落語『大工調べ』のサゲの凄さに今まで気が付いていなかった
「大工は粒々(細工は粒々)、調べをご覧じろ(仕上げを)ご覧じろ」
これは、古典落語『大工調べ』のサゲのセリフです。
苦しい……というか、ひどい地口オチだと思っていました。物語の完成度は高いのにサゲの不出来だけがこの噺の欠点だと、そう考えてました。でも、そうじゃなかったんですよ。このサゲは駄洒落の皮をかぶってメタ視点自己言及と大ボケをかました、ものすごいオチだったんです。
私はあんまり落語に詳しくないんで、今から書くことは落語通にとっては
「そんなこともわかってなかったのか?」
という話かもしれませんが、とある落語解説本でもこの噺のサゲを私と同様に
「不出来な地口オチが玉にキズ」
と評していました。そう考えている人が少なくはないということでしょう。なので、自分が気づいたことを書いてみます。
そもそも、なんでこの地口でサゲなんだろう?
キッカケは私の担当編集との電話でのやり取りでした。
拙作の読みきり(『小言焉馬』 – 桝席)の作中で『大工調べ』が演じられるんですが、その打ち合わせ中
「『大工調べ』のオチって、あんまり面白くないですよね?」
「ですよねー。しょーもないダジャレですよねー」
という会話をしたのです。で、電話を切ってから考えました。なんでこの苦しい地口がサゲでなくてはならないのか?と。
地口オチの噺というのはバリエーションが多いのが普通じゃないですか。
たとえば『道具屋』なんかいくつオチのバージョンがあるんだろうってくらい多い。
地口オチなら物語を踏まえなくてもいいから派生を作るのは容易なんですね。
だから『大工調べ』も単なる地口でサゲればいいだけなら、 こんな苦しい地口である必要はないはず……なのに、なぜか他のバリエーションが無い(私が知らないだけかもしれませんが)。
長い噺だから前半だけしか演じられないということは多いみたいですが、最後まで演る場合はかならずこの地口オチ。
つまり、この地口でなければならない理由がある、はず。
そこで気が付いたのが
「〝細工は粒々~〟の慣用句の意味を、現代では誤解している人が多い」
ということでした。
〝細工は粒々~〟は、〝今は途中だ〟という意味
〝細工は粒々、仕上げをご覧じろ〟……細工は流々と書くのが普通ですが、粒々でも間違いではなかったはず。慣用句としては、まあ現代の日常会話では使われない言葉と言っていいでしょう。
ところが、小説やマンガやドラマや映画やゲームでは、脈々と生き延びてるんですよね。
頭脳明晰な奴や姑息な手段の好きな奴が、罠かなんかを仕掛けて、
「細工は粒々、仕上げをご覧じろ……と」
なんて悦に入っているシーンが思い浮かびます。
「準備OK、結果は見てのお楽しみ!」
という意味で使われているんですね。私もずっと、そういう意味の言葉だと思っていました。
しかし本来の意味は少し違ったんですよ。最近、知ったんですけど。
〝細工は粒々、仕上げをご覧じろ〟の意味を字句通りに丁寧に書くとこうなります↓
「職人の仕事というものは微に入り細にわたるものだから、素人目には何をやっているかわからない、一見ムダにしか見えない作業が多々あるものなのです。ムダのように見えてもそれは必要な行程なのだから、途中で口をはさまず、仕上げを見てから(文句があるなら)言いなさい」
という意味なのですね。(だから個人的に〝流々〟よりも〝粒々〟の方が元の意味に近いと考えてます)。
簡単に言えば〝細工は粒々、仕上げをご覧じろ〟の意味は「黙ってろ、まだ途中だ」ということですね。
さいく 0 3 【細工】 – goo 辞書
――は流々(りゆうりゆう)仕上げを御覧(ごろう)じろ
十分工夫をこらしてあるから、心配せずに仕上がりを待って、それから批判してくれ。細工は流々。
さて、これを踏まえて『大工調べ』に戻ります。
『大工調べ』の、途中なのに口をはさみたくなる場面
『大工調べ』のあらすじは検索してください。
物語後半のキモは、もちろん大岡ジャッジの部分です。
「大家に向かってかような物言いがあるか!」
といって、いったん因業大家の勝訴となってしまう。
与太郎、政五郎のみならず聴衆も思わず言いたくなります。
「お奉行さま、その裁きはあんまりだ」
と。
ところが大家が与太郎からお金を受け取ったのを見届けて、
奉行は質屋の株を持ってないのに勝手に人の道具箱を担保にするとはけしからん、
道具箱を預かっていた日数分の賃金を今すぐ与太郎に払え!と大家を叱り、与太郎・政五郎は逆転勝訴……。まさしく
「細工は粒々、仕上げをご覧じろ」
だったというわけです。
だから、この噺のサゲは多少苦しくても
「大工は粒々(細工は粒々)、調べをご覧じろ(仕上げを)ご覧じろ」
でなければならなかったのでしょう。
この言葉の意味を知っていれば、このサゲが物語をメタ的に見て裁きのシーンにおける奉行から政五郎・与太郎への言葉、あるいは演者から聴衆への言葉…
「まだ途中。まあ、黙ってみてなさいって」
…を表現したものだとわかるわけです。
と。
この慣用句が本来の意味で使われていたころは、もうすこし伝わりやすかったんでしょうね。
それにしてもこのオチの凄まじいこと。
地口オチという万人向けのオチでありながら、物語自身をメタ視点的に評した考えオチでもあり、
「途中で口をはさまず、終わってから言いたまえ」
という意味のフレーズを、よりによって終わってから言うというとんでもないまぬけオチでもあるという三重構造……狂ってるとしか言いようの無い凝った仕上げっぷり。
さすが、大真打噺と言われるわけです。
……しかし、こういう文章は苦手だな。ガラじゃないし、なんか気恥ずかしいし、実は間違ってて物凄い勢いでツッコまれたらどうしようと不安に駆られるし……