桜の季節に高遠城へ行ったときの写真
JRバス高遠駅から高遠城まで歩く道すがらですら、こんなに華やか。
というか、伊那までの中央線・飯田線の車窓やら伊那駅から高遠までのバスの車窓がもう桜・桜……そういう季節だからね。。
高遠町を流れる三峰川。バス亭から城までは 1km くらい。せっかくなので歩きたい。
高遠城以外にも良さそうな寺がけっこうあったなぁ。行けなかったけど。
高遠城址公園の海鼠塀……風のコンクリ法面。かえって興がそがれる。
長野県伊那市より 高遠城址公園ガイド
http://www.ta-ka-to-o.com/
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠2295
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遠城址公園から見た城下町。
高遠小彼岸桜《タカトオコヒガン》。長野県の天然記念物。近縁の江戸彼岸《エドヒガン》はソメイヨシノの片親としてしられる。タカトオコヒガンはソメイヨシノよりわずかに花が小さい。また、ソメイヨシノよりピンクがかっている。
……と記憶をたよりに書いたけど間違ってたらどうしよう。
高遠城址公園パノラマ。このときの高遠城址公園は五分咲きから七分咲きといったところ。それでもかなり賑わっていた。地元の人が言うには満開になると足の踏み場もなくなるほど混むのだそう。
そら蜂も夢中になりますわ。
建前としては城址の遺構を見るのが目的でを見に行ったのだけど、やはり桜に釘付けだった。
元・高遠城大手門。高遠城・元大手門。明治時代の破却命令を受けて民間に払い下げられたのち、ここへ移築しなおしたもの。払い下げられたときに切り詰められ、往時の姿とはだいぶちがっているそうだ。
藩校・進徳館。藩校・進徳館(国指定史跡)
ちょうどこの頃、使ってたデジカメ( Caplio R5 )が4年目でだいぶガタがきてて、写真の左側がピンボケてしまっていた。沈胴型にはよく起きる症状だと言うけれども。
藩校・進徳館。往時は八棟あったが現存するのは二棟と表門のみ。 建物の材料だのが色々展示してあった。
落ち着く。居心地いい。お金と寿命に限りがなければ、ずっとこういうところでごろごろしてたいね。冬は寒いんだろうけど。
高遠城空掘。 高遠城の空掘。巨大さに圧倒される。土の城である。この堀ではたして何人の命を奪ったのか…
ある意味桜のトンネル。
縦パノラマ。特に立ち入り禁止の柵だの看板だのも無かったので気軽に空掘りへ降りて写真を撮ったり登ってみたりしたけど、空堀だって歴史的遺構だ。ここへくる観光客全員が空掘を歩いたら遺構が壊れてしまいかねない。
せっかく桜まつり開催中で誘導している地元職員の方がいらっしゃるのだから、堀底を歩いていいか確認する分別はあってしかるべきだった。
ローメンまん 小腹がすいたので腹ごしらえ。ローメンを食べたことがあれば、想像どおりの味。300 円はちょっと高いと思った。
桜雲橋。完全な木造ではなく一部にコンクリが使われている。地元の人の話だと、橋を架けるときに「ここは城なんだから軍用車両が通行できる橋でなくては」と強行に主張する人がいて、完全木造派と争い折衷案でそうなったということだった。ちょっと半信半疑。単純に花見の季節の荷重に耐えられるようにの内部補強ではないかと思うのだけど。
桜雲橋は高遠城址公園内でも屈指の撮影ポイント。満開時にはきっと場所取りも大変だろう。
上側(横持ちでの左側)がピンボケてる…ぅぅぅ
高遠城断崖。 三峰川の側の断崖と言うべき急斜面。この城を攻めるのは大変だっただろう。
斜面を利用したすべり台…じゃなくてダストシュート。アイデアだ。 こんなのが必要になるくらい大量のゴミがでるってことなんだろうけど。
高遠町歴史博物館。当時、こんな建物があったわけじゃない模造天守。
模造天守ってことで毛嫌いして入らなかった。今は後悔している。歴史博物館の敷地内に、江戸城大奥に仕えた大年寄絵島が高遠藩に流された時に囲われた屋敷を復元した「絵島囲み屋敷」があるそうで、復元とはいえ、それは見たかった。下調べの欠如による自業自得。
いったん高遠城址公園を出て、白山橋。白山は城山の意か?
高遠湖でシェー。人造湖なので、戦国時代の当時、このような湖の向こうに城が見える風景だったわけではない。
このあたりまで来たら人がいなくなって、ようやくシェーできた。(人目があると恥ずかしくて……)
高遠城址公園に戻った。
桜の「見てると幸福感わいてくる」効果はなんなんだろう。なにか精神を麻痺させる成分でも出ているんじゃないか。
もう少し桜を無視してれば、郷土資料館を見る時間もあったかもしれないなぁ……と思う。鈍行(18きっぷ)で日帰りという制約があった。
ローメンまんだけではもたないので、信州名物おやきを購入。値段はリーズナブルだし、うまい。
問屋門。城下にあった問屋役所の門を移築したもの。
若返り桜。 なんだかガジュマルとかアコウのような絞め殺し植物みたいになっているが、昭和30年ごろに若返り処置を行った桜だという。
親木の樹皮の上に発芽した若芽に壁土をつけて根を成長させたものだそうな。若木が成長すると土台となった親木が枯れ、このような形になったという。人為的な奇樹と言える。
それが「若返り」と言えるのかどうか。この処置でいびつな形に成長した新しい桜の寿命はどうなのか。気になるところではある。 あと、この若返り桜をして縦社会的な価値観を教え諭す比喩に使われるとかなんとか。
新城神社。 数万の織田軍に対して三千の寡兵で戦い散った、武田信玄の五男・仁科五郎盛信の霊を祀る神社。よく桜が美しいのは死体が埋まっているからなんて軽口がありますけど、高遠小彼岸桜が赤いのは、織田と武田の流したおびただしい血を吸ったからだと言い伝えられているそうで……
もちろん、科学的にはそんなわきゃぁないのだけど、とりあえず話のタネになるから、こうして脈々と語り継がれますな。つまり私も加担した一人になるわけだ。
太鼓櫓。 高遠城の数少ない現存遺構のひとつ、太鼓櫓。高遠城に破却命令が出せれたものの、市民に時を知らせるという役目のために例外として破却を免れた。
というか、ほっといても
「城なんて時代遅れな無用の長物。こわせこわせ」
という風潮だった明治初期に、わざわざ破却命令を出したってことは、ここに立てこもられたら容易には落とせないってことだったんでしょうな。
高遠楼。 高遠城址公園への観光客誘致のため、昭和11年に作られた建物。いまや立派な歴史的建造物。
戦前の雰囲気あふれる良い建物だったけど、みんな桜を見るのに夢中なのか、二階には誰もいなかった。外はけっこう混んでたのに……
二百畳敷き大広間を独り占め。
誰もいない……踊るなら今だ!(このサイトの熱心な読者なら覚えているかもしれませんが、この顛末だけ2年前に日記に書きました…片足立ち5秒もたず | 桝席ブログ)。一人で、素面でやってます。
こ け た 。
それはともかく、高遠楼の二階から見る桜も悪くなかったですよ、と。
子供だって浮かれて石垣風の壁をよじ登っちゃう、そんな春の日。
都心から日帰りできる距離ですし、桜の名所としても土の城の堅城としても歴史に残るな古戦場としても見所の多い高遠城址公園、おすすめです。
まぁ、今年の桜はもうピークを過ぎてしまっているかもしれませんが。
おしまい。