近世大名は城下を迷路化なんてしなかった_バナー



[寺社] いちどはいきたかった、いづもおおやしろ (島根県)

この記事どう? ええよ~

生まれてはじめて島根県に来たからには、出雲大社へ行かずにおれようかいやおれまい

出雲大社 拝殿の注連縄

訪問日は 2017-01-01。

取材のために松江城に行き、取材もそこそこに切り上げて出雲大社へ行きました。

日本人なら、というわけではないけど、生まれて初めて島根に来て、出雲大社に行かないという選択肢がありえようかという思いで。なかなか行けないんだよ島根。2007 年の高校地理で東京からいちばん時間距離のかかるのが島根県江津市だったとかなんとかかんとか。

遷宮によって定期的に建て替えてるから、すさまじい古建築が残っているわけでなし、一度行けばいい、行ったという事実、俺は聖地巡礼をした人間になったのだという記憶があればそれでいいというノリ。

もしかしたら松江城は二回目、三回目の訪問があるかもしれん。タスクとしての出雲大社巡礼をこなしておけば、次からはお城に専念できるというもんだ、と思った。

正門前。勢溜の大鳥居。思ったほどオーラは無い。
出雲大社 正門

平成の大遷宮はもう終わったものだと思っていたけど、まだ続いてた。第二期だと。深夜アニメや海外ドラマじゃあるめえし。
出雲大社 正門

出雲大社の本殿は素鵞川と吉野川と言う二本の小川に囲まれている。正門をくぐると、その川へ向けてなだらかに降りていく。
出雲大社 参道

この立地を見て思ったのは、ここは古代の城なのではないか?ということ。

背後(北)は山となっていて、これは天然の土塁。西・南・東を囲むように小川が流れていて、これが濠に相当する。

正門は勢溜の大鳥居と呼ばれている。勢溜っつったら城郭用語では敵勢を止める、もしくは自分の手勢を溜めるための空間のことだ。この場所が勢溜と呼ばれるようになったのは、のちのことかもしれないが。

松の馬場。馬場まである。ここマジ城じゃね?古代からそうなのかは知らないが。 出雲大社 松の馬場

まあ、下調べもしてないし、うかつな妄言を飛ばすのもほどほどにしよう。

国造千家の方の執筆された出雲大社の解説本を読んだこともある。平易でわかりやすく書かれていたにもかかわらず、あんまり内容が頭に残ってない。 いま、ウェブで出雲大社の歴史を読んでも、どうもよくわからないし。脳みそが理解するのを拒否してる。なぜか。

拝殿。
出雲大社 拝殿

この注連縄を見に来た……と、このときは思ったけど、あとで見た神楽殿の注連縄はもっと大きかった。
出雲大社 拝殿の注連縄

八足門前。八足門より先は撮影禁止。……ということを知らずに無邪気にカメラを構えて、即座に制止させられてしまった(赤面)
出雲大社 本殿前

さて、近年、豆知識としてじわじわ知られるようになった話。そう、すなわち参拝者のほとんどは御本殿の南から参拝するのだけど、御本尊である大国主大神は御本殿の中で西を向いて座ってらっしゃるという件。すなわち、南からの参拝では大国主大神様の正面から参拝したことにならないのだ。

出雲大社の公式見解としては、南からの参拝を推奨していて、それで問題ないとしている。が、やはり西から、大国主大神の正面から参拝したいという人も少なくない。

というわけで、ちゃんと西側にも参拝できる場所が設けてある。サービス業の正しいあり方だ。責任をもってアフターいたします?
出雲大社 本殿西側

ちなみに大国主大神が西を向いている理由は、彼は実は朝鮮半島もしくは中国からの渡来人(か、その子孫)で、一族の出自の方角を向いているのだ、という説がある。
出雲大社 御本殿

それに対して、いやいや出自は出自でも九州の方を向いているのだ、外国ではないという反論もある。

大国主大神が大和朝廷に屈服する条件として、杵築大社(=出雲大社)を建ててもらったのだとすると、杵築大社より古い神社があるはずだ。それは松江市の神魂神社であるとされている。この神社、現在の主祭神はイザナミであるが、神座は東を向いている。

