この記事は、単独で記事を立てるほどでもない巨樹や奇樹を紹介するための記事です。ときたま更新します。
この記事内では新しく書かれたものほど、上になります。
日記から転載した部分が含まれるので、サイト内に重複する記事があるかもしれません。
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- 新曽氷川神社の夫婦柿(埼玉県戸田市)
- 飛木稲荷神社の身代わり焼けイチョウ(東京都墨田区)
- 小豆沢神社のスダジイ(東京都板橋区)
- 青渭神社のケヤキ(東京都調布市)
- 去川の大銀杏(冬)(宮崎県宮崎市)
- 国分寺跡のイチョウ(宮崎県西都市)
- 鶴岡八幡宮のビャクシン(神奈川県鎌倉市)
- 鶴岡八幡宮の大銀杏(神奈川県鎌倉市 ※2003 年撮影)
- 梅岩寺の大ケヤキと大カヤ(東京都東村山市)
- 金王八幡宮の椎 (東京都渋谷)
感想を抱く余裕もなく 棚倉城跡の大ケヤキ(福島県棚倉町)
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#Zelkova_Tanagura
棚倉城を訪れた時の私がいかに大急ぎだったのかはこちらのエントリにくわしく書いたので、二度は繰り返さないようにしましょうか。
ともかく、大急ぎだったので、説明文なんざ撮っただけで、読んだのは帰宅してからです。
大きさがわかるように、セルフタイマーで自撮りなんざ、やってるヒマもありゃしない。
「大きいな」
とか
「歴史のロマンが」
とか一切考えず、ただ急いでシャッターを切っただけ。ブレまくり。いいんだ、曇りだったし(負け惜しみ)
「ギラギラ写真はもういらない問題」、私はわりと同意なんですよ。全部が全部、ギラつき調整された写真だと疲れるよ、見てて「う~ん……」と思う方です。
しかし、ケースバイケースであって、あんまりにもあんまりなときは、手を入れる派です。
都心から 20km 長徳寺のビャクシン(埼玉県川口市)
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#ChotokujiByakushin
ビャクシンが好きだ。グネグネ、ウネウネとした樹形がたまらない。
と、言うと、いかにも底の浅いニワカな表層だけかじってるイキリ巨樹ライトオタクという感じがする。が、よく考えたらたしかに自分は底の浅いニワカな表層だけかじってるイキリ巨樹ライトオタクだった。なにかを見に行く目的として、城や古民家に比べたら、巨樹は3番手、4番手グループだ。
だから、これからも胸を張って、ビャクシン好きを宣言し続けよう。
ところで、どの樹木が好きだと言えば通ぶれるのだろう?
ラクウショウでは厨2くさい。メタセコイアは大味。高野槙は狙いすぎが鼻につく。カヤあたりを好きだと言えば、波風立てずに「あー、わかるー」などと社交辞令的な同意を巨樹好きから得られるのではないか。
という、どうでもいい考察はともかく。
ビャクシン。ヒノキ科の1属。イブキとも呼ばれる。カイヅカイブキは公園や民家にもよく植えられるが、梨の伝染病を媒介するので植樹を制限している自治体もある。ヒノキ科であり、ヒノキに良く似る。というか、説明板がないと私には区別がつかない。
さて、ビャクシン好きを公言するのはいいが、問題があった。ビャクシンは中国から渡ってきた外来種であるが、比較的暖かい地域を好み、日本においてビャクシンの巨樹は西日本に多く、関東圏は、ビャクシンの巨樹はちょっと少なめなのである。
沼のビャクシン(千葉県館山市)、城願寺のビャクシン(神奈川県湯河原町)、入西のビャクシン(埼玉県坂戸市)が関東の三巨頭だろうか。
このうち私の自宅からいちばん近いのは入西のビャクシンだが、それでも片道 45km ほどある。 ちょっと、週末にママチャリでぶらっと見に行くにはしんどい距離だ。
というわけで、もうちょっと手近にビャクシンの巨樹が無いか、探した結果、見つかったのが、この「長徳寺のビャクシン」なのだった。
埼玉県川口市 芝。東京駅から直線距離で 20km もない。よし、ここでビャクシン欲を満たそう。
という長い前置きの結果の、長徳寺のビャクシン。県指定の天然記念物だ。
が、ヒノキ科らしい炎のようなぐねぐねした枝ぶりは、残念ながらなかった。
