ここ2年間くらい没頭していた個人研究を電子書籍にしました。いまのところ反論は来ていません(2020-04-03 時点)
概要
書名の通りです。よく城下町の食い違い十字路が、敵を簡単に近づけさせないための工夫であると説明されます。
しかし、これは調べてみたら、泰平の時代になった江戸中期の誤解や創作の疑いが濃厚な巷説が、大正時代に城郭研究者のお墨付きになり、定着したものでした。
実際には城下町の街路は城下町ではない町の街路と大差なく、むしろ城下町ではない町よりも碁盤目に近づこうとしていました。
本書はその証拠をこまごまあげつらい、しまいには世界の方格設計の成り立ちについてさえ、従来の定説を覆す発見を述べたものです。
いまのところ反論は来ていません(2020-04-03 時点)
求ム、反論。
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (古今定新書) Kindle版
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった – mitimasu.booth.pm – BOOTH
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった|mitimasu #note
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった|桝田道也|pixivFANBOX
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以下、pixivFANBOX と note.com の各記事へのリンクと要約です(トゥートなどから転載)。
2020-03-27 21:59
城郭の個人研究。ローカルでは一応、清書が終わったつもりなので、すでにウェブに上げた部分を差し替えていってます。取り急ぎ3章まで完了。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (1) 第1章~第2章|桝田道也|pixivFANBOX
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/18895 0/post/383229
(ミラー)
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった :第1章~第2章|mitimasu|note
https:// note.com/mitimasu/n/nf71167fb5 a63
3章で草稿の段階から加筆訂正が大きいのは篠山城と福山城です。あとはおおむね、言い回しとかの修正。
まだ清書が繁栄されてない4章以降は、細かいところで草稿に勘違い、間違いが含まれてます。主張がぶっ壊れるような間違いではありませんが。
5章と6章は限定公開もしくは有料になりますが、表題の論拠を示すところまでは4章で完結します。
いまどこのお城も休館してますから、じっくり読むとよいのではないでしょうか。
2020-03-28 11:47
清書版に差し替えました。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(11) 第4章 4.1~4.2 文献調査-江戸時代前期
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/18895 0/post/416834
ミラー
https:// note.com/mitimasu/n/n04ece8652 e6e
2020-03-28 12:26
清書版に差し替えました。この研究でいちばんキャッチーな部分
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (12) 第4章 4.3. 汚名返上!蒲生氏郷は町割下手ではなかった|桝田道也|pixivFANBOX
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/18895 0/post/432176
ミラー
https:// note.com/mitimasu/n/n5fc50757e a1a
3行でまとめると、
近江日野←町割したのは氏郷じゃなく定秀。そもそも街路が弧状に曲がってない。
伊勢松阪←街路が電光型になったのは伊勢参りブームのあと。氏郷は無関係。俗謡も氏郷治世時のものとは考えられない。
会津若松←町が詰まるだったのは会津転封から二年間、町割する暇がなく芦名氏の町割のままだったから。氏郷が下手だったわけじゃない。
2020-03-28 13:35
清書版に差し替えました。街路屈曲防衛術という概念の初出は1692。大坂の役から77年後。しかもそれは誤解として紹介されている。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(13) 江戸時代中期
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/440142
ミラー
https:// note.com/mitimasu/n/n6daac2a2ccd6
2020-03-28 14:44
清書に差し替えました。街路屈曲防衛術の論拠となった『盛岡砂子』の「盛岡丁割初」は後世の創作が濃厚という本研究の根幹です。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (14)それは『盛岡砂子』から始まった
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/444030
ミラー
https://note.com/mitimasu/n/n550c8b418510
3行でまとめると
* 原文には、五の字(碁盤目の町割)に屈曲や丁字路があるとか袋小路を作れとは書いてない。それは後世の研究家の恣意的解釈である
* そもそもソースを「御当家秘書に曰く」としていた盛岡砂子を史料として採用する姿勢に問題があるやろ常識的に考えて
* 盛岡砂子のソースは18世紀の『祐清私記』だったが、まだ制度化されてない参勤交代を前提に町割を話し合うなど、後世の創作を疑うのが当然の巷説
2020-03-28 15:49
書に差し替えました。江戸後期に「城下地形に由テ自由ナラズ」という当たり前の指摘が出ていたのに……いたのに……
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(15)文献調査-江戸時代後期~昭和①
https://www. pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/457838
ミラー
https://note.com/mitimasu/n/n75e0e73b8be1
2020-03-28 16:32
