日本三大水城の一角、今治城(愛媛県)を見に行った
……ら、予想通り模擬天守にガッカリしたけど、面白いところもあったよという話。
→参考:今治城 – Wikipedia
今治。いまばり。ついこないだまで読めませんでした。無知ですみません。
列車が今治駅に近づくにつれ、山の上にお城が見えた。
「おおおお、あれが今治城……っていやいやいやいや待てよ待てよ !? 今治城って平城だろ !? 山の上にあるわけが……じゃあ、あれはなんだ?」
と軽く焦った。駅からは建物の陰になってたのか見えなかったので写真は無し。
帰宅して調べたら、お城風のマンションでした。あー、焦った。実際、今治城と勘違いして行ってしまう観光客も多いのだとか。
→参考:真剣に一国一城の主になりたい人に「城山ハイツ」【愛媛】 :日本珍スポット100景-B級スポット観光ガイド –
トラップにひっかからず、徒歩で海を目指す。あんまりお城への案内の看板がない。
見えたー。
濠が広い。深さはよくわからない。手前側は水深1mくらいに見えたけど、お城側の犬走りのあたりもそうなのかどうか。
お城と視力検査板。シュールwww
今治城のお濠は珍しい、海水を引き込んだ城なので、ヒラメなど海の魚がお濠にいるのだとか。釣りをしていいのかどうかはわかりません。 禁止看板は見かけなかったけど、釣り人も見かけなかった。
こういうのが設置されてる城もあまりない。さすが日本三大水城。
たぶん、こっちが大手門だと思う。城の北側。
忠実に復元された武具櫓。
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. | l l│<ハーイ
┷┷┷
と見るか、
|・∀・|
と見るかで悩むところ。
石垣。平城ってことは、近くに石が切り出せるような岩山がなかったってことかもしれない。 バラエティに富んだ様々な種類の石による石垣。石垣の高さがそれほどではないのも、 固い石をそろえられなかったからかも。
追記:今治城の石垣建造は非常に大変だったらしく、歌になって残っているほどだとか
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打込接の石垣に見えるが……。打込接ってのは、すきまに詰める間石は見た目を美しくするためと手がかりを減らしてのぼりにくくするための後から詰めるもので、構造材としての役目はないのが普通なんだけど、これは間石が完全に構造材として組み込まれてるな……。
石垣は奥が深い。
勘兵衛石。築城に当たった渡辺勘兵衛の名を冠した今治城の鏡石。 藤堂高虎って人は建築家としてはモダニズムというか、装飾的な要素をあまり好まない設計者だと思うのだけど、それでも目立つところに巨石を置いて権力を誇示、とか、石垣の隅角にあえて縦石を置いて技術力を誇示、みたいなことは他の大名と同様にやるんだな。 ……あの兜を見れば、そういう面もあるのは納得か。
忠実に復元された鉄門。シンプル。乳金物の釘隠しとかが無いモダンなデザイン。
藤堂高虎公像。
城内に、ごく普通に民家があってびっくり。
明治期に今治城下の神社が城跡に移設・合祀されました。 で、ここは今治城址吹揚公園であると同時に、今治のメイン神社である「吹揚神社」でもあるわけです。
で、この民家は神主さんのお家じゃないかと推測した。外れてるかもしらんけど。
忠実な復元ではない、昭和に作られたコンクリ模擬天守への門。
そう、今治城の天守は、お城好きからは忌み嫌われる、史実に忠実ではない模擬天守なのです。
こんなんだ。
これが、どのくらい史実に忠実ではないかというと
そもそも天守があったかどうかがハッキリしてない
少なくとも遺構に天守台は発見されていない。「高虎は伊賀上野の自分の城に移築するため今治城天守を解体して大坂に運んだが、家康が丹波亀山に城を築くと聞いた高虎は大坂に運んだ建材を家康に献上した」という文献があり、天守台が無くとも高楼を築くことはできるから無かったとも言えないんだけど、文献にどこまで信憑性があるかは難しいところ。
位置がおかしい
模擬天守が建てられたのは北隅櫓のあった場所。仮に天守が実在してたとしても、 この位置ではないことは明白。北隅櫓の遺構破壊とも言える。
外観がおかしい
藤堂高虎の櫓は層塔型。下層が入母屋構造ではないので、当然ながら下層に入母屋破風は生じない。そして、先の武具櫓もそうだけど装飾として千鳥破風を加えることもしていない。 仮に天守が存在していたとしても、 献上された丹波亀山城(→亀山城 (丹波国) – Wikipedia » ファイル:Kameyamaj.jpg) と同様の入母屋破風・千鳥破風を持たないツルっとした天守だった可能性が極めて高い。
ところが、この模擬天守は丹波亀山城天守を参考にしたと言うわりには、なぜか入母屋破風と千鳥破風が加えられてしまっている。
……と、昭和のコンクリ復元は仕方ないと差し引いても、それ以上にダメダメすぎるんで、まぁあんまり評判はよろしくないわけです。
が、中に入ってみたらば……
