2010~2011 の帰省の記録(4)
さあ、18きっぷで四国の城をめぐりながら東京へ戻る旅の始まりです。
18きっぷは全国のJRの普通列車・快速列車が乗り放題の切符。 つまり普通列車・快速列車が日に数本というような過疎地域がネックとなる。 つまり、宮崎から普通列車しか使わないと、九州を出るだけでも1日を費やすことになる。
ましてや、私は四国へ行きたいのだ。
ルートをいろいろ考えた。
考えた結果、
宮崎→都城→人吉→八代→小倉→関西汽船(フェリー内で一泊)→松山
というルートに結論付けた。
佐伯あるいは臼杵から四国に渡るルートは、延岡~佐伯間の本数が少なくてきっぷが6時間分くらいムダになるし(意地でも特急は使いたくない)、四国に着くのが 23:00 頃になるのと、着いた先の宿毛や八幡浜の宿泊環境に不安があった。
小倉から松山行きのフェリーならば船内で一泊できるから、じゃあこっちかな……と。
しかし、先述した通りの理由で日豊本線ルートでは1日で小倉までは行けない。
となれば鹿児島本線回りで……肥薩おれんじ鉄道ってなんじゃああ。 (意地でも別料金は払いたくない)
……というわけで、肥薩線・吉都線経由で宮崎から小倉へと向かう異常なルートの採択となったのであった。
大人なんだから特急料金なり別料金払いなよって?やだいやだいやだいうわーん(少年の心を忘れない無垢な瞳を持つマンガ家・桝田道也)
というわけで宮崎駅を出発。宮崎県民は全員セレブですからね。 無機質な自動改札機でお客様を送り迎えなんて、とんでもないことです。 選び抜かれたトップクラスのJR職員がきっぷを受け取ったり、ハンコを押したりします。
県民は全員セレブであり、ナポレオンが
「東洋のパリ」
と絶賛した宮崎ですから、駅名表示板ももちろん白・赤・青のフランス国旗と同じトリコロールです。ミー(やざき)はおフランスざんす。
まだ灰が降る前の都城駅。
はらごしらえ。マスクマン風のパッケージが面白い。
吉都線。18きっぷ利用回数は多いものの鉄成分は少ないので車両の形式などはなにもわからない。
「まんが」で「塚」。これはもうあの神様の聖域としか。
この駅に参拝するとマンガ家になれるという言い伝えがあります。 あるんです。いま、わたしが考え出した言い伝えです。あるんです。
あの光の射した場所に未来の神マンガ家が生まれたにちがいない!
いや、観光列車に乗るつもりはなかったんだが……
吉松駅で乗り換えのために降りたら、こんな列車が止まってた。
いさぶろう・しんぺい号。まぁ、なんか名前のついた地方色ゆたかな列車だろう、くらいに思ってたんですよ。でも、乗り込んだらば……
この内装はあああああーーーー!!思い出したーーーー!!あれだーーー!!
