのでした。
次に来る機会があったら、ちゃんと大手から登りたいですね。
土の城の先進地域・関東勢が真っ青になるほどの巨大な堀切が(奥の左右に伸びる道)
この堀切こそ、猪苗代城と鶴峰城を隔てている大堀切であって、堀切より向うは鶴峰城なのです。
>鶴峰城(福島県耶麻郡)の見どころ・アクセスなど、お城旅行と歴史観光ガイド | 攻城団
https://kojodan.jp/castle/2050/
猪苗代城は、地政的に北から敵が来ることをそんなには想定していなかったと思うので、この堀切は稜線から敵が進軍してくることを想定したものではなく、丘陵の東西をつなぐバイパスとしての切通ではないかと思います。
鶴峰城、そして猪苗代湖へ。
というわけで、葦名氏時代の中世城、鶴峰城もせめて本丸までは見ます。
説明板が無くても堀切だとわかるようになると山城めぐりも楽しくなります。ここは平山城だけど。
まんべんなく歩いて楽しめそうな城ですが、スケジュールの都合で泣く泣く撤退開始。
靴が百均のクロックスなのは、前日の強行軍の最中、15km くらい歩いたところでトレッキングシューズの靴底がガパァしてしまったからです。残りの 15km を百均のクロックスで踏破した私の足首がこの日、どれくらいつらかったか、ご想像ください。
この、外堀の残骸のような部分までが南の帯郭ってことなんですかね。こっちも広い帯郭……
切通しは深かったものの、丘全体はたいした高さじゃなくてよかった。
これが天守代用と私が勝手に思う分には誰にも迷惑はかからない。
しかし、すぐには駅には向かいません。猪苗代に来て猪苗代湖まで行かずに帰るわけにはいかないじゃないですか。
(十六橋水門へ行ったときに猪苗代湖まで行ったと言えなくもないわけですが、あそこは眼前に広がる大きな湖……という場所ではないので、ちょっとカウントできないかな、と)
できればバスで行きたかったのですが、しばらく来ないので歩きます。
水路が広い!医学を志した野口英世が見送りに来た母と別れた六角橋がこのへんだそうです。
川(水路?)は暗渠になってるのか、いわゆる橋らしい橋って感じじゃなくなってました。
とんがり帽子はないけど、こっちはこっちで積雪時でも開けやすいように底上げされてる電話ボックス。
あまりに暑いので水分補給(よけい喉が渇くやつ(糖分とアルコールは分解のために水を要するので(わかってて呑んでるダメ人間なんです)))
こういう用水路の分水・分流の小さなドボクが愛おしすぎてたまりませんわん。
磐越自動車道の下。猪苗代駅からだと猪苗代湖岸まで 1.5km 程度ですが、猪苗代城からだと 3km ほどです。だるい。
猪苗代城下もそれなりに焦土作戦の被害を被ったんじゃないかと思うのですが(で、なくても戦闘による迷惑はあったはずなわけで)、関山のように、どこかにかすかな戊辰戦争の悲劇の匂いが残ってるのではないか……と思っていたのですが、ぜんぜんなかったですね。観光地化したためでしょうか。
とにかく水が流れていく方へ向かえば、いつかは猪苗代湖につくはず!というざっくり方針で(実はもうちょっと見えてる)。
公園とかそういう場所ではなくいちばん近い所を目指した結果、第二小黒川の流入地点へ出ました。
なんというか、泳ぐとか水遊びとか、そういう意味での美しさはない場所ですね。 淡水干潟に近いと言うか。ゴミじゃないけど、枯草とか生物的な老廃物がいろいろ浮いてるし。ちょっと臭いし。
ビオトープ的な意味では非常に美しく愛おしく思える景色。ちょっと臭かったけど。
ずっとここでボーッとしたい気持ちはやまやまでも、そうもいかないので帰ります。この日はあとひとつ、行きたい城がありましてん。
こういう場所は、目についたらとりあえず行きます。電車の時間まですこし余裕がありました。
な、行ってよかったやろ?(同意が少ないのはわかってる)
もうなんか、めっちゃ綺麗な景色だったんですよ。写真じゃ伝わりませんけど。下手ですみません。
猪苗代の水を郡山に引くと言う大工事の成功で郡山が大都市に変わったのは有名な話。 いまからでも遅くないから県庁を郡山に移したら?(よけいなお世話)
いやほんと、猪苗代城も鶴峰城も思ってた以上にドボクが残っていたし、猪苗代町は味わい深い町で、猪苗代湖と磐梯山は美しかった。人気観光地になるだけのことはありますね。
コネタ的に面白い看板が見当たらなかったのが、ちょっとだけ残念。まぁ、急いでいましたしね。