18きっぷ帰省の詳細 2013~2014 復路
2013 年末から 2014 年始にかけて18きっぷで帰省しました。もちろん、『見えたァー! 青春18きっぷで18倍たのしむ東海道本線』を改訂増補して Kindle 版を出すための取材もかねての18きっぷ帰省です。
このエントリは後半、宮崎から東京へ戻るまでです。前半は↓こちら。
→18きっぷで宮崎に帰省 2013年末~2014年始 前編 | 桝席ブログ
2014-01-04 宮崎~博多
さて、18きっぷで宮崎から朝8時に出発したとして、延岡~佐伯間で特急を使ったとしても、日豊本線だと九州を出るのが夕方になっちゃうので、博多までは素直に高速バスに乗った。
九州山地ではうっすらと霧がかかっていて、それはそれは幻想的な美しさだったのだけど、 バスの車窓から撮った写真をあとから見ても白っぽいブレブレのノイズだらけの写真でしかないのだった。
九州山地を過ぎ福岡に入ると大観音が見えた。たぶん久留米観音。
高速バスは安くていいのだけど、渋滞などで定刻通りに着くとは限らないのが悩みの種。 そして今回はUターンラッシュ真っ最中。
おまけに途中のSAでバカ女が発車時刻までに戻ってきやがらず、さらに遅れた。
女子トイレは混雑してて大変だとは思うけど、他の乗客は全員定刻までに戻ってきたんだからさあ……。
思えば、これがケチのつきはじめだった。
2014-01-04 博多~下関
小倉城は鹿児島本線からは木々しか見えなかった。
しかし九州の各街道の起点、まさに九州の日本橋とも言うべき常盤橋は見えた。
常盤橋 (紫川) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E6%A9%8B_(%E7%B4%AB%E5%B7%9D)
実家で正月に『城下町へ行こう』を見てなかったら、この橋を知ることもなく撮っていなかったかもしれない。
BSってすごいね!
と、ここまではよかった。高速バスの到着は遅れたけど、まだ想定の範囲内だった。 大阪や三ノ宮までは行けないかもしれないけど、明石か、せめて姫路までは行ける……と思っていたから。
…と考え込んでいたら門司で乗り換えるのを忘れて門司港まで行ってしまった。
ひとつの歯車が狂うと、次々と狂い出す。
まあ、いいさ。
門司港駅と言えば、歴史のある駅舎で有名な駅だ。写真を撮りに寄り道したのだと思えば……
駅舎は改修工事中だった。
ああああああもうなんだよ野宿するハメになった 2005 年の帰省で奈良駅に降りたときとまったく同じパターンじゃねえかよう!
マジで、こういう星のもとに生まれついてるのな。
かなり時間も押してきてた……というか、もう新幹線でワープしないかぎり今日中に姫路まで行けないことがほぼ確定してたのだけど、関門海峡を船で渡ろうかどうか少し悩んで、結局門司駅まで戻った。
あんがい運賃が高かったし、下関港から下関駅までの移動がどれくらいかかるか読めなかったから。
2014-01-04 下関~三石
さて、山陽本線。夕暮れで逆光でろくなものが撮れなかった。
調べると、おお、ここが○×の出身地( or 遺跡など)の最寄駅かー…と感じ入る駅は多いのだけど、見えて、撮れてうれしいものは今のとこあんまり、ない。
加えて日没。今回は荷物を減らそうと思ってポケット時刻表も持ってなかったため、自分が本日中にどこまで行けるかも知らずに乗ってた。
カラスの大群。先行きを暗示していたのか……。
大都会岡山で降りてネカフェかビジネスホテルに飛び込むべきだったのだろう。
しかし、悪いクセで、こういうとき私はひとつでもコマを進めておこうとしてしまうのだ。せっかちで貧乏性だから。
どうやら、今のってるのが本日の終電で、終着駅は三石らしいと知った。
三石の前、吉永で降りていく乗客が私の方を見て、意味ありげに哀れむ目で半笑いを浮かべていた。
意味は、なんとなくわかった。
「この駅(吉永駅)で降りておけばいいのに」
だろう。