決して、ビャクシンとして特別、巨樹と言うわけでもない。
入西のビャクシンと同じ県指定天然記念物であるけど、知名度に劣るのは、ねじれやグネグネが少ないからだろう。
説明板によれば、鎌倉建長寺のビャクシンの実から生まれた樹木だそうな。
>川口の文化財‐長徳寺のビャクシン
http://www.kawaguchi-bunkazai.jp/center/bunkazai/CulturalProps/bunkazai_005.html
そういえば、鎌倉八幡の大イチョウは日本のイチョウのもっとも古いグループの一本だったとか聞いたことがある。 禅宗を布教するノウハウの一種として、役に立つ樹木を移植するというのがあったのかもしれない。
ビャクシン(イブキ)は柔らかく着火しやすいため、燃料に広く使われたそうだ。イブキの名は炊飯によって水蒸気が「いぶく」からだという説もある(※イブキの名前の由来は諸説あり定まっていない)。
ちなみに、長徳寺にはヒノキの巨樹もある。ビャクシンよりも樹高が高く、柵もあるので、お寺が御神木扱いしているのはこちらのようである。
それはつまり、ヒノキの巨樹なら、もっとたくさん、あるからね!ということだろう。
勝てぬならレッドオーシャンからは逃げなくてはならぬ、という教訓を胸に刻むとしよう。
ちなみに、この長徳寺。平野部に残る丘陵にあり、築城に適した場所のように思えたものの、とくに城址ではないらしかった。が、武蔵野の自然が良く残っている。紅葉の季節には多くの人が訪れるという。
また、東京外環自動車道を挟んで目と鼻の先に鶴ヶ丸八幡神社があり、県指定の文化財である古い社殿が保存されてるので、こちらもおすすめ。
長徳寺が城址ではないかと言ったのも、この鶴ヶ丸という地名に反応したからなのだけど、結局のところ、城址である証拠はないと判断せざるをえなかった。
枯死してなお愛される 犬山城の大杉様(愛知県犬山市)
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#InuyamaOsugisama
はじめて見たのは 2009 年だった。そして、この大杉様と呼ばれる御神木は、その時点で、すでに枯死なされていた。
そのときは、デジカメのバッテリが残りわずかで、一枚しか撮ることができなかった。枯死した大杉様の葉のかわりをつとめようかという凌霄花《のうぜんかずら》も、秋の訪れに緑を失いはじめたところだった。
つまり、色々と悔いが残ったのだ。
花期は6月~7月と書いてあったノウゼンカズラは、一輪だけ咲き残っていた。利休に招かれた秀吉の心境かくあらん。
8年たてば撮り方も変わる。フレームにおさまらなければ、あとで合成すればようのだと思うようになった。
いまのこる枯死した幹を見ても、なるほどなかなかの巨樹だとうかがえる。犬山城の創建当時、すでに巨樹だったことだろう。落雷時には身代わりになったともいい(それで寿命が縮まったんじゃないかと思うが)、ともかく、犬山城クラスの藩では天守が消失したら再建はなかっただろうから、それを防いできた、まさに、御神木だったにちがいない。
2017 年7月、落雷によって、犬山城の鯱瓦の片方が破損した。 避雷針があっても、これくらいの被害が出るのだ。 城はたいがい高い丘陵に作られ、中でも天守は丘陵のいちばん高い場所に建てられた高楼だ。
雷が非常に落ちやすい建物なのだ(そして不幸なことに、近世の天守は内部やすぐそばに火薬庫があった)。
出世稲荷のイチョウ(埼玉県川越市)
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#kawagoesyusseinari
訪問日:2014-08-26
埼玉県川越市松江町1-7 にある出世稲荷神社に立つ二本のイチョウ。
…………
これ以上、書くことがない。
太さ・高さ・樹齢のいずれも巨樹としてはいかにも「市指定天然記念物どまり」クラスである。樹木の形が面白いわけでもなく、イチョウとして珍しい形質も現れてないようだ。
せっかく二本あるんだから、夫婦イチョウとかなんとかいって夫婦円満のご利益がうんちゃらかんちゃら、言えばよかろうに。
