お殿様の遊芸~楽しみながら描いてみむ~
– 板橋区立美術館
- http://www.city.itabashi.tokyo.jp/art/schedule/now.html
- 2006年9月23日(土)~10月22日(祝)
- 一般600円 高・大生400円 小・中学生150円
見てきました。この入場料にしては内容が少しだけもの足りない、という印象。 私の金銭感覚では一般 400 円くらいが妥当なところかなぁ。
ようするにセミプロ~ハイアマの絵なので、画技的な意味で見るべきものがある絵は少ないのですよ。 あとは歴史的な付加価値…太平の世の武家の棟梁という、ある意味で存在価値のよくわからない役職にある人物がどういう絵を描いたのか。 描き手がお殿様だからこそ生まれることができた絵画。 そういう背景を考えながら観賞することにどれだけの価値が見出せるかで、 この展覧会の価値も変わるんでしょう。
殿様芸であるなしを抜きにして、 絵画的、絵画史的には佐竹曙山・佐竹義躬の秋田蘭画は見る価値がありました。
『竹に文鳥図』 佐竹曙山
作品解説が面白い
板橋区立美術館の作品解説って面白いんですよ。館長の安村敏信氏によるものらしいんですが。 今回の展覧会でも絶好調。(以下、図録に収録されている作品解説より引用)
- > 殿様らしい大らかさに満ちている
- > 素人の下手な技法からくるものなのだが、不思議な魅力を逆に漂わせる描写に昇華されている
- > 稚拙さの極みにあるような作品だが、逆に人の心をなごませる
- > 猫が上の蝶を見るという難しいポーズを苦労して描いたら、顔がやや寸づまりになってしまったというご愛嬌
- > 実技はいまいちと言わざるを得ない
- > どうも形がいびつである
……もう!死んでるからって言いたい放題!仮にも相手はお殿様ですぞ! (ちなみに、誉めるところは誉めてます。もちろん)
以前、日本洋風画史展(→感想)でも、洋風画をみようみまねで描いた当時の作品をして
「陰影が変」
だのなんだの、ズバズバと解説してたのが面白かったんですね。
根底にあるのは画技の上手下手にとらわれるわけでもなければ無視するわけでもなく、 下手は下手として味わいを楽しむ姿勢。それがいい。
> 従来の美術史が絵の上手、下手、というところにのみ価値観を置き、そうした見方をしてきた。 しかし、お殿様の絵のように、単なる巧拙を超えた、別のゆったりした面白さ、奇抜な自由さという遊びの要素にあふれた楽しさがある。 これもひとつの絵の面白さではあるまいか。 徳川将軍の描く、あまりにもあっけからんとした稚拙さ、堂々とした稚拙さの中にも、その居直りの面白さがある。こうした新しい価値観で、お殿様の絵を見直してほしいものだ。
この意見にすこぶる同意。
考えてみれば20世紀に現代美術が生まれてからコンセプトやパッションという部分が重視され、 絵の上手、下手はそれまでほどには重視されなくなったというのに、 ルネサンス以降~印象派誕生以前の絵画についてはいまだに、画技の巧拙で評価してるんだよな。 コンセプト的な部分を高く評価されているのはボッシュとブリューゲルくらい?それは私の無知からくる偏見か?
なんかグッときた絵、2点
『牡丹図』 島津斉彬
キッチリ描かれた牡丹部と、デザイン画・装飾画のように平坦に描かれた花瓶部の落差がすごい。
蘭癖大名の斉彬だから、洋画の特徴である強いグラデーションと日本画の特徴である平面性を折衷して日本と西洋を一枚の絵で表現……ではなく、単に〝牡丹は一所懸命に描きたかったけど花瓶はどうでもよかった〟んだと思う。
うん、花瓶なんか描いても面白くないもんな。 描きたいとこだけ描けばそれでいいよな。 アマチュアリズム万歳!
『枯木梟図』 徳川家光
家光は狩野探幽に絵を習ったと伝えられるそうですが、 作品は狩野派とは似ても似つかぬ児画ギリギリのマンガチックな梟の絵。 フクロウの右半身(画の左側)にだけ斑点が入っていて左半身に入ってないのは、 途中で描くのが面倒くさくなったからですかね?
まぁ、そんな感じで
展示されている作品も64点と少なく入場料はちょっとだけ高く感じましたが、 作品数が少ないおかげで図録は 1,000 円と安かったので、 まずまずの展覧会でした。
絵としては特に目を見張るものではなくても、
やっぱり家康の絵や吉宗の絵を前にすると、
「おぉー」
と思いましたし。
前ブログのコメント欄から転載
ゆーじ 家光すげえ。探幽もびっくりだ。
桝田道也 何歳の時の作品かも解説に書いてなくて、気になるところ。
これが成人後の作品だとしたらヤバイ。ヤバMAX。