18きっぷで回った愛媛県宇和島市と大洲市その他の写真をうpした
宇和島城と大洲城以外の(その写真はまた別の機会に)写真です。ツイッターへの投稿のまとめ。
前日。東京から愛媛まで。→18きっぷで愛媛の宇和島と大洲を回った 前編 | 桝席ブログ
前編の最後に貼った写真。始発で大洲から宇和島へ。地方だから、始発が遅いんだ、これがまた。6時半くらいだったかな。
この日の終電で大分県佐伯まで行かねばならず、宇和島城と大洲城を見て 17:40 の臼杵行きフェリーに乗らねばならないという強行スケジュール。予定が狂っても、最悪、宇和島城だけは……という、大洲城には申し訳ない理由で先に宇和島城を見ることにした。
結局、駆け足で見るわけで見落としもチラホラ出てしまうのだけれども、数日かけて取材できるような身分でもないし。宇和島も大洲も城下町が素晴らしいんですけどね。見る余裕は無かった。
もうひとつ、資料写真が目的なので、太陽が昇らないうちを移動時間として有効活用したかったので、宇和島を優先した。
結果的に、その選択が良かった。冬の朝の予土線の景色ったら!
朝の南予
私の腕があれだからそうは見えないかもしれないけど、朝もやのかかった南予の田園風景は言葉を失うほど幻想的だった。
無我夢中でシャッターを押しまくった。
地元民は「痛い旅行者だー」とか思っていただろうか。
電車の窓ごしだから、どうしても指の油だとか水アカだとかが写りこんでしまったがプチ残念。いや、でも、本当、美しかった。
@emc_jp: @mitimasu ウチの田舎のなつかしい風景に泣きそうになったよ ありがとうございます。
@mitimasu: @emc_jp そうなんですか!いやー、良い風景です。住民にとっては毎日の見慣れた景色なのでしょうが、旅行者には最高の車窓風景でした。
いったん走り出した電車が止まって、走ってくる高校生を待って、乗せて、ふたたび発車。都会じゃありえない田舎の良さを見物できた
冬が来るのが遅かったからか、南予はまだ紅葉中だった。 (2011-12-28)
ガラスに反射して、なんか疾走感のある写真に。
Hage だと……? #こねったー
ドイツ!ドイツ!ドイツドイツ!じゃーまん
そして宇和島城を拝観。
可愛い外観と居心地の良い内装の天守 伊予国宇和島城 | 桝席ブログ
宇和島城本丸より臨む宇和島市。豊後水道の青さを表現できていないので愛媛県知事から文句が来るかもしれない。
ヒモにつながれたネコを見るとなんともいえない気持ちになる。
タビ猫どらのすけを思い出したのは言うまでもなく。
(ブログ杉作島/ウェブリブログ)
心なしか模様も少し似てる。
朝、大洲を出発して宇和島に行って宇和島城を見て、そのあと大洲城を見るために大洲へ戻るという。始発から日の出までの時間を有効に使いたかった。
こういう地方の山間を開墾した小さな棚田、大好き。むかしのお百姓さんたちが、こっそり、何世代もかけて築きあげた課税対象外の脱税目的の隠田なのかもしれない、こーいうのは。それを見つけ出して年貢を取るっていうのが太閤検地だったのだから、そりゃあ一揆も起きるというものよ。
肱川。水運が流通の主役だった時代には、伊予の大動脈だった。
肱川の由来として、大洲城の石垣がなぜか何度も崩れてしまう。とうとうおひじという娘が人柱として埋められることになり、その娘が人身御供となるかわりに自分の名前を川につけてほしいと願ったから……という悲しい伝説がある。
が、ちょうど大洲のあたりで肘を曲げたように川が直角に曲がっているからだというみたままそのままな説もある。
大洲も藤堂高虎ゆかりの地。城よりも城下町の町割りにこそ彼の真価が発揮された…のだけど、時間が無くて城しか見られず。
偽りなく本当に本格的な、本格木造復元天守 伊予国大洲城 | 桝席ブログ