だが、出世稲荷で売り出し中だからキャラがぶれるといけないと思ったのか。どちらも雌樹または雄樹で、夫婦と呼んでいいのか困ったか。それとも誰ひとり、夫婦イチョウと呼ぶ人がいなかったのか、ともかく、そういういわれはない。
そもそも 1800 年代初頭に立てられた新しい神社なので、逸話的なものが少ない。
したがって、この巨樹の最大の見所は、説明板の
「書くことのなさに困ったっぷり」
であろう。
公孫樹はイチョウの別名だから、後半のくだりは
「イチョウはイチョウ科を代表する落葉樹です」
て書いてるのと同じやからね、これ。
それでもまだスペースが埋まらなくて、ついに
「種子はいわゆるギンナンで食用になる」
とイチョウ一般の、ただの常識レベルの説明を書くくだりにいたっては、筆者の苦労と開き直りがしのばれて趣き深い。
新曽氷川神社の夫婦柿(埼玉県戸田市)
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#nizomeoto
訪問日:2016-10-15
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#nizomeoto
巨樹ではない。形が面白いわけではない。しかし、戸田市指定天然記念物の樹だ。
というのも、一本の柿の木に二種類の実が成るからであり、そのことから夫婦柿と呼ばれ、夫婦円満のしるしとして親しまれているわけだ。
雄柿が石灯籠に置いてあった。こうでもしないと登って近くで見ようとするアホが続出するのだろう(決め付け)
説明板に書いてあることを繰り返すのもなんだが、説明しよう。
柿の木は雌雄同株で単性花だ。つまり、一本の樹木にめしべだけを持つ雌花とおしべだけを持つ雄花が咲き、雌花が受粉して結実する。
ところが新曽氷川神社の夫婦柿は突然変異により、雄花が退化したはずのめしべを復活させ、ひとりで(受粉)できるもん!状態になったわけである。 実にどうにも変態だ、変態だ。
「ダンナがセルフで子孫を残し始めた件」である。あんまり夫婦円満じゃないような気がしないでもない。
ちょっとだけ気になったのは、現地説明板では味について触れられていなかったところ。せめて甘柿なのか渋柿なのかだけでも……
果樹農家によって接ぎ木で子孫を増やしてるなんて話もないようだし、食用としての味は商品レベルに達してないと推測するのが妥当なところですかね。
飛木稲荷神社の身代わり焼けイチョウ(東京都墨田区)
訪問日:2013-08-09 ほか
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#tobikiinari
飛木稲荷神社(墨田区)の大イチョウ。樹齢千年とも。 大昔の嵐の日にどこからともなく飛んできたイチョウの枝が根を張り、とんでもない大樹になったので、これは異常なことだと神社が作られ祀られるようになったという。
東京大空襲ではその身を焦がして町へ火が回るのを防いだという。それでイチョウが死ぬこともなく、
今も元気だ。
イチョウは巨樹が多く、樹齢千年にしては小さいほうではなかろうか。
焼夷弾は、高熱で炎上する化学物質を撒き散らす特殊な爆弾だ。その飛散する燃料を巨樹の枝葉が防ぎ、まさしく「身代わり」になったのだろう。 単に、たまたま立ってた樹木が火の粉や炎を浴びて焦げたのを、あとから見て「身代わりになったのだ」などと想像したという話ではあるまい。
小豆沢神社のスダジイ(東京都板橋区)
訪問日:2016-08-06 ほか
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#azusawa_sudajii
実は、10年前に写真を撮りに行った。そのときの写真の出来栄えがなんとなくいまいちだったもので、なんとなくブログにも載せずにいた。まずはその、10年前の写真から。
スダジイとしては巨樹であり、スダジイらしい形状の面白さは素晴らしいが、めちゃくちゃ大きい樹というわけではない。
そして、住宅密集地ゆえに、引いた構図で撮影しにくい。真下から見上げる構図ばかりになり、逆光・白トビ・黒潰れの失敗写真ばかりになった。 その問題は再訪した 2016 年でも同様であった。
木の洞。当時もビンボで手ぶれ補正や接写に強いデジカメに買いかえられずにいて、薄暗い秋の神社の境内で絶望的な撮影を強いられていた。
そして十年後。
