深大寺城跡(東京都調布市)を見に行った
もう、自宅からチャリで行ける範囲内の城址も少なくなってきています。 せっかく三連休なので、疲れてもいいくらい遠くまで行こうと思って、 調布市の深大寺城跡を見に行くことにしました。
時間に余裕があったら深大寺もじっくり観賞しようと思ってたのですが、ほおずき市で混雑していたのでやめました。蕎麦も食べてません。
当時の城域の外郭はこのへんくらいまであったかもしれない。地形的には、なるほど築城に向いてそうな場所。
実は、以前に深大寺城のすぐそばまで行ったことがあります。というか、本丸にまでは行かなかったけど、城域である現・神代水生植物園の池の周りを一周まではしてるんですね(本丸は、その池のすぐ横の丘陵の上にある)
2008 年にチャリで荒崎海岸を目指したときの、帰りです。
→ママチャリで板橋から海を目指して一野宿二日の一人旅(後編) | 桝席ブログ
http://www.masuseki.com/wp/?p=1000#05
お城マンガという企画を提出する前年のことだったし、帰り道で疲労困憊していたので、池の周りだけで精一杯だったのです。
あのときは、数センチまで寄らせて撮らせてくれる、豪胆なカナヘビがいたんだよなあ……
と思い出に浸りながら再訪してみると。
まだ小さい。以前に私が会った豪胆カナヘビの子孫であるといいが。
勝手に子孫だと決め付けて寄ってみると、先祖ゆずりの豪胆さで、逃げもしなかった。
もう、これだけで来たかいがあったというか、もう深大寺城跡がどうでもよくなったというか。
カナヘビちゃんは、頭を指でなでようとしたら逃げていきました。
深大寺城跡
おそらく、天然の堀として使っていたのでしょう。 どうも、扇谷上杉家は、城とはできるだけ湿地がある場所に作るものと決めていたんじゃないかと思う。河越城・岩槻城・難波田城などを見る限り。
思ったより高さがあります。池から比高で 10m~15m くらいでしょうか(私の体感での数字です)
深大寺城を落とした後北条氏は、入手したこの城を廃城にしてしまいます。 でもそれは、決して駄城というわけではなく、南から来る敵(つまり後北条氏)を想定した城であったため、北から攻めてくる敵に備えたい後北条氏にとっては有効な城ではなく、かつ奪い返されたら困ったことになるからでしょう。
水生植物公園がメインであるため、城址公園としての活用度はそれほどではありません。 とはいえわりと城址部分は手付かずの部分が多く、意外と残存しています。
空掘は復元と書いてあるサイトを見かけましたが、現地に説明板は見当たらず、確認できず。
かりに復元にしろ、史実無視の場所に作ったわけじゃなく、発掘調査で判明した空堀跡(廃城後に埋められた部分)を掘り返したのだろうと思います(空掘を見てよろこぶのなんて城好きくらいだから、一般客の観光のために史実を無視して空掘を捏造する意味がない)。
竪掘らしく見える部分もあったのですが、外観からは人工的な造成か自然の地形か、なんともいえないなと思いました。少なくとも私の眼力では。
掘建て柱の跡に石が置かれています。15~16世紀で、まだ掘建て柱建築だったんですねえ。
丘陵の上とはいえ、湿地帯の軟弱地盤だったということでしょうか。
こちらの方が二の郭より狭くて低いんですが、こっちが本丸だったようです。 さっき述べたように、南から来る敵を想定した城だからでしょう。
まあ、こうして見ると城址というより公園だなあ、という感じですが。
城址としては普通でも、生き物が素晴らしい
城址としてはガッカリでもなく興奮でもなく、普通かな、と思います。……が、水生植物園として整備されているので、あふれる自然が素晴らしいんです!
花が咲き誇る四月・五月が過ぎてしまい、公園内の花はワルナスビばかり(笑)でしたが。
金属色のないカナブンなんて名前に偽りありじゃないですか、やだー!
生き物を狙ってねばったわけでもなく、軽く一周したらこれですよ。撮れなかったけどトンボ多数。かなり大きいのもいた。よく見えなかったがオニヤンマかもしれない。
そんなわけで、城が好きで虫が嫌いじゃなかったら、深大寺城跡は意外とイケますぜ、って話でした。