五稜郭と開陽丸の写真を撮りにほっきゃぁどー行って来た
歴史街道増刊『コミック大河』、 桝田道也 2010 年 新連載『波瀾万城』の第3話で五稜郭を描くために、取材に行って来ました記録。
普通列車乗り放題の『北海道&東日本パス』(→北海道&東日本パス – Wikipedia)を使って。
東北・北海道は九州出身の私には異世界と思ったです。黄色い線の内側にって言われても……見えないよ!
急行はまなす。これは寝台車両かな?自由席だったからわからないけど、カーペットが目玉になる時代があったんでしょうな。
よく知らなかったけど、鉄ヲタクラスタの人たちは楽しんでる列車のようだ。
→闇夜の #はまなす伝説 – Togetter
結局、函館駅に深夜2時頃に到着(遅延があった)。 そこまで列車内で寝てたのと、駅舎で一時間ほど寝ました。が。
函館駅は深夜 3:30 ~ 4:30 間は駅舎を閉鎖
……というわけで駅舎から出なければならなくなり、真冬の函館を深夜にうろつく羽目に。
雪は止んでたので、駅周辺をブラブラと深夜散歩して、寒くなったらコンビニに避難してました。
鹿児島のように市民に砂(火山灰)を集めさせる自治体もあれば、 市民に砂をまかせる自治体もある。日本は広い。
一時間して戻ってまた駅舎で一時間ほど眠って、朝六時からやってる函館市営谷地頭温泉でひとっ風呂浴びました。
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所在地:北海道函館市谷地頭町20-7
厳寒の地で入る朝風呂。これを極楽と呼ばずして以下略。
北の国には謎な食べ物がありますね(追記:こののち東京都内でも見かけた)。 パンの中にチーちくが入ってる味だった。そのまんま。
開城まで時間があったので函館山の山頂に行きたかったのだけど、 ロープウェイはまだ動いてなかったし膝まで雪が積もってる登山道を登るのは辛そうだったので止めた。
日本最古のコンクリート電柱。面取りされた四角柱かっこいい。学生のときに来たときもカッコイイと思ったな。それ以上の感想はないのか。進歩がない。
微妙にきもいオブジェ(?)がなかなか良い函館市水道局
五稜郭タワー。箱館奉行所の太鼓櫓を模したデザイン……なのだろうか?判断つきかねる。
五稜郭
雪の五稜郭。綺麗すなあ。
「武者返し」のある石垣。江戸軍学にのっとった石垣ですが、すでに時代は大砲による砲撃戦になっており、 五稜郭では白兵戦になるまえに降伏してしまったので、 その真価はついにわからずじまいです。
いっぺん五稜郭でサバゲやってみるとよいと思う。
箱館奉行所(復元)。2010 年夏公開予定だそうですが、もうここまで出来てた。 こんだけできてりゃ十分だった。ありがたやありがたや。取材に行って良かった。
半月堡に登ろうとして雪の深さに挫折して戻った。
半月堡ってのは五稜郭のような星型稜堡要塞の本体を守るためのオプション。
よく五稜郭について、星状要塞は西洋で時代遅れになりつつあったと書いてある本が多いですが、これは少し間違いのようです。
五稜郭で採用されたのは従来の星状要塞の欠点を改良した ヴォーバン式要塞 « ヴォーバン – Wikipedia であり、この方式はまだ時代遅れにはなってなかったんですね。普仏戦争で撃破されたと言われる星状要塞は、ほとんどが非ヴォーバン式。 Wikipedia によればヴォーバン式要塞は 20 世紀初頭まで現役だったらしい、と。
とはいえ五稜郭の半月堡は予算の都合でひとつしか築かれなかったので、仮に白兵戦になったとしてもどれくらい役に立てたかわかりませんが。
別に幕府が旧式をつかまされたわけでもなく、設計者の武田斐三郎が無知だったわけでもないですよ、ということですね。
目のうつろさ加減に、一人でこんな写真を撮ってる不安感がよく現れている。
こういうセンスレスな看板はほんと、やめてほしい。景観破壊だろ、これはもう……
