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[文学] 『トムと波止場の大砲』のインスパイア元?――『トム・ブラウンの学校生活』は完訳があった

この記事どう? ええよ~

『トム・ブラウンの学校生活』は完訳があった

2013年の年末に『トムと波止場の大砲』(原題:The Story of a Bad Boy)という児童文学の拙訳をセルフ電子出版しました。

  「不良少年モノ」の開祖『トムと波止場の大砲』 – 桝冊
  http://www.masuseki.com/wp/?p=115

その第10章で、他の小説からの引用している箇所があります。著者によれば、ある有名な小説で、その書名は「Tom Brown’s School Days at Rugby」だと。

自分の英語能力に自信なんかないし、有名な小説なら翻訳がありそうだと考えました。邦題がわからないけれども、原題と「トム・ブラウン」「ラグビー」で検索すればヒットしそうです。

で、見つかるには見つかったんですよ。

  近代デジタルライブラリー – トムブラウンラグビー在校記
  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/947405

ただ、Project Gutenberg の原典と比較してみたら、この近代デジタルライブラリーにある『トムブラウンラグビー在校記』の方は Part 1 しか訳されていませんでした。私が必要とした引用箇所は Part 2 からだったので、参考にはなりませんでした。

  Tom Brown’s School Days by Thomas Hughes – Free Ebook
  https://www.gutenberg.org/ebooks/1480

で、そのときは他に邦訳が見つけられず、あきらめたのですが、いまになって邦訳を発見してしまいました。それも天下に隠れもせぬ岩波文庫で。

検索語 “ラグビー “がよけいだったか!

Tom Brown’s School Days – Wikipedia(英語) によれば、オリジナルにはタイトルに ” by an Old Boy of Rugby “が付いたものの、以降の新版では削られたようです。それと、『THE STORY OF A BAD BOY』 での書名の表記が正確でなかったために、私は検索したとき岩波訳があるという事実にたどりつけなかったのでした。

ところで、THE STORY OF A BAD BOY – Wikipedia(英語)には、この作品が 19 世紀アメリカ不良少年文学の開祖であり、この作品の影響を受けてトム・ソーヤの冒険などが生まれたとあります。『THE STORY OF A BAD BOY』の主人公がトム・ベイリーであるため、誰かの抄訳の序文には「もう一人のトム」として米国では親しまれているとかなんとか書かれていたような。

しかし、『トム・ブラウンの学校生活』が『THE STORY OF A BAD BOYの前に存在した、トムが主人公の学校生活のベストセラーがあったのならば、影響されているのは明らかです。

ただ、『トム・ブラウンの学校生活』は 12 歳から 18歳くらいまでの物語で少年とも言い難い。そのためにジャンル開祖ではないという扱いなのかと思いました。

『トム・ブラウンの学校生活』は米国では今までに5度も映画化・テレビ化されており、どうも「もう一人のトム」の座はブラウンの方が優勢のようです。

 

拙訳とプロの訳をくらべてみる

話がそれました。

そんなわけで、今さら遅いんですが、せっかく邦訳、それも安心の岩波文庫のがあるならば、せっかくなので比較してみたいと思います。

まず、オリジナルの原文。Tom Brown’s School Days by Thomas Hughes – Free Ebook

Learn to box, then, as you learn to play cricket and football. Not one of you will be the worse, but very much the better, for learning to box well. Should you never have to use it in earnest, there’s no exercise in the world so good for the temper and for the muscles of the back and legs.

As to fighting, keep out of it if you can, by all means. When the time comes, if it ever should, that you have to say “Yes” or “No” to a challenge to fight, say “No” if you can―only take care you make it clear to yourselves why you say “No.” It’s a proof of the highest courage, if done from true Christian motives. It’s quite right and justifiable, if done from a simple aversion to physical pain and danger. But don’t say “No” because you fear a licking, and say or think it’s because you fear God, for that’s neither Christian nor honest. And if you do fight, fight it out; and don’t give in while you can stand and see.

