日向国 去川関 二見家住宅
3月頃、私事で帰省した折に見てきました。宮崎市高岡町にある、薩摩藩の関所番を務めた二見家の住宅です。
→参考:二見家住宅 – 宮崎市
高岡は薩摩藩の外城扱いの国境の要所。とはいえ隣接する佐土原藩は薩摩の支藩(…ではなかったとも言われているけど、少なくとも敵対してた藩ではない)なのに関所が必要なんかいな?…と思ったら、この辺りはそんなに単純な場所でもなかったみたいで。
軽く調べただけなので自信ありませんが、北に米良山氏領(人吉藩の属領)、 東に佐土原藩領と幕府領と高鍋藩の飛び地に米良山氏の飛び地、 少し離れて南に飫肥藩領と幕府領……という複雑な場所だったようです。 そりゃー、関所、要るかも。
薩摩街道を通る上級武士の休憩・宿泊に使われた建物で、島津斉彬や岩倉具視も立ち寄ったそうです。
合成するのが面倒だったのでそのまま貼りますw
座蒲団の天日干し中。ちなみに入場無料ですが、土日祝日しか公開されていません。
建物の右の棟が来客用で、左の棟が二見家の生活用です。
いわゆる豪農の民家と似ているんですが、どこかに武家らしい緊張感があります。
よく言えば気品がある、悪く言えば堅苦しいというか。
逆に言えば町人や農家の屋敷の奥座敷は、よく言えば温かみがあり、悪く言えば野暮ったらしいのが多い気がします。
二見家の生活空間の方はこんな感じ。畳が消えて板間にムシロ。 関所番という、わりと重要そうな役職であってもそんなもの。
時代劇と史実との大きな違いは、
「昔の人は、現代の我々が想像するよりはるかにビンボ」
と言えましょう。
昭和 30 ~ 40 年代っぽいテレビ。昭和の遺物が展示されてるゾーン…というわけではなく、 なぜかこのテレビだけがポツンと置かれていた。よくわからないけど、よくわからないものは面白いので善哉、善哉
明治三十年のカレンダー。こういうの大好き。新旧両暦併載とかイカス。
左右の棟をつなぐテノマの天井。こういう意匠なのか、単なる竹材置き場なのか、よくわからない。 茅葺き屋根の農家だと梁の上に建材を備蓄してあるのをときどき見たけど、 二見家は瓦葺き+銅葺きだしなあ。
門。ちなみに関所はここより数百メートルほど離れた別の場所。そっちは見てないんですよねー。(遺構としては残存度が低いらしくて……)
廃校となり借り手を探しているらしい去川小学校。すぐそばに樹齢八百年の大イチョウもあり、秋に訪れるには良い観光スポットだと思います。はい。