緑の原っぱに白い船体、雑木林にレトロな観測台。夢の世界に入り込んだかと。
訪問日は 2016-08-13。
この日のママチャリでぶらり旅の内容は「月島周辺をぶらぶら」であった。
が、完全にノープランというわけでもなく、明治丸と中の島公園を見よう、くらいのことは決めて出発した。
なお、明治丸の開館日は火曜・木曜と第1及び第3土曜日、およびオープンキャンパスの日となっている。
私が訪問したのは第2土曜日だったので、内部観覧はできなかった。このエントリは外観だけの鑑賞の感想であることを、さきに申し上げておこう。
>重要文化財明治丸:東京海洋大学
https://www.kaiyodai.ac.jp/overview/facilities/meijimaru.html
明治丸は東京海洋大学(旧東京商船大学+旧東京水産大学)の敷地にある。
「今日は開館日じゃないよ~」
「オーケーね、オーケーね」
というやり取りで大学内に入ったのち、とっとと目的の場所へ。
これは実際に使われていた錨《いかり》。「アンカーの塔」という名称がつけられているが、どのへんが塔なのかわからないし説明もない。
なお、このモニュメント、錨の主軸は北極星を指し、横棒は赤道を指しているそうだ。
「ちゃんと考えている。角度とか」
の実例がここに。
やむなく近づいて撮って、あとで合成パノラマ。地面にうまくつながってない部分が生じたけど、よしとしよう。
この日は休刊日だったから外観見学のみで、タダなのはまあ、そりゃそうだろでありましたが、開館日でも無料です。よ!太っ腹っ!
明治丸は港に係留されてなく、陸に上げられ野原に設置されているので、最初は違和感があった。
緑の草地。青い空。白い船。最高だ。
明治丸。現存する日本唯一の鉄船だ。
「え?鉄の船なんて、ほかにもたくさんあるでしょ?」
とツッコミたいだろうか?それらは、すべて鋼船である。
鋼とは、炭素を0.04%~2%ほど含む、合金のことだ。鉄と炭素の化合物だ。鋼は純鉄よりはるかに強靭であり、現在では、鋼じゃない鉄で造船するメリットはない。
明治丸は 1874 年にイギリスから購入した船であるが、当時の先進国であるイギリスでも、鋼の工業用大量生産は始まったばかりだった。
「鋼 – Wikipedia」の言葉を借りれば、真に工業的に大量生産ができるようになるのにはヘンリー・ベッセマーによる1856年の転炉法の発明を待たねばならなかった。
なのである。
より詳しい明治丸の歴史は、先に貼ったリンク先に書いてあり、私はそれ以上のことを知らないので、無意味なコピペは避けるとしよう。
なお、平成 27 年に修繕が行われたとのこと。私が訪問したのは平成 28 年だったけど、たしかに、ずいぶん綺麗なもんだと思った。
こういう顔の宇宙人がナディアにいたような気がする…と思って画像検索してみたら、そんなに似てなかった。
確認が重要な部分に、読み取り間違いの起きやすいローマ数字を用いるという糞UI。
港に係留されているわけじゃないので、喫水線より下の部分に近づけて、さわれるのって、なかなかよろしい。
さて。明治丸のある東京海洋大学の前身は、東京商船学校であるが、百周年を記念したのが、昭和 50 年だという。なんてこった!150年がもうすぐじゃないか。
そんな古い大学であるから、国登録有形文化財もちらほらある。
ということは、明治丸を見るために現地を訪れるまで、まったく知らなかったが、知った以上は見て回らねばなるまい。
どちらも中には入らなかったので、さほど深い感銘は受けなかったようだ>当時の自分。
感激したのは、次の二つの観測台だった。
あら?あらあらあら?なんかステキ建物が。いつのまにか国立天文台三鷹キャンパスに迷い込んだのかしら?
こととき、国立天文台三鷹キャンパスの第一赤道儀室に感激してから、まだ一か月たっておらず、記憶がよみがえり感動もひとしおだった。
えぇ…、これもう、新ジャンル:天文観測台ってこと…?それもいいかも…と思ったほど。全国の天文観測台を訪問する。優雅な趣味ではなかろうか。
そういえば、国立天文台のレプソルド子午儀を購入したのは、旧海軍観測台だった。古代から現代まで、船舶は天文の観測を切実に必要としていたのだった。
旧東京商船学校に天文観測施設が残っているのは、何の不思議もない。
第一観測台は赤道儀室で、第二観測台が子午儀室だったとのこと。
木立が生い茂っている。おそらく、いまはもう観測に使われてないのだろう。
草原の白い鉄船。木漏れ日のかかる古い観測台。幻想的な風景の連続に、しばし暑さも忘れたほどの訪問でした。