思っていた以上に歩かされた松平家墓所
訪問日は 2018-08-20。
2018 年、夏。戊辰戦争に関連する城と史跡をめぐるというテーマで旅行をし、戸ノ口堰洞窟(流出側)と会津さざえ堂と白虎隊自刃の地というメジャー観光地を堪能した私は、次に、かの松平容保が眠る松平家墓所に向かったのでした。バスで。なんでもかんでも歩くわけじゃあ、ないのです。
バスを降りるとき、運転手のおねえさんから、
「お客さん、どちらへ向かわれますか?」
と質問されました。キョドる。これはキョドる。なに?不審人物的にマークされてんの?
「ま、松平家墓所まで……」
と答えると、
「先月、熊が目撃されてるので、気を付けてくださいね」
ということでした。ザ☆親切。
閑静な住宅街。こんなとこまで熊は降りてきてたらハンター案件やろー、と思いつつ。
墓所入り口。この時点までは、お寺の墓所みたいなやつを想像していました。白虎隊自刃の地みたいな墓地を。
しかし、この日は、この時点で15kmくらい歩いたあとだったんですよ。
強清水→戸ノ口原古戦場→十六橋水門→強清水→沓掛峠→金堀集落→旧滝沢街道→戸ノ口堰洞窟流入→旧滝沢本陣→飯盛山……と、歩いて歩いて歩いたあとだったので、さすがに
「勘弁してくれ」
と思いました。あと、前々日にトレッキングポールを紛失して百均の杖だったし、十六橋水門のあとトレッキングシューズの靴底がガパァしてしまったので、サンダルでした。もう、足が、足が。
ようやく歴代藩主の墓所エリアへ。左手に階段が見え、まだ登るんかい!みたいな。
亀っぽいから、なんか鎮護の象徴であろうと察しました。顔を見ると亀ではないので、玄武ってやつかいな?くらいに思いましたが、これは早とちり思い込み。
これは「贔屓」という空想上の生き物で、竜の子供なんだそうです。
>贔屓 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%94%E5%B1%93
ともかく、このとき私が思ったのは、
「会津松平家、趣味わっるぅぅぅ~~~~!」
でした。正直に言います。センス悪いと思いました。
「こういう所に、藩祖が家光の異母弟だったというだけで大藩になった会津のコンプレックスがよく表れているんだよなぁ……」
などと、根拠薄弱な決めつけまでする始末。
と、変な亀に気をとられてはいけない。こんなに歩くとは予定になかったので、とっとと容保の墓へ参って撤退しないと。
あったー。そうそう、墓なんてものは、これでいいんですよ。基部が変な亀でなくて良かった。
会津戦争に悲恋のいろどりを添える照姫の墓。女性陣墓所ではなく、容保の墓のそばというのが素晴らしい。結ばれなかったふたりの関係と、表に出せなくなった本当の気持ちが、お墓の位置でよくわかるというね。涙、涙の物語か。