2005 年に、コンビニもないような町で野宿するハメになった紀伊長島駅。あれを超えるようなことはそうそうないだろうと甘く見ていたけど、どうやら同じクラスのソレらしい……とうすうす感づいた。
事実、その通りだった。
三石と、その東の上郡のあいだが岡山と兵庫の県境だ。つまり山の中も真ん中、人家もまばらな中国山地の山腹なのだった。
終着駅で降りた乗客は、私と、もう一人。会話はしなかったが、彼も18きっぱーだろう。 彼は駅泊することに決めたようだ。
私は……一つでもコマを進めるべく、隣の上郡駅まで歩き始めたのだった。
2014-01-04~2014-01-05 三石~上郡(徒歩)
さて、三石駅。駅の北西にある山に三石城があったというが、月明かりの下シルエットを見ただけ。写真もない。
そして船坂川にそそぎこむ下水道(?)などを撮ってるという。一種の精神錯乱か。
小雪がちらついていた。そのくらいの気温だったと察していただきたい。
姫路まで 43km 。多少遅れてもそこまで到達している予定だった。つまり遅れが多少じゃなかった。
……と、ここまでは看板などを、あとでブログに載せるためにフラッシュを焚いて撮っていたのだけど。
歩いている人なんてまずいない県境の国道だ。かてて加えて、歩いている人なんてほぼいない深夜だ。
長距離トラックが脇をビュンビュン飛ばして走っていっているのだ。雪が降っているのだ。路面凍結注意の看板が出ている場所だ。そういう場所で、ドライバーの目をくらませるかもしれないフラッシュを焚いて写真を撮っている、と。
死ぬ気かと。自殺行為かと。バカかとアホかと
自分のやってる行動の愚かさに気づいて心の根っこからふるえあがって、そのあとは写真も撮らずわき目もふらず、黙々と歩いた。
だけど、もう少し、わき目をふるべきだったのかもしれない。
岡山と兵庫の県境、船坂峠の旧国道──現在は歩行者・自転車専用道路になってる──に気がつかず、そのまま危険な車道の路側帯を歩きつづけてしまったのだから。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いやばい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ轢かれる轢かれる轢かれるこれはアカンこれはアカンやばいマジでやばい怖い怖い怖い怖い怖い
と震えながら国境の長いトンネルを抜けると播磨国だった。夜の底は黒いままだった。
フラッシュは使用せずに撮った。まさか、人生で自分が徒歩で岡山と兵庫の県境を越えることがあるとはね。
死ぬまでに一度も見なくても問題ない場所。
新国道2号において、この峠付近を抜ける道路は岡山県内ではなぜか交通事故の名所として知られている。
…… 船坂峠 – Wikipedia
私みたいなアホが多いのだろう。
さて、国道沿いを歩くのは怖すぎたので、迷わない範囲で脇道があればそちらを歩いた。 そしたら、犬が吠える吠える。ゆうに300メートルは離れているのに狂ったように吠えやがる。 まあ、こんな時間に見知らぬ人の臭いがある土地ではないのだろう。
深夜も2時にさしかかったころだったろうか。こういう状況下で歩いていると、詩情を刺激されて、ガラにもなくひとつ詩を作ろうかという気分になって、あれこれ考え始めた。
……が、「闇」「孤独」「遠くに見える光」「雪」「徒歩」なんていう状況下だと、 どう考えても陳腐な、おそろしく陳腐な考えしか湧いてこず、結局メモすらとらずに投げ出してしまった。
正直に言おう、寒い暗闇の中を一人、遠くの光を目指して歩いている自分の状況を人生になぞらえるという案しか思い浮かばなかったのだ。陳腐。うん、陳腐きわまりない。
ゆく冬や 犬鳴き夜に 目は涙
50 日も過ぎて暖かい部屋でPCに向かえば、こうして芭蕉の句のパロディも思いつく。
中世から近世にかけてこの峠の近辺にあったという梨ヶ原宿の遺跡があるらしい。近世? 400 年前までは町があったってこと?それって遺跡と言うより、ゴーストタウン跡ってことじゃないですか!ヤダー!
