『「いき」の構造』九鬼周造 を読み終えた。
「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)
九鬼 周造
岩波書店
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良い本であった。非常に良く眠れた。数ページ読んだだけで眠くなるので買ってから読了まで1ヶ月以上かかった。実に良い読む睡眠薬。これからも何度も読み返そう(眠れない夜に)
で、読み終えた感想。うん。わかりません。正直に言います。わかんなかったです。
> 「いき」という語は各国語のうちに見出(みいだ)されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。
力強く、興味深い命題。序論における疑問の提示から様々な証左を挙げての論理の展開はダイナミックでわかりやすく面白い。いくつか小首をかしげるような証左もあったけど、大体において強い説得力のある論説であり、飽きずに読んでいけた。
が、結論になると途端に難解になり、
「ははっ…なにがなにやら」
とポカーンとしてしまった。
> 意味体験としての「いき」と、その概念的分析との間にかような乖離的(かいりてき)関係が存するとすれば、「いき」の概念的分析は、意味体験としての「いき」の構造を外部より了得(りょうとく)せしむる場合に、「いき」の存在の把握に適切なる位地と機会とを提供する以外の実際的価値をもち得ないであろう。
こういう文章って哲学を学んでいればすんなり理解できるものなのだろうか?
解説の
> この本はかならずしも読みやすくはない。やっぱり哲学の本だ――と、がっかりする読者もいるだろうし、いや、それだからこそとよろこぶ人もいるだろう
という一節に、救われた気がした。そうか。難解なんだ。それならいいや。うん、それならいい。
自分が理解できない文章に出会ったとする。それはつまり、
- 自分のおつむが足りてない
- 著者の説明技術が足りていない
- ある程度の前提知識を要する限定的な読者に向けた文章である
…の、どれかか、あるいはそれらの複合だ。