ああもう、白ブリーフについたウンコのように、黄色いのがポツンと。
特別史跡五稜郭跡 – 見る – 函館市公式観光情報サイトはこぶら
http://www.hakobura.jp/db/db-view/2011/04/post-122.html
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所在地:北海道函館市五稜郭町
街中オブジェ
うむ。石川啄木であるな。哀愁である。
見るな見るな。
哀愁を漂わすな。
そして江差へ
マンガでは開陽丸も描かねばならない。函館に来るまで知らなかったけど、 江差市で開陽丸(復元)が展示されているらしいと。ならば資料写真を撮りにいかねば、みたいな。 夕暮れに差しかかっており雲行きもあやしかったけど、とにかく行くだけ行ってみようかと。
江差線の寂しさは異常。とくに神明駅あたり。 雪が積もってたせいもあろうが、線路以外、人工物というものがまったく見えないのね。 日本の、かなりな僻地でも山道とか林業用の小屋とか見えるじゃないですか。それが見えない。自分はどこへ向かってるんだろう、というえもいわれぬ不安が広がってく。 車内の乗客も私以外にはあと一人。ワンマン電車。つまり合計3名。 こんなとこでエンストでもしたら泣いてしまうと思った。
文明圏に戻ってきたと思ったら、かみのくにだった。ゴッドブレスミー。
開陽丸青少年センターまで来た。ここで開陽丸の中に入れば入場料が要るんだけど、 外から撮る分には無料。そんでもって、私のマンガにゃ外からの写真だけで十分だった。
開陽丸青少年センター
http://www.kaiyou-maru.com/
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所在地:北海道檜山郡江差町姥神町1-10
それまで雪が降ったりやんだりの天気だったのに、私が到着してあたりの 30 分くらいだけ、陽射しが!なんか神がかってた!日ごろの行いが!
しかし船首方向から撮れない。
開陽丸青少年センター内の模型を撮って、マンガにはそれを使った。模型の作者の著作権……は、大丈夫だろうと思う。忠実な復元模型なら創造性が加味されてない→著作権は生じてない、はずだ(そうか?)。
ビタ一文払わず帰るのもうしろめたかったので、開陽丸青少年センターでコーヒーを飲んで絵葉書買った。体が冷え切ってたんで生き返った。
んで、センター内の妙に少女マンガチックな挿絵の開陽丸新聞を見て、ようやく記憶がよみがえってきた。
はじめて来たと思ってたけど、むかーし、北海道に来たとき、ここ、寄ってるわ!すっかり忘れてた!てかマンガが記憶を呼び起こすスイッチなんかい>自分
そんで、写真を撮り終えて日没になったんで道に迷いながら駅を目指し、雪と坂で汗だくになってしまい、目に付いた銭湯に飛び込んだ。
おそらく寄航した漁師用の銭湯なんでしょう。あんまり観光客が利用するような銭湯じゃないんだと思う。番頭のおじさんがら、すごくうさんくさげに見られた(ような気がする)。 でも良いお湯だった。サッパリした。
そのあとストーブも入ってない無人駅で小一時間、電車を待った。泣きそうになった。
あとはとっとこ帰るだけ
『北海道&東日本パス』は連続する5日間なので、弘前城や盛岡城も行ければ行こうと思っていたのですが、 けっきょく体力の限界を感じてそのまま帰りました。車中泊・駅泊・ネカフェ泊じゃ体力が回復しない。三日が限度でした。 雪のせいもあったと思います。
いわて銀河鉄道。南国人には雪国のなにもかもが新鮮に見える。
旅のあいだに飲食したもの。コンビニ食ばっかりか。リボンちゃんは、やっぱこっちのデザインの方がいい。 最近のグラデーションのかかったのはバタくさくてちょっと。
遠くに見える白河城。いつか行きたい。(追記:2018年に行きました)
おしまい。