平林寺(埼玉県新座市)の紅葉が圧倒的だった。
前に正福寺を見に行く途中で通りがかったとき、外から見るだけでも見事な紅葉だった。 おまけにカメラおじさんがわんさかとうろうろしてるし。 こりゃすげえ寺だな、いずれしっかり時間を作って見にいかねば……と思ってから二年、ようやく見てきた。圧巻。圧倒。感服。感激。
まず、バス亭からこの状態だ。
平林寺には13万坪の敷地に武蔵野の自然が残っている。これは国の天然記念物に指定されている。また、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱の菩提寺だ。
→野火止 平林寺 公式サイト | 臨済宗 妙心寺派
→平林寺 – Wikipedia
とりあえず、平林寺に入る前に、そのすぐそばにある、睡足軒の森へ。ここも国の天然記念物に指定されている森林の一部であるが、参拝料が要らない。
そして平林寺境内とくらべて、人の手の入ってない雑木林という趣が強い。
睡足軒は明治時代に電力王の異名で知られ茶人でもあった、松永安左エ門 – Wikipedia が飛騨の田舎屋を移築した屋敷だ。
江戸時代までは代官の陣屋だったというので、まぁ、城址の仲間みたいなものだ。 そういう目で見ると、土塁のように見える部分もあるにはあるのだけど、確信できるほどのものでもない。
睡足軒の森のとなりには竹林もある。
HDR 風にしてみた。するんじゃなかったね。
さて、道路を渡っていよいよ平林寺へ。動物注意じゃなくて、たぬき注意なんだな。
総門。入場料が必要だとは知らなかった。しかも 500 円。なかなかの価格設定だ。現存十二天守でも 500 円とるところはそんなにないぜ。もっとも、非現存コンクリ天守の方が入場料が高かったりするものだが。
参道。紅い。そして見回せば……
これだ。
降るような赤、紅、橙、黄色の乱舞。
初老の男性が連れの人に向かって、こう言っていた。
「誘ってくれてありがとうね。こりゃあ見事だ。こりゃあすごい。
誘われなかったら来ることはなかった。来て良かった。
本当に、誘ってくれてありがとうね」
これとほぼ同じ言葉を、4~5回、境内の別々の場所、それぞれ違う人から聞いた。
いずれも初老の男性だった。みな一様に、
「誘ってくれてありがとう」
と言っていた。
平林寺のウェブサイトにある”>初めて訪れる誰もが感嘆する”は、決して大げさな表現ではない。
二年前、外から眺めていたので多少はショックが少ないはずの私も
「これほどとは……」
と息を呑んだ。500 円、お釣りがくる価値があった。
山門。
金網も被写体の一部だと割り切ろう。
樹齢五百年の高野槙。コウヤマキはシュッとまっすぐ伸びてるのが多いと思うが、ここのは形が面白い。
仏堂。
鐘堂。
近所の公園でもみじを撮ると、背景にすべり台だの鉄棒だのといったものが入り込むわけだが、 ここでは背景まで紅いカーテンだ。
中門。
こんな風に釘を打っていい門ではないだろうと思うが、それはそれとして錆び釘の醸し出す寂び空気は大好物だ。
本堂。本堂だが、日曜写真家のおじさんたちはこの辺には少ない。
本堂のそばの異形の樹。落雷にでもあったのだろうか。 小枝が伸びているところを見ると死んでないらしい。生命力だ。
放生池。ちなみに平林寺の境内には多摩っ子には馴染み深い野火止め用水が走っている。 境内の外の用水路には水が流れていたけど、境内の中のは枯れていた。
半僧坊。もともと別のお寺だったが、平林寺に勧請されたという。
あふれる橙色を瞳が受け止めきれない。
こぼれる緋色に心臓が静まらない。
そして、やたらと広い境内。
知恵伊豆と呼ばれた松平信綱の墓。信綱以外の大河内松平家代々の墓がある。 これは、事前に知っていたが……
増田長盛の墓があるとは知らなくて驚いた。かつて五奉行を務めた大名の墓としては質素だ。これが敗者の宿命か。
関ヶ原で敗れたのち、岩槻で蟄居させられていたそうだ。知らなかった。
このほか、案内板のあったものは、 夏目漱石『草枕』に登場する「那美」のモデルとされる前田卓の墓。前田卓の養子となった哲学者・前田利鎌《とがま》の墓。武田信玄の娘・見性院の墓。島原の乱供養塔(おそらく幕府軍の戦死者の供養塔だろう)などがあった。もう一つ、なにかあったけど説明板を読んでもよくわからなかった。
紅葉山。名前の通り。
よくある表現だが、それ以外に言うべき言葉が無い、「紅葉のトンネル」
「気」の字形がいい。はじめて見る字形だ。
日曜にゴロゴロしているオトーサン族を「濡れ落ち葉」になぞらえた主婦は、この美しさを知らなかったのだろう。
紅葉以上に、そこら中に笑顔があふれていた。
平林寺の紅葉は死ぬまでに一度は見ておきたい紅葉だった。私は、見た。