実は行ったことがなかった寺社へあらためて行った話
訪問日は 2016-12-10。
家からわりと近いので、いつでも行けると思うとなかなか行かないの法則が発動されていた雑司ヶ谷鬼子母神と護国寺を見に行きました。
今まで行かなかったところに行く気になった、その理由とは?
答えは別にたいした理由ではなく、なんかダルかったので、遠くまで行く気力がなかったというだけ。
運動不足の解消と鬱予防のため、運動&日光浴をしに晴れた週末、土日のどちらかは出かけるようにしてる。主にママチャリで。デジカメ持って。
しかし、半年続けた結果、楽しみだったはずの週末のおでかけが、だんだん義務のように重荷に感じられてきて、写真整理も追いつかなくなり、いつマンガを描けばいいの?という問題もあり、ちょっと週末おでかけを再考しなければならないかもと感じ始めました。
それはともかく。
そんなわけで、この日は家から片道 8km ~ 10km くらいにある豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神堂と文京区音羽台の護国寺を見に行ったのでした。ともに山の手台地の上に立地している、大雑把に言うと池袋の南東、神田川よりは北の高台にある寺社です。
雑司ヶ谷鬼子母神
まず、雑司ヶ谷鬼子母神へ。
北から来たので、表参道ではなく西参道から境内に入った。本堂の裏。イチョウの黄色がまぶしい。
鬼子母神の石像。鬼の怖さと母の優しさを折衷した結果、山田のクニちゃんみたいになってる(個人の感想です)
>鬼子母神 由来と歴史
http://www.kishimojin.jp/history/index.html
ご尊像は室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし(中略)その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。
16 世紀後半だから、おそらく後北条氏の配下だと思うけど、雑用係だった柳下さんの、さらにその部下の山村さんという、名字帯刀はしてるけど、ほぼ庶民なオッサンがおったわけだ。
雑用係の上司から雑用を丸投げされたのだろう、農地の開墾だか道路の開削だか、ようは土木作業をしてたにちがいない。そんで掘りくり返してたら、女神像が見つかったと。
こりゃ、霊験あらたかにちがいねえ。祀って敬ってご加護をいただくだーよ。とかなんとか考えましたとさ……というわけだ。そこが庶民の浅はかさよ。木像にそんな能力があったら、そもそも土中に埋まることもなかっただろうに(個人の見解です)。
その後、江戸時代になって幕府の庇護などを受けるものの、基本的には庶民のための庶民による聖域だったと言っていい。
柳下さんも山村さんも武士じゃねーかよー、日蓮宗系のお寺らしいけど、日蓮宗の信徒は武士が多いじゃねーかよー、という意見もあろう。しかし、当時の武士は総人口の 10% を占めていた。雑用係の柳下さんも、その部下の山村さんも、いまで言えば公務員だ。武士であっても庶民にはちがいないと私は思う。
このような巨樹があることはまったく知らなかったので、ちょっと嬉しいサプライズ。
すでに葉はだいぶ落ちてしまっていた。
鬼子母神境内には安全のためポケモンGO禁止の張り紙があったが、地面しか見ずに銀杏拾いしてるジジババは危なくないのか?やい!…と思った。
表参道のケヤキ並木。東京都の指定天然記念物だというから、少し期待していたが、正直なところ、
「え?このレベルで都の指定天然記念物?」
だった。
戦争で焼けてこんな異形になったのか?とも思ったが、そんな説明もなかったので、単にマンション建設の都合でジャマな枝が伐採されたのだろう。都の指定天然記念物……うーん……
現地にあった、戦前の写真を見ると、なるほど樹勢が盛んで、見ごたえのあるケヤキ並木だった。 しかし中規模建造物が林立した今となっては、ごみごみした集合住宅街に肩をすくめてやっとこ生きてる、 苦しそうなケヤキ並木という感じだった。
先日、埼玉県川口市の『花と緑の振興センター』というところを見学した。そのとき、『むさしの3号』という枝が横に広がりにくい、都市の街路樹に向いたケヤキを開発したが普及が進んでいない、という説明板があった。
さもありなん。やはり、ケヤキは左右にブワーッと枝をひろげてこそ、美しい。
雑司ヶ谷観光案内所があり、ふだんだとだいたいこういうのはスルーするのだけど、どうした気がぐれか、入ってしまった。
なにか不可思議な力で、吸い寄せられたとしか思えない。というのも、この訪問については何も下調べをせずに来ていたので、この観光案内所のある建物が並木ハウスの別館だとは知らなかったのだから。
並木ハウス。さすがに名前だけは知っている。手塚治虫先生が移り住んだアパートのうちのひとつだ。トキワ荘とちがってアパートとして現存しており、今でも時たま空きが出ると入居者募集している。
その並木ハウスの別館が、雑司ヶ谷観光案内所のある建物だ。築80年だが、近年に大幅に外観を修復しオシャレなカフェなどが入っている。手塚先生の住んだ並木ハウス(本館)は、この建物の裏にある……ということは、観光案内所に入って知った。
私はオカルト的なものを信じて行動することはないけれど、起きてしまった偶然について、超自然的な力が働いたとこじつけて楽しむのにやぶさかではない。
その、並木ハウス。今となってはボロい安アパートだが、手塚先生の住まわれた当時ではモルタル造りのハイカラな建物であったことだろう。
さして防音設備のあるわけでもないアパートで、眠気覚ましにピアノをかき鳴らしたという、非常識クズ野郎であらせられる手塚治虫大先生。
なんか、巨樹と並木ハウスにもってかれて鬼子母神の印象が薄くなったが、全体としては楽しめた雑司ヶ谷鬼子母神だった。次に、護国寺へ向かった。豊島区から文京区へ、区をまたぐことになるが、距離的にはそんなに離れていない。