大垣城を大急ぎで見て回ったので見落とし多かった話
年末の帰省用の 18 きっぷが一日分余ったので、東京から日帰りで見に行けるギリギリの城ということで岐阜県の大垣城を見に行った(大垣夜行を使えば兵庫の城まで一日で日帰りできるかもしらんけど)
さて、大垣城。あまりよく知らない城だ(自分のマンガに描いてない城のことはよく知らない)
パンフレットによれば、1535 年ごろに宮川安定が築城したという。別名・麋城または巨鹿城。
が、城内の説明板には、宮川安定より古く、東大寺城と呼ばれた大垣氏の居城があったと記されていた。どうなんだ、そのへん。
史料がありで確定的なのが宮川安定で、その以前はただの伝承とか、そういうことだろうか。よくわからない。
しかし、そんなよくわからない城が歴史の表舞台でスポットライトを浴びるときが来た。石田三成の挙兵だ。
挙兵した西軍は東軍の城を落とすのに手間取った。そして予想外に早く家康が引き返してきた。 伏兵を用いて杭瀬川の戦いで東軍に一矢むくいた西軍は、ここ大垣城で東軍を迎え撃つ作戦だった――
が、杭瀬川の敗北で心中おだやかならぬ家康は平然を装い、大垣城を無視して西進を命じたのである。
逆に慌てたのは三成陣営で、急遽、関ヶ原で戦いを挑んで、結果はご存知の通り――というやつだ。
歴史の表舞台でキラーパスをもらって急にボールが来たからしちゃった城、それが大垣城とも言える。
もっとも城に残った兵士は関ヶ原のあと籠城戦を選び、その様子はおあむ物語として伝えられたので、何もなかった城というのは言い過ぎだが。
ちなみに平城である。私は美濃や飛騨は山しかないとばかり思っていたから、平城だとは思いもしていなかった。山国でも盆地ってやつがありますな。
明治以降、ほとんどの門や櫓が売却されたり破却されたりしたものの天守だけは市民の努力で残り、旧国宝に指定されたほどだった。……が、それも太平洋戦争で焼失してしまい、建物の遺構はほとんど残っていない(だから、個人的に今まであんまり興味が湧かなかった)。
かつては三重の濠に総構えまであったという。三成が焦って関ヶ原してなければどうなっていたんだろ。関ヶ原の時点でもう西軍の負けは確定的だったという話もあるけど。
その外堀だった水門川は残ってるけど、護岸はもはや石垣ではなく現代的なコンクリ護岸でやや残念。ずっとたどれば、どこかに石垣が残っているんだろうか。
してみると、一部とはいえ江戸城の外堀の石垣がところどころ残っているのは、貴重なことなのだなあ。
平城の宿命か、都市化が進みお城の周辺はビルだらけ。玄関あけたらそこは宇宙、くらいの唐突さで、角を曲がると目の前に天守が現れる。
これを残念がる人もいるみたいだけど、私は gif アニメを作っちゃうくらい面白かった。銀座の一等地に昔ながらのタバコ屋が残っているような、そんな趣がある。
が、かつての内堀が消えてドブ同然になってるのはたしかに悲しい。
あ!お城で自分撮りするの忘れた!
東門。旧柳口門を移築したもので、だとすれば唯一の現存建物なわけで、国の重文とまではいかなくても県の重文指定くらいあってもよさそうな……しかし、現地にもウェブにもそのような情報は見つけられなかった。
丑寅櫓(復元)。先の旧柳口門の移築も観光客誘致最優先で、無理矢理な移築だったため丑寅櫓との連結の整合性がおかしなことになっている、という話もあるようだ。
わりと新しい石垣。なんか機械で粉砕した岩のようにも見える。
旧柳口門の石垣。不自然な石垣に見えるのは、この城の石垣が砂岩を使った珍しい石垣だからかもしれない。
しかし門の左右で石の整形の精度が違うように見えるんだよなー。うーん……
旧柳口門を城の内側から。しだれ桜がすごく邪魔。
天守。外観復元コンクリ城。私はひどい史実無視じゃなければ木造復元じゃなくてもかまわない派。木造復元でも、しょせん、復元は復元だし。外観復元コンクリ城はリーズナブルな選択だと思うです。
この辺は江戸時代からある石垣だろうか。もはや石垣ぐらいしか現存遺構が残ってないのだから、説明板が欲しいところ。
西門。この記事によれば、実際には存在しなかった門を捏造したものだということ。うーん……ああ……検索するんじゃなかった……。何の説明板もないな、とは思わなかったんだよ←大急ぎで見て回ってたので考える余裕なんかなかった。
狭間のあいた塀。こういう塀だったかもしれないが、やはり姫路城を真似した塀に見える。 なんといっても、こんな位置に狭間を開けては弓矢が使えないと思わざるをえず、限りなくテキトー復元くさい。銃はまだ使えるだろうけど……
おあむがこの松をつたって籠城中の城からたらいの船で脱出したという『おあむの松』……の二代目(先代は太平洋戦争の直前に枯死したそうだ)
乾櫓(復元)
鉄門跡。この鉄門は実は各務原市に移築されていたことが 2009 年に判明したらしい。
旧大垣城鉄門|各務原市
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/4033/4045/004056.html
大垣市の8割の家が屋根まで浸水するほどの洪水だったそうだ。平城といってもさすがに天守は数メートル高い場所にあり、その石垣にまで水が達したとなると、なるほど市内の家屋の八割は沈んで不思議ない。
島原の乱の頃の城絵図。水攻めしたくなる城。
さて、天守閣内部へ。入場料 100 円。安い!館内撮影自由。太っ腹!
