小石川後楽園。はじめて行った。訪問日は 2011 年 5 月 19 日。
小石川後楽園。しだれ桜の実。道端の桜ならパクッと味見してるとこだけど、 庭園内は採取禁止なのでがまん。
ソメイヨシノの実は食べたことあるけど(おいしくなかった)、しだれ桜はどうかしらね。 誰も積極的に食べないってこたぁ、おいしくないってことだろうけど。
白い花。名前はわからない。ミツマタの花に似ている。
ハス。
花ショウブ……か?
あるいは、いずれがあやめ、かきつばた。
松の新芽。
後楽森ビルの裏にある小石川後楽園展示室(ここは入場料が要らない)の近くの空中庭園(と自称していた)テラスより、ハイビスカスと後楽森ビル。 なかなか良い場所なのだけど、森ビルにお勤めなさってる喫煙者の溜まり場になってて、 喫煙しない私としてはあんまり長居したくない感じ。
小石川後楽園。狛犬。
写真を撮ってる人たちを撮るというのは悪趣味かしらん。
敷石の路。中国風なんだとか。小石川後楽園は明から亡命してきた朱舜水が手がけてるので、かなりの部分が中国風。
目地にコンクリートのようなものが詰められてる。漆喰ではなさそうに見える。 朱舜水は水硬性セメントを知っていたのだろうか(中国にはローマセメントと同様の水硬性セメントが昔からあったらしい。ちなみに漆喰は気硬性セメント)
いまは修理中の円月橋のアーチ構造とかね。これらの技術が引き継がれていれば、日本の歴史も変わったろうに……。 根っからの文系藩主である水戸光圀は、その価値に気付かなかったっぽい。ラーメンとかより大事なことがあるよ……
こういうところを歩くのはいくつになっても楽しい。自分が成長してないのか、 人間の本能にうったえかける楽しさがあるのか。
庭園内には奇石もぽつぽつ。こういうブツブツしたものへの耐性の低い人には辛いかもしれん。
たぶんシマヘビ。上手に泳いでいった。
富士見堂。小高い場所にあるというだけで、富士山が見えるわけではない(と、思う……いや、江戸時代には見えたのかな?)
わいどすくりーん。
なんか檻に入れられてるかのような藤田東湖の記念碑。
小石川後楽園 内庭。水戸藩士たちは「うちの御庭」と呼んでたらしい。ここでの「うち」は「当家」という意味もかけたダブルミーニングだろう。しょーもなー(大きな声で高らかに)
護岸修理中(発掘調査も兼ねている)。ちょっとダム穴っぽい。
九八屋。街道の茶店を模した休憩所。戦災で焼失。戦後に復元されたもの。
こちらは和風の石段。
マスターソード、既に抜かれてたああああ!……じゃなくて、小石川後楽園、八卦堂跡。
戦災で焼失。でも、失われることで生まれる存在感というものもある。
小石川後楽園。修理中の円月橋。
これはこれで、めったに見られないものが見られたから良しとし……いや、だめだ、自分をだませない。はぁぁガッカリ。修理中とは知らなんだー。
目をつけて王蟲っぽくしてみたい。近寄れないんだけど。
というわけで、行った目的の半分は円月橋だったのだけど、あいにく修理中という、そういう星の本に生まれついた私にとってはいつものいつものいつものいつもの。
小石川後楽園の通天橋。京都・東山東福寺の通天橋をパクった模したもの。
ちなみにこの橋が架かる通称「音羽の滝」は京都・清水寺の「音羽の滝」に倣ったもの。こんなんばっかし>小石川後楽園。
小石川後楽園の石垣。高さは人の身長ほどもないけど、刻印石が多いので、見所はある。 庭園の外側なので入園料もかからないw
このあたり。
前ブログのコメント欄から転載
欄外 写真見て、
「あー、空豆食べてー、、」
と思いましたw
桝田道也 ちょうど旬すなあ>空豆