まさかの、この模擬天守の猛プッシュ。丹波亀山城天守を参考にした忠実な復元であると、言い張る言い張る。
あとで山里櫓に行ったら、そこには撮影禁止のの貼り紙があったんで、もしかしたら模擬天守内部の展示室・展示品も撮影不可だったかもしれない。でも禁止の貼り紙とか見あたらなかったんで、撮影してしまいました。
模擬天守の内部は、よくあるコンクリ製博物館でした。刀や鉄砲が展示してある、よくあるやつ。
他所の、現存十二天守の写真とかも展示してあったと思う。
現存十二天守の写真を展示って他の城でもちょくちょく見かけるんですけど、 ちょっとガッカリするんですよね。その城が見たくてそこに来てるのに、なんで関係ない城の写真を見にゃならんのか。
藤堂高虎肖像。そうそう、こういうお城と関係あるものが見たいんですよ。当時の庶民の民具とかはどうでもいいんですよ(←どこの城の展示物とは言わんけど)
お城に関係のあるものが見たい、お城に関係のあるものが……
「ん?」
「…………」
「お、お城に……関係するものが……」
「ニルスもタオルも好きですけど。なんか貴重なものが見られたような気はしますけども!」
(今治市はタオル生産日本一の町)
「へえー、愛媛新聞ってこうやってできるんだー…どうでもええわっ デーオーデーイーエムオーアイアイ、DODEMOII!!!」
はあはあはあはあ……
うん、正直に言ってガッカリしたことはガッカリしたのだけど、 ここまで突き抜けてたら別の意味でおもしろいとも感じた。
存在しない入母屋破風や千鳥破風を足したりしたのも、このわけのわからんアサッテの方向の工夫の現れだと思えば、許せなくはない。
よく考えたら縄張りが変だ
天守最上階からの眺望。ほぼ北の方角。写真じゃなわりにくいけど、遠くにしまなみ海道の来島海峡大橋も見える。
つまり、今治城は郭の四隅が東西南北に向くような、45 ℃傾いた縄張りをしている。
で、多くの城 — 平城は特に — では鬼門除けといって、鬼門の方角(東北)を凹ますものなのだけど、今治城の鬼門方向にはそれがない。
でも西の方が凹んでいる。
関係ねえ。つーか意味ねえよそれ。
北側は海側の重要な部分で削れないから、せめて裏鬼門(南西)に近い方を……ってことだろうか。そんなんでいいのか?
今治城の西側がなんで凹んでいるのかの解説って読んだことないな。誰か論説してないんだろうか。意味不明すぎるwww
鬼門にあたる東北方向。バリバリに大手門と大手道がある。
南。吹揚神社。でかい。
馬子にも衣装。模擬天守にも日差し。
このあと忠実に復元された山里櫓の中に入ったら、 撮影禁止の貼り紙と陶器だの磁器だのと、今治出身の画家・イラストレーターの作品などがあった。
奥の方に空山基のイラストが!エアブラシで描かれたメカニカルな鯛www 今治出身だったのか……つーか、もっと目立つとこに飾れやバッキャロー!陶器とかよりこれが目玉だろーが!(←極私的な主観による)
そんで、御金櫓と武具櫓はまだ内部を見てなかったんだけど、 だいぶ疲労してたのと、そこも内部撮影不可だろうな……と思ってしまって、 けっきょく見なかったんですよ。
あとで調べたら、撮影可かどうかは不明ながら、鉄門の復元の様子とか見るべきものが展示されてたらしい。失敗した。大失敗。
もう一度、行く機会があれば、そのときに……
日没が近くなって、少し日が差してきた。あと水路確認
少し雪が降ってたのでずっと防水デジカメの Optio W90 で撮ってたのですが、 曇りで光量足りてないし三脚めんどくさがって使わないし手がかじかんでブルブル震えてるしで、へっぽこ写真ばっかり撮ってしまったのだけど、 帰り際に少し晴れたので GXR + P10 で何枚か撮った。がんばれ。カメラがんばれ。
あと、今治城の濠へ引き込まれてる海水の水路を確認。江戸時代は港から城まで船で入ることができたらしのですが、今はそんなことはなく細い水路でつながってるだけ。
港のコンクリートの跡を見るに、犬走りの高さ=満潮時の海水面という感じなのかなー、と思った。
今治港。自分が太平洋沿岸民族なせいか、港が町の北にあるという状態が奇妙に感じてしまう。
さいごに
ガッカリ観光地っていう言葉、あれ、嫌いなんですよ。楽しめないのは自分の勉強不足と発見力不足だろー、と思うので。
でもやっぱり、いいかげんな模擬天守とお城に関係ない物産展は、どうにも擁護しづらい。 変で面白いというのはあるのだけど、そういう部分を誉めたくはない。
忠実に復元された鉄門や櫓たちは良かったです。こういうのを地道に続けていってほしい。 いつか、また、行きます。たぶん。
回してみた動画
では、おしまいに恒例のお城ぐるぐる。
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この模擬天守を回すのは辛かった。つーか、こんなの撮ってるから御金櫓と武具櫓を回る体力が無くなるんだよ>自分
前ブログのコメント欄から転載
ゆーじ先生 ニルスタオルで久しぶりに一人の部屋で声を出して笑った
桝田道也 うれしいはうれしいんですよ。
ニルスだいすきだったから。
でも、なぜ、ここにこれが?的な。