ここでようやく、大垣城の良いところが出てきた。高い入場料をとって、たいしたものもないのに撮影を許さないセコい城は反省してほしいね。
重要文化財の少ない城ほどセコい、という経験則が外れたのはうれしい誤算だった。
ビデオ・関ヶ原。時間が無いのでチラ見しかしなかったけど、ノイズがすごかったのでそろそろDVDにしてはどうか?と思った。
甲冑(複製)なんかも撮影自由。資料!資料!
近年、市内の有志による木造復元の提案があったそうだ。古写真も多く残っている城。私は不勉強にしてしらないけど設計図なんかも残っているとすれば、江戸城なんかよりはるかに「木造復元すべき資格のある城」だと言える。
でもまあ、市民の税金が投入されるわけだし、きっと維持費もコンクリ城より高くなるしね。無理することはない。
復元鯱瓦(レプリカ)
刀や槍を展示してある城はよくあるけど、薙刀を柄のない状態で展示してるのははじめて見た。こんなに茎《なかご》が長いんだ!
刃も脇差以上、刀未満ってくらいあるし、茎の長さを考えたら、刀と同じくらいの重さがありそう。とても女性向けの武器とは思えない。
薙刀が女性の武道になったっていうのは単に、薙刀より槍が(軽くて使いやすいから)主流になって、余った薙刀が奥方に護身用に与えられたとか、そういうことなんじゃないかな。
おやむ物語(複製)。複製ばかり。でもかまわない!
関ヶ原後の大垣城籠城戦のジオラマ。縮尺があってないし、リアルな再現ではなくて雰囲気の再現だろう。悪くない。撮影可能だと評価が甘くなるね。
東軍の附け城もジオラマに。
火縄銃。これは多くの城で展示してある。
弓(複製)。実際に引き絞ることもできる。
「あまり力いっぱい引かないで」
という注意書きに気づいたのは、六分目くらいまで引き絞って放って大きな音を立ててしまったあと。
三成の署名のある乱暴狼藉放火禁止の書状(複製)。
城下町のジオラマも。こっちはわりとリアル。
さて、この大垣城、実は近年改修されたという。昭和の復元の際に観光客のために史実を無視して大きくした窓を元の大きさに戻したり、破風や瓦を古写真を参考にして、可能な限り焼失前の天守の通りに戻したのだという。
廻縁をつけてたわけじゃないし、昭和の史実無視だって当時としては控えめなレベルだと思うのだけど、こうした修復は非常に良い。
岐阜っていうのは史実にない捏造天守の多い県だ。岐阜城もそう。墨俣一夜城は捏造天守が問題視され始めた平成になってから作ってしまったため悪名を轟かせてしまった。
それらとくらべると、大垣城のはかわいいものだけど、過去の黒歴史と向き合い、予算の範囲内で誠実な修復を行う姿勢は悪くないと感じた。実際、遺構は少ないけど天守内部の展示品は悪くなかった。複製品ばかりだったけど、そのお城を見に来た人間が興味を持って楽しめる複製品が多かった。
大垣城は珍しい四重四層の天守で、他には大洲城くらいしかない。
その大洲城が木造で天守を復元したので大垣市としても心中おだやかでないのかもしれないけど……何度も言ってるように、
「本格木造復元は確かに嬉しいけど、でも復元はしょせん復元」
だから。外観だけに絞って忠実に復元するという選択も、それはそれでありだと思います。そこに史実軽視がなければ、どちらのアプローチでもいいんです。
さあ、次はもうひとつの黒歴史、西門と向き合うんだ!(←えらそーに)
桃の鬼瓦。
エロい(ぇ?
館内の説明によれば、『天邪鬼を押さえつける鬼瓦』なるおもしろ珍しい鬼瓦があったらしい。 天邪鬼がかわええ。こういうインテリア欲しいわ。
なんで説明を読んでおきながら見逃したかって?読んでなかったからですよ!撮っただけ!撮って、帰宅して読んで「あああ~っ」って頭かかえたんですよ!
教訓:お城はゆっくり見よう
遺構はほとんど残ってないというから、ナメてたんですよ……反省。
大垣名物
さて、ふつうは名物なんかスルーしてる私ですが、大垣に関してはちょっと食指が動いた。
なんでも「水まんじゅう」が名物で、シーズンには行列ができるほどなんだとか。写真を見たら、これは食べてみたい!と思う甘味だった。しかし夏季限定。
しかたないので、大垣の「水まんじゅう」の総本家らしい金蝶園の店名を冠した金蝶園饅頭を買って食べた。
上品な味。何個も食べたくなる味ではなく、これ一個と良いお茶があれば数時間しあわせになれる、そういう饅頭だった。
そしてもうひとつ、珍しく食べてみたいと思える名物が大垣にはあった。『みそ入り大垣せんべい』だ。堅くて有名らしい。
これが通常版。香ばしいみその匂いがするが、味噌の味はそれほど主張してないおいしいおせんべい。堅いといってもにわかせんべいより少し堅いか、同程度。
これが、お店曰く日本一堅いせんべい、の『四つ折り』。日本一かどうかはわからないけど、たしかに堅かった!前歯の差し歯で割るのが怖くて奥歯で割らなきゃならない程度には堅かった。美味かった。
まあ、そんなこんなで、見落としもあるし、大垣城は意外にももう一度訪れたい城のリスト入りの城となりました。いつか、水まんじゅうの季節に、ぜひ、リベンジを。
回してみた動画
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ニコ動
いつもの。