『どっからみても波瀾万城 第六話・小田原城』について
コミック大河 vol.6 ( 2010-06-25 発売号)に掲載されました。
お城を題材にしたお城擬人化オムニバスうんちくマンガ第六話です。 題材は小田原評定で有名になった小田原城。

表紙。パースのない斜投影図は、範囲が広くなればなるほど不自然に見えてくる。ううむ。
土壌の話
土から成ると書いて城ってわけで、前回の安土城で石垣のウンチクをやったからには、 次は土塁の話でしょうってことですわ。
土のはなし 1
技報堂出版
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古い本だけど面白かった。こういうのを読んで、付け焼き刃の知識で書きました。間違ってないか心配。土木に詳しい人のツッコミ歓迎いたします。
マンガの中では、東日本に石垣の城が少ないのは、土壌の差に起因する!なんて言いきっちゃっているわけですが、 実際にはもっと理由はいろいろあるでしょう。
一国一城令に見られるように、徳川幕府は城をなるだけ作らせまいとしました。 東国に石垣の技術が伝わった頃には天下が統一されちゃって、新しい城を築く必要もあんまりない時代でもあり、築きたくても(徳川が怖くて)築けない時代でもありました。
あと、石垣を築くにはお金も技術も必要。近世城郭がたくさん作られた戦国末期から江戸幕府初期の経済・技術の中心は畿内なので、 関東から東北にかけての小大名は石垣を築くだけの資金が無かったとも考えられます。
また、雪深い東北の方では雪の重みや凍結によって石が割れたり、雪解け水によって石垣が崩れることが西日本より多く石垣の維持が大変だったと考えられます。
もちろん作中で描いたように、粘土質の多い関東ロームは土塁を高く、急勾配にできたので石垣を作る必要が無かったのも理由のひとつでしょう。
石を積んだ壁である石塁と違って、石垣はあくまで法面保護のための技術なんですね。だから基本的に石垣の中身は土塁。法面を保護する必要がなければ石垣は要らないわけです。
ただ、多くの本で東日本に石垣の城が少ない理由として、東日本では石材が採れないから……と書いてあるのは疑わしいと思います。
岩手県、福島県、宮城県あたりは現在、日本でも有数の石材産出県ですし。
江戸時代には石垣用の大理石が関東・東北では出ていなかったかもしれません。が、石垣の石材が大理石でなければならないのなんて、秀吉や家康の天下統一の後に作られた天下普請の大城郭の、門だとか天守台だとか重要な部分だけですよ。
小豆島や小笠原諸島から巨石を運んだなんてのは、天下が統一されて平和になったからこそできたこと。 初期の野面積みの時代は、その場で採れた石を種類を問わずに積んでいたのです。
山があればそこには石があるんですよ。大理石にこだわらなければ。そして日本は平野の少ない山国なんです。 つまり、種類にこだわらなければ、石の出ない藩なんて皆無だったと言っていいはず。 そして戦国期の城の石垣のほとんどは、そういうその場で採れた石や、墓石や、地蔵や、石臼なんかを引っかき集めて作っているわけです。
姫路城の石垣ですらそういう一般的には石垣に向かない種類のもろい石がつかわれているのです。
だれが言い出したのかはわかりませんが、「東日本に石垣の城が少ないのは東日本に良い石材が少なかったから」というのは、 あまり検証されることなく延々と孫引きされてる説のように思えます。
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