世田谷城の支城・奥沢城址(現・浄眞寺)を見てきた
世田谷城址は前に行ったことあったのだけど、 その支城である奥沢城址はまだ行ったことがなかったので、行ってみた。
世田谷城と奥沢城は、奥州吉良氏の居城。 清和源氏の血を引き足利家の一門という家格だけはやたらと高い、 武士としての実力はちょっとばかし足りなかった一族。 戦国時代は後北城氏の配下に入っていた。
ちなみに元禄赤穂事件の被害者は三河吉良氏の方。
参道ではフリマ開催中。
九品仏唯在念仏院浄眞寺。小田原合戦後に廃上となった奥沢城の跡地に、家綱公の治世のころ建立されたお寺。
奥沢城の遺構は境内を囲む土塁が残る程度。
「この土の盛り上がった部分が奥沢城の土塁の遺構かな……?」
と、たぶんそうなんだろうがいまいち確信が持てずにいたら、
「境内周囲の土手が奥沢城の土塁の遺構です」
と説明版に書いてあった。安心親切。
九品仏とは、この寺に祀られている九体の阿弥陀如来像のことだそうだが、 それ以外にも三十三仏像とか、数で押してくる。ハーレム阿弥陀。
仁王門は養生中。
本堂・仁王門は茅葺屋根だったものを昭和40年に銅葺きに変えたそうだ。やや残念。
浄眞寺のイチョウ。都の天然記念物。
あとで調べたら、浄眞寺のカヤなる都の天然記念物もあったそうだが、そっちは見逃した。
鐘堂。
腹が減ったのでフリマに合わせて出店してた屋台で稲荷寿司とコロッケ。
小学生が空を指差し、
「あ!人工衛星!」
と言っていた。(右上の光点)
頭の良さそうな子だったので、たぶん正しいのだろう。
奥沢城は世田谷城の支城で、遺構の残存度はどっちも似たようなものなのだけれど、
お寺になったぶん宅地化された世田谷城より、支城の奥沢城の方が
「行って楽しい場所」
になっていた。
参道に立つ「禁銃猟 警視廳」の旧字体の石碑も楽しい。