だとすれば、単に大和政権に服従したとき、男性神と女性神に分けて東西を護ってもらうという意図だっただけかもしれない。出自など関係なかったのかもしれない。

こじつければ、なんとでもいえる。アマテラスもファラオもそうであるように、古代に王権を得た一族は、決まって農耕にもっとも重要な、種まきに最適な季節の知識や天気予報の知識をもっていた。 だとすれば、大国主大神はしょっちゅう西を見て天気の変化に注意していたはずである。なんといっても地名が出雲だ。天気はほとんど、西から変化するのだ。

本殿の大国主大神が西を向いているのは、天気を見るため西ばかり見ていた大国主大神の姿を留めているのかもしれない。

こじつければ、なんとでもいえる。大国主大神は、当時の日本には正式にはもたらされていなかった大陸の技術「読み書き」ができる人間だったのかもしれない。彼が気象の知識を持っていたと考えるなら、ありえることだ。

正式に漢字が伝わるのは聖徳太子の時代だけど、文字はその千年以上も前から中国大陸には存在し、その知識を持っている人間が日本へきて指導者になった……ありえる話だ。

さて、大国主大神が読み書きができて、右利きだったとしよう。現代の我々(右利き)がデスクライトを自分の左斜め前に置くように、大国主大神も、文章を書くときは午後の太陽光を利用しやすいように体の向きを変えたと推測できる。すなわち、書いた字が利き手の影になりにくいように、彼は文章を書くとき西を向いていた可能性が高い。

その姿は、読み書きのできぬ彼の臣民には印象深く見えたことだろう。本殿の大国主大神が西を向いているのは、文章を書くため西を向いていた大国主大神の姿を留めているのかもしれない。

……とまあ、根拠史料を要しない思い付きをつらつら並べるだけでも、簡単にこれくらいのことは言えるし、 西を向いている理由を記した一次史料でも発見されないかぎり、 どんなにもっともらしくても推量の域をでないのだ。 特に理由もなく、たまたま置いた向きがずっと継続されちゃっただけかもしれんのだ。

あまり、理由について気をもみすぎるべきではないだろう。

 

さて、見るもの見たし、帰ろうかと思ったら、顧客が本当に見たかったものが現れた。ズギャ!
出雲大社 神楽殿の注連縄

縄に皺がよる、というのも、このサイズならでは。
出雲大社 神楽殿の注連縄

ちなみに縄を撚る向きが普通の神社の向きと逆回りだとかなんとか聞いたことがあるけど、まあ、そうだっけねえ……という感想しかない。向きなんか気にしてみたことないよ。

出雲大社で面白かったのは、やはり独特の二拝四拍手一拝の参拝方法だろうか。近くのおねーさんが半笑いで
「やりにくっwww(参拝が)やりにく~っwwwww」
と言っていたのが印象的だった。

ぺこり。ぺこり。パンパンパンパンッ。ペコリ。

四拍手というのは、数が多いだけあって、出雲大社の初詣ともなると、実ににぎやかなのだ。 気分はスタンディングオベーションだ。自然と笑みがこぼれる。

たしかにやりなれないやりづらさはあったけど、おねーさんの表情が半笑いであったのを見ればわかるように、決して否定的な気持ちにさせるものではなかった。オンリーワンの神社に参拝した気分になれる、いいものだった。

境内の銅像。題は『水辺を歩く』 濡れたワンピースのすそをちょっと絞ってるの図。良い脚線美。やんわり乳袋。出雲大社で許されるギリギリの健康美を攻めてる感じで、とても良い。
出雲大社 銅像『水辺を歩く』

老舗の出雲そばを食べたかったけど、どの店も行列中。しかも帰りの電車までこの行列。これを見て、ここで出雲そばを食べるのはあきらめて、松江に戻ることにした。
一畑電鉄 出雲大社前駅

ただし、この駅の行列は一畑電車で松江まで行く人の行列であって、JR出雲駅に行く私には関係なかった。

もっとも早めに切り上げて正解だった。 なぜなら、この日、私は不要な旅行荷物を松山駅のコインロッカーに預けていた。 ということは、荷物を回収するために松山駅でいったん下車しなければならないわけだ。 しかしながら、事前にタイムテーブルを組む時にそのことを失念して、
「16時xx分に出雲駅で電車に乗れば終電で鳥取駅まで行ける」
などと考えていたのだから。危ないところだった。

年越しそばでさんざん稼いだだろうに。おぬしもアコギよのう。
年明け蕎麦


ここはシェアと拡散の店だ。どんな用だい?

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