荻生徂徠や本居宣長ら一級学者は街路屈曲防衛説を「各地に聞く話」だからといって巷説を採用したりはしなかったけど、明治維新で江戸軍学の知識断絶が起きてしまったため、大正期に学者がお墨付きを与えてしまったのでした。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(16)4.6 文献調査-江戸時代後期~昭和②
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/459350
ミラー
https://note.com/mitimasu/n/ne241684069e3
2020-03-28 17:54
清書に差し替えました。戦前の研究者は日本の城下町の街路に西洋の理想都市に負けない有用性を見出したかったのではないか?という推論。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(17)文献調査-江戸時代後期~昭和③
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/460613
ミラー
https://note.com/mitimasu/n/na56c6a9351e4
2020-03-28 19:06
清書版に差し替えました。4章まとめ。5章以降は原則、支援者限定公開もしくは有料記事です。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(18) 文献調査-江戸時代後期~昭和④
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/461909
ミラー
https://note.com/mitimasu/n/n92ab5d07d51c
犯人捜しは不健康だけど、やっぱり
* 土木学会の雑なまとめ
* 豊田武氏の実測地図の完全無視
が大きいですね。
江戸時代の誤解にすぎなかった妄説が、明治の知識断絶ののちに
1. 城郭研究の開拓者の二人が勇み足で採用しお墨付きを与えてしまい、
2. それを土木学会がほぼコピペをやらかして、学会のお墨付きを与えてしまい、
3. それを文献研究の権威が俗謡や不正確な古図に基づいてお墨付きを与えてしまい、
だれにも手出しできなくなったという頭の痛いパターン。
人の事は言えない。私だって
「近江日野の街路は弧状に屈曲している」
という解説を初めて読んだとき、地図で確認したりなんかしなかったもの。
どこに疑う理由がある?て話。そういうのいちいち疑ってたら寿命が足りない。
2020-03-29 11:31
清書版に差し替えました。支援者限定もしくは有料記事です。
古代メソポタミア・インダス・ナイル流域での方格設計の誕生過程を追います。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(19) 第5章 5.1.~5.2.4. 方格設計都市の誕生①
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/466335
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https://note.com/mitimasu/n/n8854f1b93909
実際の所、日本は言うほどガラパゴスじゃない。世界の都市がなぜ碁盤目に向かったのかが明らかになれば、その理由は日本のケースの参考になりえる。
近世城下町がほどほどに碁盤目で、ほどほどに碁盤目が崩れてる理由を探るには世界各地の事例を見なければならない。
……というのが5章です。
ようするに、表題の「近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった」という事実の指摘は4章までで終わっているので、「都市の街路を変化させる要因は何なのか?」を明らかにして、研究をまとめようかと。
2020-03-29 13:40
清書版に差し替えました。支援者限定公開もしくは有料記事です。古代中国、古ヨーロッパ、新大陸の古代都市の変遷を追います。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(20) 第5章 5.2.5.~5.2.7. 方格設計都市の誕生②
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/528179
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https://note.com/mitimasu/n/n014dcc78e7e1
①②をまとめると、世界の古代都市における方格設計都市(碁盤目都市)の受容のされかたはこうなりました。
* BCE4000年頃 古ヨーロッパに当時の世界最大都市が生まれるも方格設計都市にならず
* BCE3000年頃 インダス文明で方格設計都市が誕生
* BCE2000年頃 エジプト文明で方格設計都市出現。メソポタミアではまだ出現してないので、インダスからの伝播か独自に発明かはわからない。
* BCE1000年頃 メソポタミア、古代中国で方格設計都市が出現。インダスで発明されて 2000 年くらい無視していたことになる
* BCE500年頃 ヨーロッパ(ギリシャ文明)に方格設計都市が出現。
* 新大陸では方格設計都市は発明されなかった
最初に農耕を始め、人口爆発が起きたはずのメソポタミアおよび古代中国が、方格設計都市の採用では後れをとっている点が奇妙。
2020-03-29 15:40
清書版に差し替えました。支援者限定公開もしくは有料記事です。世界中、方格設計都市は車輪の伝来後に出現したことがわかりました。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(21) 第5章 5.3. 方格設計都市はなぜ生まれたか
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/605944
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https://note.com/mitimasu/n/nd35bd23c10ee
つまり碁盤目の街路は農地を平等に分ける必要から生まれたとする従来の説は誤りでした。
早くから農耕を始めたメソポタミアと中国で方格設計都市の採用が遅れ、車輪を発明しなかった新大陸では方格設計都市が生まれなかったのですから。
事実は、
1. 車輪が発明された
2. 車輪を必要とし、かつ有効に活用できる地域で、車輪を活用する建築および車輪を活用する生活に最適化された方格設計都市が生まれた
だったのです。そして乾燥帯のインダスやエジプトは建材が石やレンガと重かったため、早い段階で「車輪を必要とし」た地域でした。
ではなぜ、同じ乾燥帯のメソポタミアではなぜ、方格設計の導入が遅れたのか?
