東日本最大山城 陸奥国向羽黒山城を見に行った。
訪問日は 2018-08-19。
はっきり言うと、本丸と考えられている一曲輪まで登ったくらいであり、あとはろくろく見ていない。 この日は予定がつまっていた。一曲輪まで行くのも予想以上に時間がかかり、城域のほかの部分を見るのを断念した。
そう。向羽黒山城。芦名氏の名城であり、キャッチコピーをうのみにすれば、東日本最大山城なのだそうだ。 国指定史跡でもある。山城好きなら、まずまず、鉄板で楽しめる城址だ。
それほどの山城である。私は別に、山城が嫌いということもない。で、ありながら、なぜ、一曲輪を見ただけで早々に退散したのか。
それは会津若松に戊辰関連史跡が山ほどあって、なかなか来られないのだから、どうしてもそちらが優先になるからだった。嗚呼。向羽黒山城が、せめてもう少し戊辰戦争に関与していたら。しかし、残念ながら、ここで戊辰関連の派手な戦闘は起きなかったのだった。
会津盆地の南端から会津若松へ向かう主街道からもやや外れており、会津藩も向羽黒山城で新政府軍を迎え撃とうとはしなかった。
外れているとはいっても、寄り道できないほどは外れていねえよ、国指定史跡の城だよ。無視できっかいべらぼうめ。
こういう景色、ほんとう最高。地方都市と大自然のはざまの所こそ、一人旅に来たという気持ちが実感できる。
南側の登城口。レンタルのママチャリで電動じゃないので、登り坂は無理せず押していく。
東日本最大山城であちこちに遺構はあったはず。だが、緑の深い夏、急ぐ私。遺構に気づくことはできなかった。
ちゃんと一曲輪と書いてほしかった。なぜなら、
「向羽黒城址・岩崎山頂、か……。いや、この山全体が向羽黒山城だし、一曲輪に行きたいだけで山頂に行きたいわけじゃないんだよ」
とスルーしかけたからだ。危なかった。岩崎山頂=一曲輪=推定本丸跡なのだった。スルーしてたら完全に徒労やからね。
ここで、看板のところに杖があるのに気づかなかった。前日、新発田駅のトイレにトレッキングステッキを忘れてしまっていたため、杖無し登山になってしまった。そうなんですよ私、登山に杖は必要だよ派なんです。
山道は思ってた以上には険しかった。地上から見たら、そんなに高い山だとは思わなかったのだけど。ちょっとナメてしまっていた。そして急いでいたので、遺構もまるで気づかず。虎口すら気づかないのは、さすがにお城好きとしてどうかという話。そもそも下調べしとけよ、というのはもちろん(そして毎度のことだが、メイン目的地の下調べで手一杯なので、こうしたサブ目的地は現地へ行って出たとこ勝負、見逃し撮り逃しは、時の運ってことよ!…である)。
山登りを楽しむ城
奇岩。もう少し進んだら山の中腹に磨臼岩なる奇岩があったらしい。この時点では知らなかったので見逃した。
もっとも、知ってたら確実に磨臼岩まで足を運んだはずで、この日の午後の史跡巡りに大きく影響しただろうから、知らなくてよかったのかもしれない。すべてを一度に手にすることはできないさ。
下山。杖は下山にこそ必要。なので、そこらの枝を杖にするいつもの手。
再び堀切。向羽黒山城は基本、説明板少なめ。説明板が多すぎるのは自然の中では興ざめだし、それはそれで正しい。遺構に気づかないのは自己責任(敗北感)。
かろうじて石垣。落石が自然にこうなったようにみえなくもない。
北大の熊研サークルの新歓カンバンと言われても信じる自信あり。
御水神社。このへんも曲輪だったにはちがいあるめえ(すべてにおいて雑な城鑑賞)。
このあたりから若松城が見える。しかし私が撮った写真では樹々がわかるだけで復元天守は判別できない。望遠じゃないからね。
こんなん見ると、駆け足じゃなくて、地形図を片手にじっくり見て回るのが正解の城なんだろうな、と思う。
良い山城なんだけど、近くで戊辰戦争があったばかりにねえ……という。 それは、芦名氏関連遺構のすべてに言えそうだな。 戊辰戦争と伊達政宗という人気ジャンルのために、わりを食ってるというか、日陰者に甘んじているというか……