藤堂高虎らしい碁盤の目のような直線的な町割りなのだけど、 家臣の渡辺官兵衛(渡辺了)の庭園があったと伝えられてるあたり(現在の臥龍山荘)だけ、碁盤の目になってないようだ(自分で見てないので地図を見る限りの憶測)。
大きな地図を表示
二人は大坂の役で大ゲンカして、ほとんど内乱に近い状態で渡辺が出奔してしまうのだけれども、 ひょっとすると大坂の役の前から都市計画や城の縄張りに関して根本的に対立してたのかもしれない。
地方の線路っていいよね。私は鉄ちゃんじゃないけど、共感はある。
宇和島駅の駅舎は撮り忘れたorz / 伊予大洲駅
いいんだ、別に私は鉄ちゃんじゃないし。
時間がないと言いつつトマソンは撮る。原爆タイプ。
うどん・中華そば・ちらしずし・牛丼・惣菜・わたあめ
地デジ難民なので「ラブ注入」がどういうギャグなのかまったく知らない。
「YouTube で検索すればすぐですよ」「シーッ!」
「戸の街」か「殿街」か悩むところだけど、二の丸南隅櫓が「お殿様公園」と名付けられていたので、これもやっぱり……
フェリーに乗るために八幡浜へ / 夕方の予土線
八幡浜駅。駅舎を撮ってるのは鉄ちゃんてき理由ではなく、ブロガー的ログ残し的理由から。食べたものを写真に撮るのと同じ、それ。
八幡浜ちゃんぽんのゆるキャラ
あいかわらずのケチケチ旅行なので、宇和島名物のじゃこ天も八幡浜ちゃんぽんも食べず。
「ゆるさんゾウ」とか「ありがとウサギ」の系列の公共広告だけど、動物じゃなくてスイーツなのが目を引いた #こねったー
城をめぐるのでいっぱいいっぱいだったのと、疲労でアンテナ感度が落ちてたのとで、この日の小ネタ収集ははかばかしくなかったな。
八幡浜港到着。
汽笛が俺を呼んでるぜ
夕暮れの港は人をハードボイルドな気分にさせる。その手の映画や小説をまったくたしなまない私をしてさえ。
ポスターで周知を徹底させる必要があるという点が怖い。大分ェ…… #こねったー
宇和島運輸フェリー船内。貴重な睡眠時間なので(それまでの 40 時間で電車の中でしか寝てない)爆睡。3時間。
臼杵城前。さすがにこの時間では見てもしょうがない。もちろん、これは「自分が見た城」にもカウントしない。
18きっぷ旅行 in 九州の鬼門。佐伯駅のホーム。
もう二十年以上前から、富永一郎先生のイラストが飾ってある。そのわりにあんまり退色してないので、定期的に新作に変わってるのかもしれない。でも変わってないのかもしれない。
正直、ここで6時間くらい鈍行列車を待つか特急に乗るかの18きっぱー苦渋の選択を強いられるので、坊主憎けりゃ袈裟までというか、佐伯駅がすっかり嫌いになってしまった。
いずれにせよ、この日はもう終電で特急も無いので、佐伯のファミレスで始発待ち。 まさか三夜連続でファミレスで始発待ちするとは思わなかった。 (大洲ではネカフェ泊するつもりだったから)
愛のスコールは首都圏でも売ってるしー、と思ったが初めて見た 300cc 缶。さすがに九州。でも真冬なので買わなかった。
終電で佐伯に来たのは初めてだったので昔がどうだったか知らないけど、コンビニも 24 時間営業のスーパーも 24 時間営業のファミレスもあり、冬の始発待ちもそこまで辛くはなかった。
そんで始発の鈍行に乗って宗太郎越えと呼ばれる大分・宮崎の県境を超えたのだけれども、 なんと佐伯から宮崎県北川駅まで乗客が私を含めて二名。
通勤利用客がいないんなら、せめて大分→佐伯の普通電車と連携させた方が、まだ18きっぱーが乗るだろ……そこまでして特急を使わせたいんか?JR九州め……と思ったけど、よく考えたら 12 月 28 日だった。そりゃ、通勤・通学者はいないわな。
に、しても、なあ……。もうなんか、宗太郎前後に一般人が入り込んではいけないヤバい村でもあるんじゃないかと勘繰りたくなってしまった。それくらい、ここは公共交通の砂漠地帯だ。、
で、宗太郎を越えて宮崎県入り。このあと乗り換えて宮崎まで寝落ちした。おしまい。