この矛盾を解くにはもうすこし材料が必要です。そのためにはこのあと、中世の方格設計都市を見なくてはなりません。
2020-03-29 17:10
清書版に差し替えました。支援者限定公開もしくは有料記事です。ローマ植民都市の碁盤目はローマ帝国崩壊後に崩れました。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(22) 第5章 5.4.~5.4.2. 中世の方格設計都市①
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/640963
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https://note.com/mitimasu/n/n1b91b42c47ac
ようするに、方格設計都市というのは車輪にとって便利ではあるのだけど、作るのにも維持にもお金がかかるのでした。
財力も人材も豊富な国家じゃないと、なかなか難しい。
国土交通省なんかない時代、道路の維持管理は道路沿いに住む住人。
すると、そりゃ自分にとってだけ都合がよくなるように勝手修整を加えちゃうよね、という。
2020-03-29 18:00
清書版に差し替えました。全体公開です。中国都城制の成立過程……を追ったら、定説に疑問が出まくった話。
近世大名は 城下を迷路化なんて しなかった(23) 第5章 5.4.3.~5.4.4. 中世の方格設計都市②
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/799146
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https://note.com/mitimasu/n/n1b2b5f6b8d88
中国都城制の特徴である、北闕型や坐北朝南は通常、北方民族由来の北極星を神聖視する宗教観から出たものというのが定説。
でも、じゃあなんで、北方遊牧民族の影響の強かったイランやトルコや東欧で北闕型や坐北朝南が主流になってないの?と。
インド-ヨーロッパ語族の源郷をポントス-カスピ海ステップとするクルガン仮説(近年はアナトリア説より支持されている)に求めるなら、インド-ヨーロッパ語族圏はみな、ユーラシア・ステップの北方遊牧民族の強い影響下にあったことになる。言語が変わるほどに。
にもかかわらず、ヨーロッパやアナトリア・アラビアで北闕型や坐北朝南が主流になってないのだから、北闕型や坐北朝南や朱雀大街がやたら幅広な理由を北辰思想(北極星を神聖視する宗教観)に求めるのがおかしいんじゃない?という話。
これちょっと、多くの人の好奇心に訴えられるんじゃないかと思うので、全体公開にしました。
2020-03-29 20:48
清書版に差し替えました。全体公開です。朱雀大路が幅広なのは祭祀・威信のためという定説、矛盾だらけじゃないですかー、という話
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(24) 第5章 5.4.~5.4.2. 中世の方格設計都市③
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/801506
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https://note.com/mitimasu/n/n991ec65f1d4b
朱雀大路の道幅が無意味に広いはなぜ?に対して
・祭祀を行うため
・海外の使者に威信を示すため
というのが定説。
しかし天皇が行かない、行ったこともない大宰府にも朱雀大路があった。よって、天皇家の祭祀とは無関係。
海外の使者に威信を示すといっても、その海外の使者が来るわけがない多賀城で政庁前南大路の拡張を行っている。
そのほか大量の矛盾により、祭祀または示威で考えると矛盾だらけ。
……だったら朱雀大路が幅広である理由は、都市のインフラとして必要だったからと考えるべきでは? という話。
そもそも歴史研究者は、お手軽に
「威信を示すため」
という解を使いすぎだと思う。
2020-03-29 22:48
清書に差し替えました。ローマ植民都市も中国都城制も火災対策であの形になった。放火してくる敵への防衛のための碁盤目都市でもあったという論。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(25)都市が方格設計を求めた真の理由
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/804599
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https://note.com/mitimasu/n/nf3df977cfc20
大勢が密集して暮らす都市の弱点は火災だった。
だからこそ、江戸軍学はそろいもそろって「放火せよ」と指南していたのである。
消防組織の無い中世においては、方格設計都市(碁盤目都市)こそ延焼を阻止する火災(つまりは防衛)に強い形態だった。
水田を内包する必要があった中国都城制は巨大にならざるをえず、コスト的に石造都市にはできなかった。
石造に代わる火災対策として採用されたのは以下の通り。
* 失火が増え、農閑期の敵襲も多い冬に風上になる北へ宮を置く北闕型。
* 延焼を阻止する都大路。
* 最後の切り札として右京と左京、せめてどちらかは残すための火除け地としての朱雀大路。
