日記:2011-03-29
(※このエントリは日記から抜粋して独立させたものです)
こないだ、岩槻城址公園へ行ったとき。まず、岩槻城址の前に愛宕神社へ行った。
なぜなら、ここにかつての岩槻城の大構(おおがまえ。総郭・総構・お土塁などとも呼ばれる城下都市も含めて囲んだ最外郭の土塁)の一部が残っているから。
岩槻城は小田原城と同じく大構のあった城だったのですな。
これがその愛宕神社。土塁の上に社が建てられてたので、維新や戦後の開発でもここだけかろうじて残った、とそんなところです。
以前、逆井城に行ったときバスが廃線になってて途方に暮れてたら、車で城を見に来ていたご夫婦に助けてもらったことがあります。
そのご夫婦が岩槻の方で、昭和 30 年ごろまでは土塁があちこちに残っていて子供の良い遊び場だった……と残念そうに語っておられました。
社の左右の土塁はもう残ってない。
写真の左側が土塁の断面だとすると、高さ3~4m、幅5~7mくらいですかね。
大構(総郭)の城は、よく西洋の城塞都市と比較されるけど、 同じなのは城下まで囲んだ点だけであって、役目はだいぶ違うよなあ。
土塁は破壊しなくても、人も馬もなんとか登れるから。
外国の城の城壁はスクルト。和城の大構は敵の部隊の展開速度を妨げるボミオスだ。