藤堂高虎の天滝越えの伝承のある但馬の天滝渓谷
訪問日は 2017-08-11。
始めに申しあげますが、このエントリで、私は軽率に過ぎる行動をとっています。
懐中電灯も携帯電話ももたずに夕方に登山を開始してしまいました。一歩まちがうと、遭難のおそれがありました。
登山中に後悔し始め、今は反省しています。決して参考にしたりマネされないよう、お願いします。
また、見出しに天滝とありますが、天滝まで到達せずに引き返した内容となっております。
—-
無事に、天滝口にある天滝キャンプ場に一夜の宿を確保できたのは 17:00 頃だった。
本来の予定では、翌日の早朝に天滝を見るつもりだった。 が、キャンプ場の入口には天滝まで 1km と書いてあったような気がした。
しかし、
「 1km なら、すぐ見て日没までに戻ってこれるじゃーん」
と思い込み、懐中電灯も水筒も、あまつさえ携帯電話すら置いて(紆余曲折の末、キャンプ場の管理棟に泊まることになっていた。詳しくは、いずれ別のエントリに書くつもりだが、まあともかく、管理人を信頼して、サイフとデジカメ以外の荷物は管理棟に置いて)、出発した。
登山口まで 1km だという事実にはすぐに気が付いたが、
「じゃあ、明日の下見ということで登山口まで行こう」
と歩き続けた。
一揆制圧のために小代に攻め込んだ藤堂高虎が、しかし敗北し、この天滝を越えて大屋に逃げ込んだという伝承がある。
この小代での敗走は藤堂家の記録には見られず、地元の伝承なのだそうだ(まだ詳しく調べていないので、二次・三次情報を鵜呑みにして書いている)。
小代で敗北した高虎は一騎で逃げたという言い伝えもある。馬ならば、滝を越えるようなルートはとれないはずだ。もちろん、馬を乗り潰し、途中から徒歩という可能性もあるが。
山間部である。藤堂軍の敗走が事実だったとして、馬が使える道を前提とすると、騎馬武者は山陰道を撤退したと考えるのが自然ではないだろうか。山陰道で兎和野高原を迂回し、下手すると加保坂を使わず八木谷をくだって現在の八鹿駅へ出て、それから大屋川沿いの道を使って、大屋へ戻った可能性もある。
きわめて遠回りに思えるが、実は、小代からバスで大屋へ行こうとしたら、いま述べた通りのルートになる。馬は急勾配を苦手とするだけではない。飲み水も人間より大量に要する。そう考えると、兎和野高原を越えたり加保坂を越えるルートは馬では難しい(加保坂が異様に蛇行しているのは、馬も通れるような勾配にするためだとは思うが)。
一方、馬を考慮しなくていい足軽連中は、もっと直線距離で近いルートをとれる。 兎和野高原あるいはハチ北高原を抜け、八木谷へ抜け、そこから加保坂を使って 藤堂・栃尾が本拠地とした大屋の加保へ敗走したと想像する。
それほど距離が変わるわけでもないので、道なき道に近い、天滝越えを藤堂軍が使ったのかどうか疑問だ。
藤堂が小代攻略をしていた頃は、八木谷は(しぶしぶだったかもしれないが)織田方になびいていたらしい。つまり藤堂軍は八木谷~加保坂を使えるが、小代勢は八木谷へ入れない。
とすると、天滝を越えたのは高虎ではなく、小代勢だったのではないかと私は想像する。 そうして蔵垣から加保に攻め入り、形勢不利となり蔵垣に撤退するが、険阻な路をそれ以上撤退できず、虐殺されたのだろう。
休憩所。使わなかったのでトイレ情報などはわからない。1km 手前のレストハウスには「飲み物が買えるのはここが最後」と書いてあったような記憶がある。
休憩所が必要なほどなん?……と不安がよぎる。
天滝をこえてさらに進むと、俵石という奇石と呼ばれるスーパーストーンまるで地上に降りた俵~…があるという情報は、下調べで知っていたが、今回はあきらめた。
時刻は 17:54。ここで誤った思考に入る。
「登山が 40 分なら下山は 20分くらいじゃね?夏だから 19:00 までは明るいだろう。間に合うんじゃね?せっかくここまで来たんだし」