また朱雀大路は広域避難所としても機能した。
このように考えると、天皇の来ない大宰府や多賀城にも政庁前南大路があることを無理なく説明できる。
広くて日当たりの良い朱雀大路は、冬の火災対策だけではなく、夏の防疫地帯としても機能したと思われる。
ようするに「都市戦は放火」であって、放火に強い都市とは方格設計都市だった。
わざと丁字路や袋小路を作るなんて、放火してと言ってるレベル。
2020-03-30 12:12
置きました。支援者限定もしくは有料記事です。中世都市が理想とした「燃えにくい都市」は近世には現実的ではなくなっていたという話。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(26) 第5章 5.5.~5.6. 囲郭が役目を終える近世
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/926854
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https://note.com/mitimasu/n/n288453873fd2
都市戦とは放火であり、火災に強い都市ほど防衛に強い都市。
それはそうなんだけど、近世以降は人口がめちゃくちゃ増えてしまった。
経済や利水など優先度の高い理由のために理想的方格設計都市より現実をとったのが近世だった。
あと、そもそも近世大名という単なる地方領主は古代の帝国や大和朝廷クラスの財力も動員力も持っていない。
方格設計が防衛に強い形態だとわかっていても、「そこそこ」レベルしか実現できなかった。
そして気が付いてみれば、五千年にわたって統治者を苦しめた「馬と車輪で襲撃してくる外敵」が、もはや国家を揺るがすほどの脅威ではなくなっていた。
市壁だとか羅城だとか惣構に、あまり意味がなくなっていたのである。
2020-03-30 14:20
置きました。支援者限定または有料です。最後の最後でなにか電波を受信してしまいました。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(27) 第6章 総括:街路変化は五業循環
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/927015
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https://note.com/mitimasu/n/n1888d7f4852a
調べてみたら、
「大名は城下を迷路化なんかしなかった。京都のような碁盤目型を採用した近世城下町は多かったが、碁盤目を採用したわりにはクランクや丁字路、クランク十字路が多かった。その理由はさまざまであり、ひとことでは説明できない」
という、そりゃそうよな、当たり前よな、という身もふたもない、誰も求めてない結論が出てしまったという。
それで結論にしてもいいんですけど、ここまで長い話をひきずってそんな脱力ラストも読んでくださった方に申し訳ない。
ので、越後流表法にならって「さまざまな理由」を、なんだかもっともらしく聞こえるように
「城下の道は土芯循環により五業相生し、かつまた五業相剋す」
と言い放ってみました。
2020-03-30 15:08
置きました。あとがきは全体公開です。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(29) あとがき・参考文献一覧・奥付
https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/927148
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https://note.com/mitimasu/n/nc71fd035e9af
いわゆる研究書というやつ。ずらっと並ぶ参考文献に
「ほんとにこんなに読んでんの~?かっこつけようと思って水増ししてない?」
などと失礼な疑いを抱いてた私でしたが、自分で研究本を書いてみて大いに反省しました。
研究者はこれくらい軽く、読むんですね。あたりまえか。
もっとも私の場合、大半は必要な記述がある箇所をチラ読みしただけで、全部が全部、熟読したわけじゃなかったですけど。
特に外国語の文献なんか、図を見て、それっぽいことが書いてありそうな部分をネット翻訳で読んだだけ。
ネットの記事も大いに参考にしまくったんですけど(特に wikipedia の英語記事)、そのへん全部載せたらキリがないのと、閲覧したページを全部ブクマしてるわけでもないので、割愛しました。
あと地理院地図web。感謝してもしきれない。
買わなくても、だいたい内容がわかるように要約をつけましたが、もちろん買ってくださって、皆様が議論の材料にしてくださることが筆者の願いです。よろしくお願いします。
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (古今定新書) Kindle版
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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった|mitimasu #note
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