さて、三石駅から 6km ほど歩いたら、比較的大きな三叉路に当たった。国道2号を離れ、左に曲がれば上郡らしかったので、標識を信じてそちらへ入った。……そこへ、バイクに乗った人が近づいてきて、
「兄ちゃん、どこ行くんや~?」
と声をかけてきた。
パトロールに来た警官だった。巡回という時間じゃないから、犬を飼ってた家か、長距離トラックの運転手だかの通報を受けてやってきたのだろう。
徒歩で上郡駅まで行くつもりだと答えると、あきれたように、
「……いるんや。年に何人か、そーゆーんが」
と。
いはるんですな。それも年に何人も。開拓者になるのは難しい。
「逆に、上郡から三石に行く奴もおるしな」
逆もいはりますか。とりあえず、上郡への道はこの道で正しいことを確認し、お礼を言って、再び歩き始めた。
上郡駅までは、そこから 5km ほどだった。峠を抜けて街の明かりが見えたときのうれしさときたら。
どうも上郡は見どころの多い町だったようだ。見られなかったけど。
関西名物・飛び出しぼうやは手作り感満載。
残念なことに駅周辺にはコンビニが無かった。結局、ロクな食事もできず、一睡もせずに始発に乗った。
結論から言えば、一駅歩いて、コマを進めたのは意味があった。なぜなら、上郡駅は始発駅だったからだ。三石駅で駅泊してたら、出発がもっと遅くなるところだった。
教訓:スマホどころかガラケーもないなら、せめてポケット時刻表くらいケチるな。
2014-01-05 上郡~京都
神戸までは電車の中で寝てました。
尼崎を過ぎたあたりで日の出時刻になったので起きて、『見えたァー!』のための撮り逃し写真を撮ろうと……ああだめだ、新快速は速すぎるよママン。
京都到着。東京へ戻るだけなら、岡山で一泊してもよかった。でも、私はせめてお城に一箇所は寄り道するつもりだったから。
今回の目的地は……って、京都って書いたから答えは出てるようなもんだ。 世界遺産(の一部)、二条城だ。
乗った乗った。二十年以上ぶりに乗った。
思えば、京都で一年間浪人生活をしたくせに、ゲーセン以外どこもいかなかった。 清水寺も、金閣寺も。
若さとはバカさだ。
広隆寺は行った。東映太秦映画村のすぐ近くだったから。あと、伏見稲荷も行った。雀の丸焼きを食べてみたかったから。
若さとはバカさだ。
以降は後日。といっても二条城レポは独立したエントリを立てます。
残りは後日と書いてから3年5か月くらい過ぎたいま、この2017年の真夏に、続きを書くことにした。
長いこと、追記されなかったのは、追記するほどのことがなかったからだ。ともあれ、放置を発見してしまった以上、ケリをつけるとしよう。 3年以上前のことなんて、ろくに覚えちゃいないが。
京都へ着いて、二十年ぶりに地下鉄に乗り、二条城を見学した。
>最高のグラフィックと低い自由度 山城国二条城 | 桝席ブログ
http://www.masuseki.com/wp/?p=90
二条城の感想を簡単にまとめると、
「さすがに国宝の城・世界遺産の城で素晴らしい。でも複製画すら撮影禁止ってケチくさくねえ?」
だ。
二条城を出て、濠の周囲を一周して、町奉行所跡などの説明板をフムフムと読み、京都駅へ。あとはまっすぐ帰るだけ。だったはずである。
2014 年に残っていたのだから 2017 年にも残っていると思うが。味わい深い看板。昭和風俗。そそる。
2014-01-05 関ケ原
「なぜか」「~していた」と他人事のように書いたのは、本来ここでの途中下車は予定になかったからだ。 そして3年後の今、途中下車した理由を思い出せないのだ。
途中下車したことは覚えている。ただ、理由がわからない。
関ケ原駅は乗換駅ではない。はずだ。とすると、乗り換えで時間があったからブラブラしたわけではない。
おそらく、次のどれかだ。
- 小雪ちらつく船坂峠を徹夜で徒歩で越えたことによる疲労と、車内の混雑で吐き気を催した
- ウンコしたい!がまんできない!あっ!この電車トイレがついてない!
- ウンコしたい!がまんできない!車内が混んでてトイレのある車両まで移動とか無理!
1番であってほしいと思う。
さて、思いがけなく関ケ原で下車。歴史マンガ家のはしくれとして、一度は取材したい町だ。 しかし、次の電車が来るまで 30 分~ 40 分。もう乗り過ごせない。というわけで、駅からあまり離れたところまで行ったりしなかった。 関ケ原脇宿本陣跡を見たくらいだ。説明板と碑がある程度なので写真は省略する。
はじめて見る歌詞でも脳内再生余裕なのが鉄道唱歌のすばらしいところ。
七・五調の歌詞は七・五調の他の曲と互換性がある。すばらしい。構造と表現の分離?日本人は中世からやってらあ!
そして 14:48 分に関が原を出発。こんどこそまっすぐ帰るだけ。
そして積もり積もった疲労のあまり、すぐ寝落ちしてしまったらしい。
関ケ原出発後、撮った写真はこの名古屋城一枚こっきりだった。相当に疲れていたのだろう。
2013 年末~ 2014 年始の 18 きっぷ旅日記はこれにておしまい。