あれ→:@nifty:デイリーポータルZ:JR九州ゲキヤスの旅(後編)
いや、まったく、これに乗るのが目的で肥薩線にしたのではないのだ。 しかし珍しい列車に乗れるなら、それにこしたことはない。 18きっぷで乗れるし。
ただし、自由席は極端に少なく8人分くらいしかなかった。知らずに指定席に座ってたしなめられた(汗
しかし、珍しい列車に乗れた喜びも長くは続かなかった。これ、観光列車だから、一駅ごとに撮り鉄のために数分間停車するの。私は鉄成分が少ないので、ちょっとは撮るけど寒いからすぐに車内に戻ってイライライライラ。
おお、桝田道也よ、SL車庫を撮らないとはなんという寒がりじゃ!と鉄の神様から叱られそうな気はした。
しかし↓こういうのは撮る。興味の対象がズレてる。
なんでも記念にするな。
大畑駅の、水飲み場(たぶん、現在では飲用ではないと思う)
そうこうしてるうちに人吉に着いた
ちょうどカラクリ時計が動作中だった。乗換えまで1時間待ち。残念ながら人吉城の見物はあきらめた。
「キミキミ、車輪はずるくないかい?」
人吉駅のすぐそばに大村横穴群という国指定史跡があったので、そこを見た。
かっこいい。すばらしい。子供の頃から押し入れとか、狭くて暗い場所が好きだったんで、許されるなら入りたかった。
よくある公園のよくある水飲み場。
熊本ではのり弁が私の概念を超える形に進化していた。単なる白身魚のフライおにぎりのように思えたが、製造者がのり弁と言うならのり弁なのだろう。
肥薩線の「日本三大車窓」は人吉~吉松間だけど、八代~人吉間の球磨川の長めも良い。
ここでリアルマインスイーパーやりたい。
八代→小倉→フェリー→松山
八代駅から見えた日本製紙の工場。かーっこいいーっ!工場萌え属性は、ちょっとだけあるかな。
しかしそろそろ日没。
小倉へ到着しフェリーターミナルへ歩く。原油高と高速代の値下げでフェリーはどこも苦しいというから、はじめて乗る関西汽船のフェリー乗り場も、寂しくて汚いんだろうなと勝手に思い込んでた。
この時点では寂しかったんだけど、それはまあ夜だから。
大きくはないけど、明るく掃除も行き届いた快適な待合室だった。
フェリー内部もジュースは通常価格。ボッタクリなし。
行きの宮崎カーフェリーでも船内ジュースが 150 円になってて(1990 頃は 200 円だったように記憶している)、へーっと思ったけど、こっちはもっと徹底してた。
企業努力ですかね。バブルの頃より快適。これなら不景気も悪くないなあと思ったですよ。自浄作用が働いてる。
窮すれど濫せず。
午前 5:30 。松山港到着。 早朝だから人はいないけど、フェリーターミナルがでかい。景気いいのか?
バスに乗り損ねたので最寄り駅まで歩く。30 分くらいだったかな。
お店が「てっちゃん」だから手のキャラで~す。
道後温泉すげえええええ
松山市内に到着したけど、まだ夜も明けてなかったので、せっかくだから道後温泉でフロを浴びることにした。
い、いや、しゅ…取材ですよ取材。もちろんじゃないですか。
路面電車で向かったのだけど(坊ちゃん電車に非ず)、これがまー、走行中に分解すんじゃねーかと思うくらい猛烈な軋み音を立てる車両でびっくりした。
道後温泉 新館 椿の湯。本館が歴史的建造物と化してしまったので、 地元民が日常利用するために建てられた新館……という位置付けでしょうかね。
コンクリ製外観和風建造物ですが、建てられたのが、たしか昭和 40 年代。 浴場が配管剥き出しだったりとめちゃくちゃ昭和テイストあふれてて、 わるくないなーと思いました。本館の方は入ってないので比較はできませんが。 (新館の方が、やや入浴料は安い)
というかですね、無知で恥ずかしいかぎりですが、道後温泉本館が歴史的建造物って知らずに訪れたんですよ。ええもちろん、知らずに取材に来たのです。ゆ、湯が目的なんかじゃあ決して。
で、その本館。外観しか見ませんでしたが、これがすごく良かった。
二枚目は(合成ソフトでは合成できなかったので)フォトショップで手作業合成。
新館にあった本館の模型。
全国で唯一の「皇室専用の浴場」である『又新殿』の御成門。反り・むくり・反り・むくり。
この門が気に入ったらしく何枚も撮ってしまっていた。
格子窓。ぜんぶ又新殿のものかな?雅じゃのう。
側面。
道後温泉の効能の象徴である「玉の石」
愛媛県民は自分たちが何を期待されてるか、空気を読みすぎ。湯築城址 今治 岡山
道後温泉のすぐ近くに湯築《ゆづき》城址があって、伊予松山城の開城時刻までまだ少し時間があったんで寄ってみた。
→参考:道後公園 湯築城跡
だいぶ公園化されてるけど、濠や土塁はよく残ってた。
資料館。まだ開館時刻ではなかった。
じっくり見たかったけど、ぐるっと回るほどの時間はなかったので、丘陵のてっぺんまで登ってそれでよしとすることにした。展望台があるらしかったので。
展望台から見えた松山城。ごめんね湯築城。今日のメインはあっちなんだ。
で、その展望台なんですが……
どう見てもエンタープライズ号です本当にあり(略
そして、ちょうどよい時間になったので伊予松山城を見物
→関連記事:連立連結連郭の要塞 伊予松山城 – 桝席
↓松山市内にて。
ちょっと、お顔が、こわいです。
上の段に「死の…」という消したあとが。ドジ萌え。もしくは無計画萌え。
キャラの微妙さでは互角だ!!!
