薙刀踊りというものを見た
昨年の 11 月頃に帰省した際に宮崎県綾町でたまたま『薙刀踊り』というものを見ました。
この踊りを観にいったわけじゃなくて、たまたま通りがかったら面白そうなイベントをやっていたといういきさつです。
行ったら、こんなパンキッシュな兄さん方がゾロゾロいて、 なんじゃこりゃー、と。
たまたま通りがかっただけで予備知識がゼロなので、どういう内容か見ててもわからない。 が、地元の人にはお馴染みのイベントなのか、説明らしいものもあまり無くて、なにがなんだか。
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ニコニコ動画
6分以上あります。撮った分をただつなげただけです。編集しては雰囲気が損なわれるかと思って。
動画がところどころつながってないのは、 動画以外にも写真を撮ったりしていたから。虻蜂取らず。どちらも中途半端になってしまった。
薙刀踊りは実際は、このムービーの倍くらい、10 ~ 15 分くらいありました。
筋はサッパリわからないまま。 黒いのと水色のが争っているのか? 水色の方の紅の眉が平安貴族っぽいので、 源平の争いを伝える踊りではないかと勝手に決めつけた。 むろん、間違っていた。
メガネになごんだ。やっぱ客の反応が見えなきゃ面白くないもんな。わかる。
源平の争いを伝える踊りではないかと勝手に決めつけた……のに、よく見たら島津(?)の方々が音頭を取っていた。ありゃ。
源平でないとしたら島津 vs 伊藤を模したものではないかと思ったのだけど、 それも違うのか。
轡十文字は島津の家紋です。
おもいやり……ああ、薙刀って普通の槍より重そうですね。 無理矢理コメントをつけなくていいって?しーましぇーん。
で、結局、この踊りがなんだったのかというと。
薙刀踊り – 全国旅そうだん
http://www.nihon-kankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=ShowBukken&ID=45383be2220091726
約250年前、江戸時代の宝永年間の飢饉の際、ときの城主が五穀豊穣を祈願し、豊作となったことから、郷人が感謝の意味を込めて余興を出し、ふもと庄屋が豊作にちなんだ文句をおりこんだ「なぎなたおどり」を奉納したことが始まりといわれています。
宝永っつーと元禄のあと、徳川綱吉の頃か。なんでこんなケッタイな扮装になったのかはわからないけど、 みんなで面白い踊りを思案してるうちに、こんなんなってしまったんでしょうな。
富士山が爆発したせいですかね(関係ない)