訪問日は 2016-08-13 だから、それから2年くらいして、ようやくブログにまとめていることになる。
この日のプランは現存する唯一の鉄船・明治丸と、東京海洋大学の天体観測台 | 桝席ブログ…を見て、ブログのためなら江東も中州 中の島公園(江東区) | 桝席ブログ…を見て、あとはノープランでブラブラ、だった。
つまり、このエントリは、その「あとはノープランでブラブラ」の部分を書くものだ。なぜ今までかかったかというと、水門など個別にエントリにしたいような気持ちが少しあったからだ。しかし、単独で切り抜くには弱かった。全体の醸し出す空気こそが月島界隈の魅力であろうと再認識して、こうして筆をとった次第である。
月島に向かう途中(いつものようにママチャリ遠征だった)。通称・白髭アパート。ここも一度、じっくり鑑賞&撮影しようと思っているが、ついついあとまわしになってしまっている。
横から見るとかっこいい文京区区役所だが、正面からだとちょっとブサイク。
江戸橋。ここから見る首都高の高架はや橋脚は好きなのだが、日本橋にハイウェイは要らない運動が、どうやら現実になりそうな空気ですな。
伊達家の屋敷に使われた礎石……と、文化財のふりをすればホームレス排除石だと思わないと思ったか!ばかめ、逆に貴重な文化財のクソ利用としか思わんわ!
集合ポスト、という被写体テーマ・ジャンルはどうだろうか?と思ったことはあるが、撮影を住人に見つかって無用なトラブルになりそうだから、断念した。
西仲橋 – Google 検索
現在の西仲橋は、正直に言って、これといった特徴のない無難な橋でしかないと思うのだけど、2017 年の土木学会の何かの賞を受賞しているらしい。
思うに、平成 26 年の架け替えの際に、70 本もの木杭を使った先代の西仲橋は重要な建築である!昭和 31 年架橋だから、まだ使える!残せ!とかなんとか、そんな声があったのではないか。
そこで、歴史の説明板と、木杭を使ったベンチを設置した。配慮してますよ、一部を残してますよ、と。そして新しい橋も良い橋なんですよとアピールをかねて、政治的力学によってなにかの賞が与えられた……と。
これらはすべて筆者の妄想であり、証拠があったりはしない。
もんじゃ通り。悪くはないが、まあ、観光地化された商店街ですなー、という程度の感想。
いちいち貼ってたらキリがないから割愛するけど、現実の私はこういうのをいちいち撮ってた。すばらしい。
月島名物、レバーカツ。決して、名物を食わないわけじゃないのだ。もんじゃはスルーしたが。
しかし、この程度で 200 円くらいしたんで、次はないかな。
つまり、埋め立て地というものは、行き止まりが生まれやすいのだろう。
電線・ケーブル類のための橋。ああっこのサビが!このサビが!たまらんたまらん!
この日、明治丸や中之島公園を除外したら、いちばんグッときたのはここだったかもしれん。月島4にあった遊歩道。
大震災追悼碑。平成も終わるし、そろそろ関東に直下地震ありそうな気がする。
佃大橋。橋の写真、わりとよく撮るけど、くわしいわけでもないし、ブログのネタに昇華できねんだよな。
「ブレーキがうるさいので」降りろと。そういうことじゃねえだろ。油を差してりゃ降りなくていいんか?ん?
すぐ近くに本家。こいつら絶対なかよしですやん。プロレスですわ。
なんちゃって文化財風建造物より、いま現役のドボクこそ、だ。
廃工場があった。もしかしたら稼働してなかっただけで、廃じゃないのかもしれんが。
夏の日差しから遮られた空間に漂うヒヤリとした空気。機械油の臭い。
手押しポンプ。このあたりは海水が出るのでは?と思うが、下水用にでも使うのだろうか?
このへんの下町の路上、ある家の玄関前で、ビニールプールですっぽんぽんの幼児を行水させてるお母さんがいた。
真夏日であり、子供も大喜び。なんだかすごく昭和な夏の風景が、ここにはまだ、健在だった。
とはいえ、それにカメラを向けて撮るわけにもいかんよな、結局は平成だよね、 21 世紀だよね、て思い知らされたんですが。
(あえて解説すると、かつてここに渡し船の船着き場があった)
「動く歩道」を「歩く歩道」と言い間違えるあるあるがあるが、故障により正真正銘の「歩く歩道」になっていた。
つめた~い(ホットミルクブレンド)。8月の、ある夏の日のことであった。
日本橋郵便局の「ケッ」てなるオブジェと標語と偉そうな郵便ポスト。
旧岩崎邸のあたりでは、もうヘトヘト。あと、実は一度も行ってない>旧岩崎邸。
というわけで、なにか全体を通して、月島とは佃とは石川島とは……みたいな話はなにもなく、ただ、夏の休日をブラブラして溶かすのにァ、わるかねえ街だ……というだけのエントリでした。
とりたてて、これがある!というような有名な観光地・旧所・名跡がある街じゃないけども。