弱者と団結とカースト

古代インド史の本を読み返し。

カーストについて考えると、人間や社会の、どうにもならない負の側面ばかり目に付いて鬱々とした気分になる。

弱者が社会で生き延びるためには、団結しなくてはいけない。血族なり、職業なり、宗教なり。

でも団結によって生き延びてその集団が力を持つと、そこに
「仲間か、そうじゃないのか」
という差別が生まれる。

仲間じゃないと判断された者は新たな弱者となる。弱者が社会で生き延びるためには、団結しなくてはいけない。なんらかの共通する理由で団結し……

いやんなるね。同じことの繰り返しのように見えても、人類は少しずつ進歩しているはずだと思っている。 でもやっぱりこれからも繰り返しが続くのだとすれば、 将来の日本でも、いま、弱者とされている人々が天下を取って新たなカーストが生まれるかもしれないのだ。

武士だって、最初は汚い仕事を丸投げされた、平安時代の下級役人だった。薩長は虐げられた外様藩だった。 ネトウヨ・カーストや特ア・カーストやDQN・カーストが誕生する可能性は高い。おまえら・カーストも。いや、すでに育ちつつあるとさえ……

輪廻と宿業。この二つがバラモンの作り出したカーストを支える二大要素だという。逃れられないのか。抵抗は無意味なのか。 ボーグのモデルは、ギリシャやローマの奴隷制やインドのカーストを作り出した自分たちの先祖、アーリア人種なのかもしれん。ちがうかもしれん。

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このブログを書いた人間/サイト管理者

桝田道也(ますだみちや)
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