さて、松山城の取材を終えて、次は今治へ。
今治がどういう都市かまったく知らなかったのですが、藤堂家の城下町だったのだから藤堂高虎をプッシュしてると思ってたんですよ。
まさかの猿飛佐助押し。明治・大正時代に少年向け講談の大ブームを起こした立川文庫の作者の一族が今治市の出身なんだと。
…って言われても、なあ。
はい、謎地名が出ましたー。
しかもスクランブル交差点がある、繁華街の中心地。がっつりシャッター街と化してたけど。
あとで調べたら、「呑吐樋」でドンドビ。潮の満ち引きによって海水が出たり入ったりする場所だったそーな。むずかしーなー。
今治城の江戸時代の縄張り図をよく見たら、すでに「ドンドビ」って書かれてた。由緒正しいw。
そんなこんなで今治城見学。
→関連記事:ガッカリとオモロの共存 今治城 – 桝席
この王女アンは2~3人は殺してる目だね。
これはアーケード街にあった映画看板アートの一枚。ほかにも色々あった。(出来栄えはすべて同レベル)
たぶん著作権なんて気にもとめてないであろうことと、なんか元看板描きのおじいちゃんが頑張って町おこしってのは阿久根市のアレと同じだけど、シャッターに直接描いてないのがよかった、よかった。
お城でちょっとガッカリしたし、街はさびしい感じだったのだけど、あさっての方向の努力がほほえましくて不思議と憎めない街でした>今治。
そのせいか、あんまり自分用のおみやげは買わない私なんですが(貧乏だから)、今治市では、つい、「こりこりタオル」なるものを購入してしまいました。
このシールにグッときてしまって……。好きだわ、今治。
これも今治市にて。カモメの群れと子供と、無関心な自転車のオッサン。おまえはチュンリーステージの背景か。
今治城を見たあと、丸亀へ。予想はしてたけど、だいぶ時間がかかった。
丸亀駅から 5km も歩いて、自由空間丸亀店でネカフェ泊。
1/6。朝イチで丸亀城を見て、瀬戸大橋を渡り岡山へ。
→関連記事:フックショットを使いたい城 讃岐国丸亀城 – 桝席
瀬戸大橋。どーでもいい、と思ってたのだけど、実際に通過したら楽しかったああああーーーっ!でかい土木はそれだけでテンション上がる。
大都会岡山駅前。
岡山なので桃太郎像。4つのしもべに命令だ!ヤー!……おや?4つ……?
時間的に都合が良かったという理由だけで訪れた岡山城は、思ったより良かった。
→関連記事:大都会岡山にそびえる黒の城 備中岡山城 – 桝席
なんか、しなを作ってるサル。なに?ショタケモ?
これも桃太郎らしい。あまえんぼうなしぐさするな。
これも桃太郎。なんなんだ?岡山では桃太郎ショタ化計画が推進中なのか?
腹が減ったので岡山で徳島ラーメン食べた。んまかった。
旅の終わり
岡山城を見たあとは、とっとと大垣駅へ向かうだけ。
大垣駅周辺がだいぶ発展してるなー、と思った。
夜行のムーンライトながらを待つ人々。
疲労がたまっていたのか、電車の中では意外とよく眠れた。 が、アパートに帰りついて、また寝た。
機会があれば、もう一度、今治へ行きたいなーと思いつつ……
「YOU WILL RETURN !! (しゃがれ声で)」
2010~2011 の帰省の記録
- (1) 宮崎へはフェリーに乗って
- (2) ぬけるような青空と大根干しやぐら
- (3) 目の前で起こってる事件に気付かない
- (4) 宮崎発 四国遍路 コネタ収穫の旅 | 桝席ブログ ←イマココ!