去年、撮った江戸城の写真まとめ
『どっからみても波瀾万城』第2話が「江戸城」だったので、これまで日記にちょこちょこ貼った写真も含めてまとめ。
江戸城(皇居)は広い。でかい。深い。高い。タダ
江戸城ってのは天守が焼けてしまって現存しておらず、そういう意味では私のようなにわか城ファンには物足りない城。じゃあ見所はどこかっつーと、
やはり天下様の居城だけあって、
「異常にでかい」
「堀が広かったり深かったり」
「いろんなところに金がかかってる」
というあたり。それらがタダで公開されてるんですから、もうね。見逃す手はないぞって話ですよ。
江戸城の魅力は、DPZ のこの記事が上手に伝えてると思う
@nifty:デイリーポータルZ:一日でできる自由研究 江戸城探訪
http://portal.nifty.com/2007/09/01/b/
桜田濠。でかい。でかすぎる。こんなもん毎日、通勤のときに見てるよって人もいるんでしょうが。
平川門のあたり。私の場合、自転車で皇居に向かうとたいがいここにまず到着します。
江戸城に限らず、お城にかかる橋はたいがいゆるくカーブがかかってます。 木製なので、まっ平らだと雨水が溜まってすぐ腐ってしまうんですね。
お堀の川鵜。お城のお堀ではカモや白鳥など水鳥を飼うことが多いです。 なぜなら侵入者があったときに、まず水鳥が騒ぐから。番犬みたいなもんですね。
でも、たぶん、川鵜は飼わない……と思う。鮎が獲れるわけでもないし。
鯱瓦。いかにも「資料として撮ってます!」的な構図。
石垣すごい
いろんな石垣があって楽しい。職人技ゴイスー
刻印石。江戸城普請の「お手伝い」を申し付けられた大名が
「ここはウチがやったんやで~」
ということをアピールするために(および責任者と資材の所有者を明確にして他藩とトラブルを起こさないために(もっと直接的に言えば、盗難予防))わざわざ掘った家紋とか印。
「はつり」という石垣の化粧。いちいち、ノミで穿つわけです。狂気の沙汰としか思えない。 江戸城といえど、全部の石垣には入っておらず、一部だけ。 それも、あんまり重要でない場所だと、おざなりに三本くらいのすだれはつりが入ってるだけだったりしますが。
私が見た中で、いちばん「はつり」が丁寧で美しかったのは新宮殿入り口の石垣。ここは一般参賀の日で無いと立ち入りできません。
天守台
明暦の大火で天守が焼けたあと天守台だけが再建されたという、それ。
天守台を作った後、保科正之が
「天守はさして役に立つものではない」
とかなんとか言って再建されなかったわけですが、
天守台を作る前に言えよ……などとツッコんではいけない。
近代的なコンクリートの無い時代なんで、 天守台ってのは作ってすぐ使えないんですね。土が「しまる」まで半年は寝かさないといけない。
だから、すわ戦争だ!ってときに、天守は(装飾に凝らなければ)突貫工事で大急ぎで建てられるけど、天守台はそうはいかない。逆に天守台さえあれば、いざってときに建てればいいってことになる。
……てことにしときましょうや。武士の情けで。 天守台を再建したらお金が足りなくなっちゃったー!じゃ、あまりに幕府がアホアホすぎる。
牛ヶ淵のあたりは人も少なく木陰も多い。散歩してて楽しいあたり。昼寝でもしたい……虫さえいなけりゃね。
江戸城の石垣だって、反りは入ってる
ものの本を読んでると、築城名人の大名として藤堂高虎と加藤清正の名がまず挙がってるのですよ。それはもう必ず。
で、二人の石垣の特徴はというと、加藤清正のは扇の勾配と言われるような強い「反り」の入った石垣であり、藤堂高虎の特徴は「反り」がほとんど入らない一直線の稜線である――なんてことが書いてあるわけです。
それで、
「江戸城は藤堂高虎の設計した城だから、石垣も直線の勾配なんだろう」
と思い込んで、それを前提にネームを切ってたら、実際に見てびっくり。
反りのある石垣も無い石垣もいろいろあったのでした。
考えて見りゃ、270 年間、最初の石垣がすべてずっと残ってるわけもなく。 直すこともあり、そのときに藤堂が生きてたわけでもなく。はたまた藤堂の石垣が必ず直線だったのかどうかということも…。研究熱心であれば反りを試してみることもあっただろうし。 (追記:藤堂高虎が手がけたのは縄張りであって、それぞれの石垣は担当した各藩のやり方に沿ったと考えるのが自然か)
これがきっかけで、本だけの知識でネームを切らず、可能な限り実際に題材となる城に行ってみなければ……と決意したのでした。
これは「むくり」と言うふくらみをもたせた石垣……というのは大嘘で、 経年劣化でふくらんだだけと思われる石垣。
門
城の門に関する知識がとぼしくて、まだ門を楽しめるほどではない、にわかな私。
左下のはネコ用の扉……もちろん嘘ですよ。
まぁ、こんな立派な門は弓矢や槍や鉄砲程度じゃ絶対に突破できんな…足軽に生まれなくてよかった…と思う。
田安門。石垣の石の色が多様でキレイ。
皇居正門。唐突に明治の香り。
皇居前広場の松。カネかかってんなーちくしょうめ!と思っていた。 実際には、江戸時代初期にはこのあたりには防衛用の塀が何重にもあったらしいのだけど、 江戸時代中期にお金が足りなくなって補修できなくなったので、 塀を取っ払ってかわりに松を植えたのがこの広場の始まりなんだと。
巨石
本丸中の門石垣。江戸城の中ではいちばん大きい石らしい。大坂城の蛸石↓ほど大きくはないけど、
蛸石っていまひとつ奥行きがよくわからない……ひょっとしたらすごくひらべったい石かも!なんて疑念は、こっちの石では沸かない。厚さがわかるって素敵ですね。
構図縛り
百人番所。全体を納めるにはこの位置からこの構図で撮るしかない。 みんなこの位置から撮ってた。たぶん、みんな同じような写真になってると思う。
わざわざパノラマで撮るほど造形的に面白いもんでもないしなあ。
意外と、食事に困る
DPZ の記事でも触れられていたけど、皇居内には食い物屋が少ない。 皇居内の売店で美味しそうだけど値段もけっこうする弁当か、 和田倉門のところのレストランで美味しそうだけどなかなか結構なお値段のランチか。
皇居を出て九段下あたりまで歩けばいいだけ、ではあるんですが。
私は皇居北の丸公園内科学技術館のカフェテリア「THE SPACE」にしました。 流刑星看守(違
ロコモコ。700 円くらい。
湿地と櫓
蓮池掘。冬だったから枯れた茎だけが突き出ていた。こういうの見ると、 この辺が家康入府まで一面の葦原、萱原だったというのもうなずける。
現存する数少ない櫓のひとつ、巽櫓。内堀通りからよく見えるかわいいやつ。
伏見櫓。江戸城の櫓は入母屋破風の部分に青海波紋がほどこされてて、 正直アホっぽいと思う。怒られそうなことを言ってみた。
上野戦争で大村益次郎がここで指揮をとったという、富士見櫓。 ふだんはこっちがわからしか見ることができない。
一般参賀の日だと、こっち側から撮ることができます。
……中に登らせてほしいよなあ。
まとめ
江戸城いいよ!これだけのものが見られてタダなんてすばらしいよ!