北区ふるさと農家体験館を見てきた
隣の区なんだけど、まだ見たことがなかった北区ふるさと農家体験館の旧松澤家住宅を見に行きました。
到着。北区ふるさと農家体験館は北区赤羽自然観察公園の敷地内にあります。
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管理塔 兼 トイレ 兼 倉庫。ツタに覆われた建物好き属性にはたまらない。
予約すればバーベキューが出来るらしい。ただし飲酒とタバコは不可。
ただし、ここはかつて自衛隊の駐屯地だったため、地形は大きく変えられていた。 公園化に際して、なるだけ斜面を自然な感じに造成しなおし、 この地域にふさわしくない樹木は取り除くなどしたとのこと。 つまり、人工的に再生された自然公園だ。
渓流にかかる橋をわたり、子供たちがザリガニ釣りをしていた横を抜けると、目的の古民家が見えた。旧松澤家住宅だ。
1844 年(弘化元年)に建てられたそうだ。天保の直後。安政の大獄の15年前。プレ幕末。
北区の浮間にあった建物をここに移築したのだという。向かって左の馬屋は明治期に増築された可能性が高いという。
現在地では家のオモテ側が東南を向いている。日照を有効利用するためには真南か南西に向けるのが最適なのだから、移築の際にこの向きになったんじゃないかと思った。調べたわけじゃない憶測だけど。
倉屋。母屋よりも古い可能性があるという。庇の一部が切り取られてる…というよりは、出入り口のとこだけ庇を伸ばしたというべきか。
倉屋の中の展示物。接ぎ手の実例。これは各地の古民家で見かける。
よく、藁《わら》葺き屋根というが、ワラは水を吸うので、屋根材にはあまり使われない(カヤは油分が多く水をはじく)。……と、なにかの本で読んだことがあった。
旧松澤家住宅ではもっとも下になる(つまり水が浸透することがあまりない)最下層、一層目にだけワラを使ったとのこと。層の深さでオギ・ヨシ・カヤ・ワラを使い分けてるとは知らなかった。
木の小舟。なぜ、農家の倉に舟があるのか。それはあとでわかるのだけど、このときは、単に江戸時代のモノを適当に置いたのだろうなあ……などと軽く考えていた。
もちろん、この時代の関東の農家の例にもれず四ツ間・田の字の造り。ただし田の字は食い違い田の字。江戸時代も後期だからなのかどうか。
かつて松澤家住宅を支えていた礎石(現在は移築の際にコンクリで基礎を固定したようだ)
この礎石の解説文に
「浮間の「浮」という字が見られます」
と書いてあったのだけど、どの方向から見ても発見できない。困っていると
「見えないでしょう?」
と笑いながら職員の人が声をかけてきた。
どうも、移築した9年前にはたしかに読めたらしいのだけど、風化がすすんで職員の人にもわからなくなってしまったらしい。
「見学にきた人たちも、読めないと気になって、なでちゃうでしょ。それでますます…」
という話だった。
座敷。松澤家住宅には奥座敷があるので、いわゆるデイ(出居)に当たるのがこちらかな。
奥座敷。床の間もある。この屋敷がいつまで使われてたのかわからないけど、中々の豪農だったんじゃないかと思える。
これは奥の間から。他の古民家だとヒロマなどと呼ばれる場所だろうか。
ここは江戸時代ではなく戦前っぽい。ちなみに振り子は稼動していた。
風呂場。今はスノコとタライしかない。さすがに大正・昭和には薪式の内風呂があっただろうと思う。移築の際に江戸時代の姿に戻されたのだろう。
さて、ここまでで、この古民家に少し奇妙な点があったことにお気づきだろうか。 お気づきもなにもエントリのタイトルに書いたことだが。
実は、どこにも囲炉裏がない。これは、この時代の農家にしては奇妙なことだと思われる。
その理由の前に、旧松澤家住宅の屋根裏の話をしよう。
適切な写真を撮り忘れたのだけど、松澤家住宅には土間以外、どの部屋にもしっかりした天井があった。同時代の他の古農家だと、天井があるのは奥座敷だけというのが多いのに、だ。
しかし、旧松澤家住宅には、どの部屋にも天井があった。つまり屋根裏部屋があった。
説明板によると、旧松澤家住宅は浮間という荒川と新河岸川に挟まれた、水害に遭いやすい場所にあった。それで、避難場所として屋根裏部屋が必要不可欠だったのだ。
囲炉裏がないのも同じ理由による。カマドと違って簡単に灰を捨てられない囲炉裏があると、 床上浸水したあとの後始末が大変になるからだ。
だから、囲炉裏で行うような調理はすべて土間で、七輪を使ったり、あるいは土間で直接焚き火をしていたらしい。実際、土間に自在鉤がぶらさがってる。
奥の間あるいは座敷に囲炉裏がないのだから、煙を逃がすために、その部屋の天井をあける必要もない。天井がないのは土間だけであり、非常時の屋根裏部屋は通常時は煙突の代わりとなった。
……と、まあ、そんな話を職員の方に教わり、疑問に思ったことは何でも聞くもんだな……と思った次第。
私は人見知りが激しいので質問するの苦手なんですけどね。礎石の件がキッカケで質問しやすい流れだった。
田んぼと茅葺き屋根。ベタすぎる。最高だ。
外へ。ふるさと農家体験館というコンセプトのためか、田んぼがある。
田んぼのおかげで、こと景観に関しては 23 区内の古民家中、トップクラスと思える。
ちょっとカメラを引くとメガマンションが現れるが、そのギャップも、また良し。
水害に悩む浮間の人々は水塚と呼ばれる土塁を築き、その上に家を建てたそうだ。 現在の松澤家住宅が、その水塚まで再現したものなのかどうかはわからなかった。
現在も浮間に残る水塚を見ると、いわゆる城の櫓台・天守台に近い代物に思えるが……
→水塚の蔵のなごり|北区観光ホームページ
そして、水塚に家を建てた人々は非常時に備えて避難用の船を用意していたそうだ。
つながった!倉屋にあった舟は、そういうことだったのか!
疑問がとけたことだし、帰ろう。
この日、遠足だか社会見学だかの小学生が 50 人ばかしいた。
自然観察公園の名にふさわしい、バードウォッチング用と思われる設備。
というわけで、古民家は一棟しかないものの、田んぼと合わせた景観が素晴らしいし、 水難地区の農家という、他の古民家にはない特色もあり、なかなか楽しめる古民家でした。