道路にはみでるような位置にあり、小豆沢神社の本当のご神木は本堂脇の杉だったのではないかと思う。たまたま主役を食うほど人気が出ちゃったサブヒロインの感ある
十年たって洞も成長していた。成長じゃなくて老化と呼ぶべきなのかもしれんが。
十年ひと昔。ビンボは相変わらずだけど、使ってるデジカメは 1cm まで寄れるようになった。
再訪したからといって、良い写真が撮れたわけじゃないけれど、なんかしみじみしちゃって、来て良かったと思ったです。
いまのわたしに必要なのは思い出だけだ。それは持っている。 ——『鍵』 星新一
青渭神社のケヤキ(東京都調布市)
訪問日:2016-07-24
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#aoi_jinjya_keyaki
2016-07-17 に深大寺城を見に行った帰りに通りすがりました。
正直、この記事に入れるか単独エントリを立てるか少しだけ迷った。
いちおう、樹齢数百年で文化文政の頃には巨木で知られていたそうである。現地では
「これ、都の天然記念物くらいの価値あるだろ……」
と思ったものの、いまPCの前で他の巨樹と見比べて、
「ああ、うん……市の天然記念物クラスかな、やっぱり」
と思ったり。
巨樹としてはそれほど「巨」ではないけど、洞とか突っ張り棒とか生え方とか、見所はたくさんあって面白さで高く評価したい巨樹でした。
去川の大銀杏(冬)(宮崎県宮崎市)
訪問日:2015-11-09
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#sarukawa_icho
これは 2005-01-03 に訪れたときの。かつては関所があったくらい交通の要衝なので、宮崎市から県南・県西に向かうとよく近くを通ることになる。なので何度が訪れているが、いつも年末年始の帰省のときなので、落葉してて残念だった。
たまたま 11 月に帰省することになった年の写真。このときの日記をのちに単独記事にした
→空へまっすぐ!去川の大イチョウ(宮崎県宮崎市) | 桝席ブログ
ちなみに去川の大イチョウは国の天然記念物。
文化遺産データベース
http://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/164161
十年位前、せっかく良いランドマークがあるのに活用されてないな…ともったいなく思っていましたが、最近は紅葉に合わせてイベントなども行われているみたいですね。
宮崎市高岡町内山 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=31.91468&mlon=131.22577#map=17/31.91468/131.22577
国分寺跡のイチョウ(宮崎県西都市)
訪問日:2015-10-28
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#kokubunjiato_icho
アップで見るとなかなかの面構えだが、それほどの巨樹ではない。市の天然記念物指定も無かったはず。近くにある木喰五智館の木喰仏が面白い。2003 年9月に撮影(正確な訪問日不明)。
宮崎県西都市三宅 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=32.10191&mlon=131.39704#map=17/32.10191/131.39704
鶴岡八幡宮のビャクシン(神奈川県鎌倉市)
訪問日:2003-01-21
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#tsuruokahachiman_byakushin
もう、ひと目ぼれ。最高。2003-01-21 撮影。これを撮ってから干支がひと回りしているので、もう一度訪問したい。
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31) – OpenStreetMap http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.32443&mlon=139.55528#map=19/35.32443/139.55528