『THE STORY OF A BAD BOY』での引用。わずかに違いがあります。伝言ゲーム的な引用ミスですかね。https://www.gutenberg.org/ebooks/1948

Learn to box, then, as you learn to play cricket and football. Not one of you will be the worse, but very much the better, for learning to box well. Should you never have to use it in earnest there’s no exercise in the world so good for the temper, and for the muscles of the back and legs.

As for fighting, keep out of it, if you can, by all means. When the time comes, if ever it should, that you have to say ‘Yes’ or ‘No’ to a challenge to fight, say ‘No’ if you can―only take care you make it plain to yourself why you say ‘No.’ It’s a proof of the highest courage, if done from true Christian motives. It’s quite right and justifiable, if done from a simple aversion to physical pain and danger. But don’t say ‘No’ because you fear a licking and say or think it’s because you fear God, for that’s neither Christian nor honest. And if you do fight, fight it out; and don’t give in while you can stand and see.

さて、訳文の比較。引用元はここまで述べた通り、『トム・ブラウンの学校生活 (下)』 (岩波文庫) トマス・ヒューズ作 前川俊一訳。

 クリケットやフットボールを習ふと同じ様に、拳闘を習ひ給へ。拳闘がうまくやれるようになつたからといつて、韌君のうち一人だつて惡くなりはしない。いやそのため、ぐんと善くなるであらう。よしそれを實地に用ゐる機會が一度も來なかつたとしても、性格陶治のために背中や脚の筋肉のために、これほど結構な運動は世界中にないのである。

 もつとも勝負については、出來れば手段を蓋して避けるに越したことはない。しかし、萬一にもだ、喧嘩を賣られて「承知した、」とか「いやだ、」とか返事をせねばならないときが來たら——出來れば「いやだ、」と言い給へ——ただし、何故「いや」というふのか、自分の胸にはつきり納得の行くようにしたまへ。それが眞にキリスト教的な動機から發した言葉ならば、それは至高の勇氣を證するものである。もしそれが、肉體的苦痛と危險とに對する素朴な嫌惡感から發したものならば、全く正當であり、首肯しうるものである。しかし、相手にやつつけられるのを恐れて「いやだ」といつておきながら、そういつたのは自分が阳を恐れるからだなどと公言したり思つたりするのは止め給へ。それはキリスト教的でもなし、正直でもないやり方だから、そして、もし闘ふのなら、徹底的に闘ひ給へ。立つて、眼が見えてゐる間は、斷じて屈服すること勿れである。

次に私の拙訳(機械翻訳使用)。

 クリケットやサッカーと同じくらい熱心にボクシングを学びなさい。ボクシングを覚えて損はなにもなく、得はかなりある。覚えた技術を使わなくても、ボクシングの練習は背中や脚の筋肉の訓練にとても良いものだからだ。

 たとえボクシングを学んでも、ケンカはできる限り避けたほうがいい。戦うか、戦わないか、決めねばならない時がきたときは、できるかぎり
「ノー」
と言いたまえ。クリスチャンであるがゆえに、明確な自分自身の意思で
「ノー」
と言ったのであれば、それは最高の勇気の証明になる。また、仮に戦うことを選択したとしても、じぶんへの苦痛と危険を避けるためであるならば、それは正当である。だが、敗北や神罰を恐れて
「ノー」
と言ってはいけない。それはクリスチャン的でもなければ正直でもないからだ。そして、ついに戦わなければならなくなったらば、戦いぬきたまえ。立っていられるかぎり、目が見えている限り、降伏してはいけない。

結論から言えば、私の訳には少々のまちがいがあるものの、まあ、全体としてはまんざらでもなかった。

なお、前川俊一訳では「全」の字体が aj1-13890 (全) – GlyphWiki だったのですが、JIS2004 のコードもふられてないみたいので、「全」で代用しました。ご了承ください。

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