地味な方の加藤さんの城、伊予松山城を見てきた
戦国ちょっといい話・悪い話スレで「地味な方の加藤さん」と呼ばれる 加藤嘉明公の城、伊予松山城を見てきました。
→参考:松山城 – (伊予鉄道株式会社 松山城総合事務所)
城下にある松山東雲中高等学校。外郭の石垣やら門櫓が残っててかっこいい。 本丸に高校を建てちゃった「@nifty:デイリーポータルZ:防御力の高い高校」には及ばないとしても、こちらもなかなかの防御力。
こちらは防御力の高い街中パーキングか。
登城口が見つからず、迷った
伊予松山城へ登るには5つもルートがあるのだけど、なんか迷ってしまって、なかなか登城口に辿り付けなかった。
ロープウェイ乗り場の近くにあった坊ちゃん顔出し。とりあえずマドンナを選んで顔を出す。もっと思いっきり顔を出す勇気が必要です。顔を出す前に勇気を出しなさい。
んで、せっかくなら徒歩で登城したいのでロープウェイは使わず、普通の登城道を探したのだけど。
最寄は東雲登城道で、それは東雲神社に上がってそこから登る道だったらしい。
しかし東雲登城道の入り口を見て登城道ではなく神社への道だと誤解したため、
「神社に行ってもしょうがねえし……ま、お山に沿って歩いてりゃいつか登城口が出てくるだろ」
と通過してしまった。そしてのんきに 1km ほど半周して搦手口から登るハメに……
いや、いいんだけど。搦手道は見るつもりだったしさ。いいんだけどいいんだけど。
私がお城を見にいってはアホほど歩いて疲労困憊するのは、方向音痴と根拠の無い確信と無計画さともって生まれたバカが理由の大半です。
搦手道。狭い。途中に崖崩れや立ち入り禁止の謎の穴などあり。 標高 132m 。平山城の中では結構な高さ。上りにくい搦手道ということもあり、だいぶ疲れた(すでに 1km ほど歩いてたし)
お?木々の向うに……
出たー!
疲労も忘れるこのド迫力。下見板張りの色が美しい。
石垣に反りはあるのだけど、弧を描くというよりは 70℃ で積み上げたあと上部が垂直になる、折れ線のような反り。あーんまり、美しくない。
たぶん乾門。
塀と狭間。
よしあきくん。地味な方の加藤さんをモデルにしたマスコット。ひこにゃんやひごまるくんにくらべて、明らかに地味なのが否めない。
天守の印象が弱い
見てたときは大感激したのに、数日たって写真を整理しようとしたら、 伊予松山城の天守がどんなのだったか、ちゃんと思い出せなくてうろたえました。 天守も地味なのか。
天守の前で自分撮り。観光客が多かったのでシェーはせず。
こうしてじっくり見るとじわじわと良さが心に沁みる良い天守なのだけど。
天守が低くて(三重三階)、周りの隅櫓(二重二階)と連結してるため、天守が埋没してしまってシルエットが脳裏に焼きこまれないんですな。
この伊予松山城天守。本来は五重櫓になる予定だったといいます。
しかし加藤嘉明が会津に転封されたため、建築が一時ストップ。その後入城した松平定行が三重櫓に変更して完成させたのだとか。
一説には五重櫓で完成していたものをわざわざ三重に作り直したとも。 いずれにせよ五重櫓を嫌った幕府に遠慮してのことでしょう。
その松平定行の建てた三重三階の天守も落雷で焼失。同じ三重三階で安政元年に再建されたのが現在の天守です。
で、天守台そのものは当初の五重櫓用のものがそのまま使われたので、底面積のわりには高さが無い、ずんぐりむっくりな天守になったというわけですね。
と、ここまで理解してようやく伊予松山城天守の印象が自分のなかで記憶固定されました。うん、でぶっちょ天守。かわいいかわいい(←ひでえ記憶のしかた)
回してみた動画
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とりあえず回しました。
縄張りの印象が強い
天守の背が低いせいか、連立するそれぞれの櫓が天守から近くに見えて、密集感とか圧迫感が半端なかったです。 天守の記憶が薄かったのは縄張りの印象が強くてその他の記憶が消し飛んだせいでもあります。
この城でタワーディフェンスやったら強いぜー!ジャグ無しクリアできそうだ。
石落とし。
支える石の長さが足りてないwww。 追記:全部そうなってるってことは、足りてないんじゃなくてこういう仕様なのだろうけど。 なぜそうしてるのか、その理由は私にはわからない
多門櫓の出入り口。
天守内部は刀や槍などが展示してあった。まぁ、他所の城と同じ。
具足(レプリカ)が試着できるコーナーもあったけど、一人で着るのは大変そうだったので面頬だけ。連れがいたらね。
あと、木材の各種ほぞ組の実例と解説なんかも充実してて、建築としてのお城愛が展示内容にあふれてて良かったです。お城好きの見たい知りたい部分がわかってるというか。
リボンみたいな銅板(?)がちょっと残念。
ロープウェイ乗り場にて。こっちは顔を出さずスルーした。
県庁裏登城道より下山。写真は登り石垣。江戸時代の正規ルートである黒門口登城道も見たかったけど、時間が押してたのであきらめた。体力も温存したかったし。
登り石垣は秀吉の朝鮮出兵から帰ってきた武将たちが、かの地で試した防城設備を持ち帰ったもの。 大陸系の万里の長城とかの系譜に連なる堤防の一種と思われます。 彦根城などにもありますが、規模・残存度では伊予松山城のものが最大。 登り石垣と呼ばれますが、厳密には石垣ではなく石塁。
空は曇り模様で寒かった。手がかじかんでちゃんと写真が撮れなくなってきました。これは県庁のあたりから。ブレブレ。
松山市は感じ良い観光地だと思ったです。良い場所だから良い小説が生まれ観光客がやってきてさらに良い街になっていく。ずるい!(←こらこら)
しかし、この楽しく無さそうな顔はなんだ>自分。一人旅を満喫してるのに気持ちが表情に表れてないじゃないか。