おくやみ : 杉浦幸雄
週刊誌連載をしている漫画家としては世界最高齢の記録保持者である(※2001年当時)の、杉浦幸雄先生が逝去なされました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20040619k0000m060166000c.html
享年92。謹んでご冥福をお祈りいたします。
杉浦先生と言えば、齢90を超えてなお週刊で漫画サンデーに描きつづけた「面影の人」(1983~2003)があまりにも有名。週刊連載の最高齢記録として今後も長く残りつづけるでしょう。
取り急ぎ、ぐぐってでてきたページから、語録などを。
中日新聞 土曜訪問 漫画家 杉浦 幸雄さん 卒寿を過ぎてなお意気盛ん 世の中動いている、奮起しないと
https://web.archive.org/web/20040630221037/http://www.tokyo-np.co.jp/doyou/text/d87.html
彼(谷岡ヤスジ)が、(「面影の女」を)非常に高く買ってくれましてね。 あれだけの天才に激励されたんで、僕も励みになったんです。 あの人が元気だと僕も元気でしたねえ
僕が二百歳になったら、ぜひまた皆さんインタビューに来てほしいなあ
世の中、いろいろ動いているから、漫画家は奮起しないといけねえなあ。せっせと外に出ないとね
私の選んだ道(月刊「進路指導」)
https://web.archive.org/web/20181231014944/http://www.j-n.co.jp/kyouiku/link/michi/24/no24.html
ここが大事なんですが,親父がですね,ぼくが往来に描いた悪戯書きのような絵を盛んにほめてくれるんですよ。通行人までつかまえて「うまいでしょう。ほら,この飛行船なんかとってもうまいでしょう」なんて。子どもは自惚れが強いからすっかりその気になっちゃって,もう往来の隅から隅まで描きまくっていました(笑)。
女房のことを愚妻,息子のことを豚児と言うのが謙譲の美徳とされていた時代に風変わりな親父でしたが,いま振り返ると,これが教育の根本だと思うんですよ。ほめられて人間はその気になる。あれでぼくは漫画家への第一歩を踏み出したようなものです。
本郷絵画研究所に在籍していたときのことですが,まずは一階の教室で塑像のデッサンから始まるんですが,二階ではヌードのデッサンをやっている。こちらは一刻も早く二階に行きたいわけですが,進級試験にパスしないと二階には行けないことになっている。もう二階に行きたい一心で塑像のデッサンに励みました(笑)。
(編註:岡本一平の弟子になって)入門の頃に聞かされた言葉で座右の銘としている言葉があります。「仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様やキリスト様にしろ」と。
八月十五日に広場に集められ,直立不動で玉音放送を聞いたときは,ガーガーピーピーと拡声器の調子が悪く,お言葉の意味がまったくわからなかった。
「ロシアと戦争するからもっとしっかりしろ」
とおっしゃってるんだろうと,まあ勝手に解釈していました(笑)。ほとんどの兵隊はみんなそうだったと思いますよ
↑これをたまたま読んでて、面白いことを言う爺さんだと記憶していたのでぐぐってみましたが、まあ、出るわ出るわの名言の数々。
昭和七年から今日まで,週に四日は銀座通いをしてきましたからね。さすがに最近では足腰が弱ってきて週に一度のときもありますが,この年になるとますます女性が美しく見える。すてきなオッパイやお尻にムラッときても年が年だけに何もできないけれど,この邪念妄想が漫画のアイデアにつながるんです。みなさんも稼いだ金はパッパと使いましょう,どうせあの世には持っていけないんですから(笑)。
漫画家になったら忙しくて勉強なんかできないから,出来るときに一生懸命勉強しておけ
心のこもった弔辞(橋本知事の「とりあえず一言」 )
(元記事消失。Wayback Machineにも保管されておらず)
「横山くん、とうとう死んじゃったんだね。何故そんなに早く逝っちゃったんだい」
(漫画家 横山隆一(享年92)の葬儀での、追悼の言葉)
高齢者を追って(八十路からの健康談義」 )(※毎日新聞8月24日(土)の「ひと」の欄からの引用とあり)
http://www.taishitsu.or.jp/yasoji/yasoji21.html
今は時代が濃厚だから、昔のような洗練されたエロじゃ通用しない。これでもかと描かなくちゃ。でも戦争で表現が統制された時代があるから、今の方がいい。ひでえの描きやがるなと若い者を批判するより、よーし、おれはもっとすげえのを・・・・・という気になる。
いやはや。人徳の高さが伺い知れる言葉ばかりです。こういう風に歳をとりたい。