OpenStreetMap | 変更セット: 34884030
http://www.openstreetmap.org/changeset/34884030
鶴岡八幡宮の大銀杏(神奈川県鎌倉市 ※2003 年撮影)
訪問日:2003-01-21
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#tsuruokahachiman_icho
この樹は2010 年に強風のため倒伏した。写真は 2003 年に撮影。年始すぐだったため落葉している。
倒伏した樹幹を再生可能な高さ4メートルに切断し移植。若芽が育ち始めた…と、倒伏一年後の様子を伝えるページにある。2015 の様子はどうなのだろうか。
鶴岡八幡宮 | 施設案内
https://www.hachimangu.or.jp/about/guidance/ooicho.html
鶴岡八幡宮 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.32564&mlon=139.55611#map=17/35.32564/139.55611
この頃はデジカメの外部メモリが 128MB の CF だったので、どう節約するかが重要だった。残念ながら、この大銀杏も VGA で撮っていて、高精度写真は所持していない。
梅岩寺の大ケヤキと大カヤ(東京都東村山市)
訪問日:2010-11-27
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#baiganji
国宝・正福寺千体地蔵堂に行った帰り道。おおきな樹木が見えたので近くへ行ってみたら、 大当たり。都の天然記念物・梅岩寺の大ケヤキでした。
こういう、当初の目的に無い遭遇、サイプライズがあるから、無計画旅行がやめられない。
八割方、時間を無駄にすごして
「ちゃんと計画しとけばよかったのかな…」
と後悔することになるのだけど。
なかなかのもんですなー。
門を挟んで対面側に、もう一本、巨樹があった。東村山市の天然記念物、梅岩寺の大カヤですと。
こっちも良いですなー。
結局のところ、でかいとか速いとかにグッときちゃうのは幼少の、巨大ロボや新幹線に興奮してた頃からなにもかわらないのかもしれない。
歳を経るとともに、空想物や人工物よりも天然物や(歴史を経た)人工物の方が、より珍しいということを学習してしまっただけで。
新しい人工物であっても、大工場だとかスカイツリーだとか実物大ガンダムとか、ケタ違いにアレだったら、やっぱり燃えるんだよ!
三つ子の魂、踊り忘れず。
まもなく冬至。日が落ちるのも早く、急がないと撮れるものも撮れず、撮りたいものが逆光になりかねない。そんな季節。これはわざと逆光になるように撮ってみましたが。
金王八幡宮の椎 (東京都渋谷)
訪問日:2008-04-20頃
この項のパーマリンク:http://www.masuseki.com/wp/?p=25#konnohhachimangu
大きな洞が空いてて形が面白かったので、モノクロで撮るべきだと思った。
この、渋谷の金王八幡宮。かつて渋谷氏の居城の渋谷城がここにあった。由緒も歴史も文化財も天然記念物もある神社だ。が、このとき私はたまたま所用で渋谷に来てただけで 30 分ほど時間があったので散歩していただけ。のちに城マンガを描くことになるとは知る由もなく、城跡だという知識はなく、これまたのちに『天地明察』の舞台になるとは知る由もなく算額があるとは知らず、数々の文化財・天然記念物のすっぱり見逃したのだった。
この御神木は昭和初期に雷に打たれて大きな洞があいてしまったという。
金王八幡宮 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%8E%8B%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
金王八幡宮 – OpenStreetMap
http://www.openstreetmap.org/?mlat=35.65756&mlon=139.70629#map=19/35.65756/139.70629