“せっかくここまで来たんだし”←この感覚のために、アウトドアを趣味とする人間が毎年、何人も命を落としている。そのダメ思考に自分もはまってしまっていた。
無料杖がある場所は、杖が必要なほどの急峻な道だということ。経験で知っていたはずなのに。バカやって死ぬ奴はたいてい、警告を無視してるよね、と知った顔でネットのニュースを見て思うくせに、いざ自分になると、軽い気持ちで警告を無視してしまうという現実。
こうして記事を書いているということは、特に何も危険な目に陥らず下山できたからなのだけど、遭難リスクは高かった。肝に銘じて、今後おなじ過ちを繰り返さないために、こうして反省文を書いている。
天滝を見たと思ったけど、実は見ていなかった。
さて、日没も近いために、慌てず急いで走らず早足で登山。 夕方にふった雨のせいで道は濡れているので、危険が危険で実に危険なのである。
途中の小さな滝もいちおう撮るけど、どれが何という滝かは、旅行を終えたいまとなってはわからない。
山深くなってきたせいもあるが、いよいよ暗くなってきて、本格的に焦りだした。景色を堪能する余裕なし。
これを天滝だと思い込んだ(※実際は、その手前の鼓滝だった)。
この記事の冒頭に貼った写真ですまんね。何枚も撮ってる余裕、なかったので。
おもったよりも大きな滝ではないと思った(※なぜなら天滝ではないからだ)。
登山口には 40 分と書いてあったけど、それはゆっくり景色を楽しみながら登る人の所要時間だろう。実際には私 15 分で天滝まで到着した(※到着してない)。
爆走かよ。まるで敗走する藤堂高虎のようではないか。
そして、滝の手前は主役を喰うかのようにフォトジェニックな状況になっていた。
よし!天滝みた!(※見てない) 満足した!真っ二つになった橋というサプライズもあった!
十分だ!さあ帰ろう!急いで帰ろう! 懐中電灯もってない!携帯電話もってない!電灯なんかない! あー怖い!怖いから早く下山しよう。
「夏じゃねーか。夜になっても、一晩すごせば、無事に下山できらあ。なにをそんなに怖がっているんでぇ」
「もし捜索隊が出動しちゃったら、捜査費用の支払いが怖い」
マジであった。時刻は 18:12 くらいだったので、まず日没前に下山できる目途は立っていたけど、やっぱり焦っていた。
下山は敗走する高虎と同じ方向を進むことになる。こういう景色を見たのだろうか。
登りよりも視界がひらけて美しく感じた。というか、登山中はふりかえる余裕もなかったので、新鮮に見えた。
おそらく、登山道の整備が不十分だった時代の名残だろう。今は道幅が 1m ほどあるので、鎖をつかわなくても、まず落下の心配はない。しかもこの場所は谷側に落下防護柵もある。高さは、まあ、滑落して打ちどころが悪かったらアレだよねというくらいか。
ともあれ、登山道としてはきつくもなく、急げば登山口から天滝まで 15 分で行けるほど(※行けてないし、行けない)、歩きやすく整備されていた。
登山口。これから登山する人間には見えない側に「クマ出没注意」を貼るって、なんやねん。下山した人間をゾーッとさせるだけやんけ。
登山口駐車場。18:32。結局、登山も下山も 15 分ほどだった(※なぜなら天滝まで行ってないから)。
日没前に駐車場につければ……と願いながらの天滝見物(※してない)だったけど、結局は日没前(18:50)に宿泊地である天滝キャンプ場に戻ることができ、実際に夜のとばりが落ちたのは 19:10 すぎくらいだった。
貧乏旅行ゆえ、ケチケチ旅行ゆえの”時間がもったいない”から来る無茶で自分の命を粗末に扱うのは、ばからしいと痛感した天滝鑑賞(※してない)だった。
見たと思っていた天滝を実は見ていなかったと知ったのは、このエントリを書いている途中だったが、もし勘ちがいせずに先へ進んでいたら、確実に遭難していただろう。
天滝を見ていないのは残念だ。が、訪問の目的は高虎の敗走路の一部を見ることであり、それは果たせた。そして遭難せずにすんだ。結果オーライということにしておこう。