石垣の高さ日本一(ただし総高で)の城、うどん県丸亀城を見た
伊予松山城、今治城と見て、日が暮れた午後 10 時ごろ丸亀城に到着しました。
よし!今夜はここで野宿だ!(←うそ。真冬だから)
結局ネカフェ泊だったんですが、地方のネカフェは郊外のバイパス沿いにあるんですよね。 巡回バスも終わってしまってて、結局 5km 歩きました(バカ)
夜が明けて、バスに乗って丸亀城へ。
下から天守が良く見える良いお城。
香川県 丸亀市 観光情報:観光スポット:丸亀城
http://www.city.marugame.kagawa.jp/sightseeing/spot/01.html
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所在地:香川県丸亀市一番丁
横目地の通った品の良い打込接の石垣。
大手門。
家紋もかっこいい。
基本に忠実な枡形虎口。
なんというか、全体にキリッとした、そつのない城という感じ。
矢狭間と鉄砲狭間。フタがついてる狭間はときどき見かけるけど、引き戸になってるのは珍しいような気が。というか、私ははじめて見た。
石垣の高さ日本一の城、選手権
丸亀城は石垣の高さ日本一を誇っている城です。
このレースに名乗りをあげている城は他に二つ。大坂城と伊賀上野城。さぁ、真の日本一はどこだっ !!
って、正解はでているんですけどね。丸亀城の主張する日本一は階段ピラミッドのように複数段にわかれた石垣の総高での日本一。ぜんぶ合わせた総高 60 メートルはもちろん日本一だけど、石垣を単体で見て一番高いところでくらべると、
- 大坂城:30m ~33m
- 伊賀上野城:29.7m
- 丸亀城:22m
というわけで、総高での日本一は丸亀、単体での日本一は大坂、 伊賀上野は厳密には二位なんだけど、まま、固いこと言わんでええやんか数メートルの差やし大坂と同着一位ってことであんじょうおおきにありがとさん、みたいな。
で、丸亀の日本一は
「 60m と言っても総高じゃなぁ……」
と、内心、侮っていたんです。実物を見るまでは。見たら、いや、これが凄かった。
高いっ !! 単体でも十分高いぞっ !!
ぐおーん。ずあーん。ぬごぉぉーん。
で、単体でもこれだけの迫力だと言うのに……
うおおお、俺にフックショットをくれーーーーっ !!!!
ゼルダ脳ですみません。侮ってましたすみません。三段 60 m 最高です。かっこいいです。 踊り場(そのつもりで設けたわけじゃないだろうけど)が、いいアクセントになるんですね。 段差が造形としてすごく気持ちがいい。
そんな高石垣も、
殿様「これほどの石垣なら誰も登れまい」
作った人「そんなこと、ないで~~~」
と言って棒を一本、器用に使ってあっというまに天辺まで登ってしまったので、
怒った殿様に殺されてしまったという伝説があったりします。
うろ覚えなので細部が間違ってるかもしれませんが。
復元修理された石垣。
こういう、少し崩れてる部分のそばを通るのは怖い。
「いまここで震度6の大地震が来たら……あわわわ」
ってなる。
ところで、城内の案内板を見たら東南の山麓に野面積みの古い石垣が残ってるとかなんとか。それは見たい!と思って向かったんですよ。ですが……
んー……おやー……?
あきらかに、観光客が入りこむべきではないところに迷い込んでるような……
ス ラ イ ム が あ ら わ れ た !
