訪問日は 2016-10-15 です。この文章は 2019-12-7 に書いてます。
この頃はもう、ママチャリで行ける近郊のめぼしい城は行き尽くしていたんですよね。 残るは説明板だけあるとか、文献上はこのあたりと推測される、みたいなやつくらいしか。
なので、この日は城址ではなく、土木学会選奨土木遺産に選ばれてる荒川横堤を見て、ついでに彩湖を見て、あとはノープランで周辺をぶらぶらしよう、くらいな雑な計画で出発したのでした。
最初に行っておきますが、荒川横堤、地味です。そもそも土木遺産と言うやつが好きじゃない人には届かない地味物件ぞろいなわけですが、中でもとりわけ地味なやつです。
そんなわけで、この記事も最後までおおむね地味なので、そのつもりでおつきあいください。
ばかげて爽快な秋晴れ。これはお出かけしなくてはお天道様に申し訳が立ちません。西高島平にて。
私が埼玉方面に行くときは戸田橋が多いのですが、この日は笹目橋。
ホームレスのホームという矛盾。これだけの家を一人で建てる能力があるなら働いて食べていけるだろ、と思う。でも、スキルがあっても現代社会では働きたくないって人が少なくないんですよね。
笹目神社のキノコ。サルノコシカケ科でしょうか。キノコにくわしくないのでよくわかりません。
荒川横堤を見に行くというのはつまり、大水対策を見に行くということです。いちおう、これは見るつもりのものに入れていました。なんだ、言うほどノープランじゃないでやんの。
あそこが4m。決壊したらあそこに泳いでいける!楽しい!(違う)
妙顕寺の山門。なかなかの風格ながら、山門そのものへの文化財指定は今のところ、ないっぽいですね。
仁王像。こうしないとハト害が大変なんでしょうけど、拝観と言う観点で言えばこの金網はむごい。
なんだかんだ言って水路が多く、荒川の堆積低地ゆえの苦労があちこちに発見できる戸田市です。土木も面白いですよ(布教)。
大好物の小橋。城郭用語ではない方の土橋。なぜ土を盛ったのかはわかりません(立ち入り禁止で渡れない)。
10 月の午後 4 時は、ここまで暗くないんですけど、逆光だったか露出を間違ったまま撮ったかですかね。意図的にこの露出にしたのかもしれませんが、もう覚えてないです。
2005 年に初めてこの交差点へ訪れた時と同じことを考えてる私。人間としての成長がない。でも、この交差点名から『帝都物語』以外の何を連想できるって言うんです?
荒川河川敷。最初に書きましたが、この記事も最後までおおむね地味です。
到着。荒川横堤。ほら、言うたやん。地味やって。ただの築堤やもん。言うても。
大正 7 年に作り始めて戦後、昭和 29 年に完成するという大工事でした。が、上面がアスファルト舗装路なせいか、いまいち歴史を感じることができません。
横堤そのものは江戸時代の木曽川に猿尾堤という例があり、その流れを組む和式治水の工夫だと、頭では理解できますが、いかんせん「ただの土手」にすぎず、これを楽しむのはなかなか手ごわいものがありました。
>猿尾堤 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E5%B0%BE%E5%A0%A4
横堤が川に突き出してたらまだ面白かったんでしょうが、増水時対策の構造物であるため、平時の流路のとこまでは突き出していないのですね。河川敷の途中で止まってしまうのです。
なので、先端まで行っても面白くなく、先端の写真を撮り忘れてました。
台風一過のときにドローンで空撮とかすれば楽しいんじゃないかとは思います。
でも彩湖はサイコーでした(筆者はアホなのでアホっぽいことを言います)。
彩湖の水質だってそんなに良いものじゃないんですが、ウンコ臭のするお台場でやるより良いんじゃないですかね>2020 オリパラ。
覗く、という行為に快感を抱くのは、樹の洞の虫をほじくって食べてた霊長類の本能に由来するんじゃないか、などと思ったり。
でもパノラマもいいよね!(単にこだわりがないだけじゃないですかー!ヤダーッ!)
わざわざ立ち止まって消防車をしげしげ眺めるサイクリストたち。それを撮ってる私。まあ、たしかに、なぜここに消防車が?という不思議は私も感じましたけど。
このへんをぶらぶらしてたのは、さいたま市南区堤外という場所を見たかったので。
>堤外 (さいたま市) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%A4%96_(%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%BE%E5%B8%82)
>荒川の河川敷と彩湖があるのみで人口は0人である。郵便番号は336-0036。
誰も住んでないのに町名と郵便番号がある!なんのために!?概念トマソンかい?
という感じで、ちょっとどういう場所か見たかったんですよね。
言うまでもなく、河川敷と彩湖があるのみで、地名表示板などあるわけもなく、
「ともかく、そこへ、行った」
という好奇心が満たされない不完全燃焼な記憶だけが残りました。
彩湖は荒川洪水に備えた広大な荒川第一調節池の一部。そしてその水量を調節する水門こそこやつ。たのもしき哉。
歴史を感じるほどの古さはまだありません。百年後が楽しみです。人間はいつか死ぬというのが定説ですが、私はそれを信じておりません。夢はいつかきっと叶う!
関東平野(というか地平線のある風景)は、青空の下では開放感が半端なく、夕日の下では寂寥感が半端ないですね。
早瀬渡船場跡。ママチャリぶらり旅も年期が入って、こういう予定になかった史跡看板の見逃しが少なくなりました。
近寄ってみたら、たしかに歴史を伝えるものではあるけど「土地改良記念碑」とか、あんま嬉しくない石碑ってことも多いんですけど(とはいえそういうものもフィールドワークにおいて重要な情報を後世に伝えていくのだろうと思います)。
というわけで、この記事は地味なまま終わりです。