♪デュリララララー てーれってれれー(んぱんぱんぱんぱ) れってれれー(んぱんぱんぱんぱ) ぺっぱっぽっ てれれれれっ(ん゛お゛)てってって てれれれれっ(ん゛お゛)てってって ぼーえ・あ・ぼーえ・ぼええっ ぼーえ・あ・ぼーえ・ぼええっ ぱっぱっぱー(ぽっぺろろ) ぱっぱっぱー(ぽっぺろろ) ぷー、ぱー、ぷー、ぱー、 てーれってれれー(んぱんぱんぱんぱ)……
……ドラクエ2戦闘曲です(わかるかい)
……こんなとこまで入りこんでおいて、結局、野面積みの石垣は見つけられずでしたorz どこにあったんだろう……
かわいい天守
江戸時代になり平和になると、幕府は諸藩が大きな天守を建てるのを嫌いました。 五重の天守の建造は基本的に禁止しましたし、 三重の天守も小藩だとなかなか作らせてもらえなかったりしました。
それで、天守を作れない、あるいは作らなかった藩も多かったのですが、 やはり無いとさびしい…というか家名にもかかわる(江戸時代の武家社会においては最重要問題でした)ということで、そういう藩の多くは天守のかわりに隅櫓の御三重櫓を天守の代用としました。
丸亀城の天守も、厳密にはそういう代用天守のひとつです。だから下からは目だって見えたわりに、そんなに大きくはない。
かわいい。この天守を作った京極高和は淀君の妹の夫という理由で秀吉に取り立てられ、関ヶ原で寝返った京極高次の孫。
なぜか側面の南・東・北面(かな?)は下見板張だけど、西は総漆喰塗籠。一つの櫓に家康好みと秀吉好みの様式を入れることで京極家の立ち位置を表現した……なんてのは深読みしすぎか。あるいは、西へだけ備えて東(江戸)へは備えてませんよというアピールか?(実際は漆喰塗籠と下見板張にさほどの性能差はないらしいけど)
外観のみ復元のコンクリ城とは次元の違う、現存天守らしい急な階段。
このへこみがなんだかわからない。石落でもないし、もともと採光だか通気ようの穴で、あとから埋めたとかそんなんだろうか。謎。
(追記:これは隠し狭間。ふだん、外からはここに狭間があることはわからないが、いざというときに漆喰壁を壊すだけで、ここが鉄砲狭間になる)
鉛筆書きだからすぐ消せそうなもんだが、40 年以上、管理者に見つかってないっぽいラクガキ。
そろそろ 60 歳前後であろう土井忠義くんは反省するよーに。
出る釘が打たれず出っ張ったまま。城や寺では釘隠しをよく見るけど、ひょっとして昔の人は釘を打つのが異常に下手だったのか?そんなわけないか。
二重目の屋根にのってた、たぶん漆喰がはがれたかなんかしたカケラ。心配ですな。
回してみた動画
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この天守も回しづらい天守だったなー。
眺望その他
亀山標高 66m はそれほど高い山ではないにしろ、20 階建てくらいの建物に相当します。景色を楽しむには十分。
鹿児島の開聞岳に似た綺麗な山だなー、と思ってあとで調べたら別名・讃岐富士とも呼ばれる(ちなみに開聞岳は別名・薩摩富士)、飯野山でした。
丸亀城の創建は室町時代にさかのぼるらしい。城と言えば山城だった室町時代に、なぜ近くの飯野山( 421m )や青ノ山( 221m )を避けて 亀山( 66m )を選んだのか、ちょっとわからない。
先見の明があったのか、単に山登りが辛い年齢だったのか。
感激にふるえるほど美しい光景だったのだけど、 その美しさを上手に撮れなかった。しょぼーん。
石垣と野球場。なんだか面白い。
日頃の行いが良いので、たまにこういう幸運にめぐまれます。
早咲きの桜。後ろに城、手前に桜。どちらにピントを合わせるか、究極の選択か。……はっ!両方それぞれ撮っておきゃよかったんだ!ああああ。
Optio W90 は、やればできる子。
溶岩を流したようなバリアフリー化。いや、別に責めてないですよ。これで十分、役目は果たしてるし少し見えてるトマソン化した無用階段を見つけて、私みたいな人間がニヤニヤすると。よいことです。
うどん県なので案内所そばの顔出し看板でも京極氏や生駒氏ではなく、うどんプッシュ。
裏面の、謎キャラのリサイクルされっぷりが怖い。首が!首がああああ!
……というわけで、
「石垣の高さ日本一?でも総高でしょ?ふひょへへへ」
なんて思っててごめんないさい。丸亀城すごく良かったです、という話でした。